山口さんのモロッコ紀行−22

1999-Oct

●ダッバーギーン

 フェズ・エル・バリの中で訪問した店のうち、最初
に行ったのは「ダッバーギーン」(なめし皮染職人地
区)だ。簡単に言うと染物工場。皮製品の店の店主は、
自らがここに皮を持ってきて自分で染めるところであ
る。
 サンタ氏は事前に説明した。「ここは、観光で連れ
てくると”こんなに臭いところにつれてくるな”と怒
り出す人がいるところです。わたしのせいじゃないん
ですけどねえ」
 ダッバーギーンの入り口は狭い通り沿いあったのだ
が、近づくにつれて皮の臭いが段々濃くなってきた。
店に着くと、まずは工場を見物するため、3階分ほど
階段を上って屋上に案内された。
 各階には商品が壁が見えないほど大量に飾られてい
る。ジャンパー、鞄、財布などの小物、ラクダの人形
等など。トラックのタイヤ大のクッションカバーは中
に新聞等をつめて使うのだという。わざわざ綿などを
使わないでいいのは、なかなかいいアイデアだと思っ
た。
 さて、店の奥に進むにつれ、臭いの濃厚さは密度を
増してきた。まるで、臭いの壁の中をかきわけて進ん
でいるかのようである。屋上に出て、新鮮な空気を吸
えると思いきや、履き古した靴のような猛烈な臭気が
鼻を直撃した。うおー、く、さ、い! 口で息をして
も、鼻腔を通じて臭いが感じられる。店員が手渡して
くれたミントの葉を鼻の押し付けて臭いをごまかす努
力をしたが、それでも猛烈に臭かった。
 この臭いの発生源は、眼下に広がる屋外の染物工場
であった。テニスコート大の広場に、風呂桶大の染料
の入った器が、蜂の巣のように足の踏み場のないほど
並んでいる。もし「日本名湯百選スパ」というものを
作るなら、こんな感じの施設にすればいいかも知れな
い。染料は茶色系が最も多く、赤、青、黄、白(これ
は染料ではないかも)などもあった。
 作業しているのは男性ばかり。それぞれが個人単位
で作業を行っており、一人あたりの染物の量は、風呂
桶が一杯になるほどのボリュームである。これを好み
の染料の入った桶にぶち込み、自らも太ももまでズボ
ンを捲り上げて染料桶に入ると、「おばあさんは川で
洗濯」の要領でざぶざぶと染める。白い皮を徐々に茶
色に染めていく様子は、原始的な施設と染め方を見て
いると、きれいな皮をわざわざ汚しているように見え
た。
 それにしても、こんなにも臭い場所で、こうも無防
備に染料に足を突っ込んだりして、体には悪くないの
だろうか。染料も天然素材で安心なのだろうか?
 というわけではやはりなかった。実はここから出る
汚水は、先刻見た川の汚染の最大の原因なのだそうだ。
国としても対策を立てたいのだが、職人の生活を考慮
すると今のところどうしようもないらしい。しかし、
フェズ住民と皮染職人の健康のためにも、お役人様に
は頑張ってほしいところである。
 ところで、店主自らが染めた力作の皮製品であるが、
やはり猛烈に臭い。結構見栄えのいい財布を、3個、
いや4個、よっしゃ5個で千円でいいぞ、といくら気
前良く勧められても、この臭さではアンモナイト以上
にお土産対象外である。努力している割に商品が安い
のにそれでも報われないとは、何と気の毒に。ラクダ
皮製品業界の将来を思うと、悲しい気持ちになった。
 だが待て。そういえば、空港や駅の皮製品は臭くな
かった。なぜだろう? 実は、質の良いラクダ皮製品
は臭くないのだそうだ。ならば安心、良いものは21
世紀にも残ることだろう。「ラクダ皮=臭い」という
ラクダの汚名返上のためにも、ダッバーギーンの皮製
品店主には、あの悪臭をどうにかする工夫を編み出し
てもらいたいものだ。



●値段交渉修行の道1(腕輪編)

 「2こ千円、2こ千円、きれいね」
 後ろから声をかけられたのは、ある史跡の前でコネ
リー氏の説明を聞いていたときだった。
 振り向くと腕輪をじゃらじゃら手にした男性が立っ
ていた。彼が売ろうとしている腕輪は土産物屋でよく
あるタイプで、直径1cmくらい銀色の台に石がはめ
込まれたものを10個くらいつなぎ、ファティマの手
が留め金のところについたものだった。
 買う気は無かったが、コネリー氏の説明が遠くてよ
く聞こえず暇だったのと、この日初めて寄ってきた第
1号の土産売りに興味を覚え、思わず言ってしまった。
「ガーリーガーリー(高い高い)」
(以後、和訳)
「高くないよ。ほら、とてもきれいでしょ」
「いや、高い。お金が無い。いらない」
「よし、じゃ3つならどう?4つなら?」
「いや、高い高い。いらない」
「じゃあ、いくらなら買うんだ」
「欲しくないからいらない」
 やがてコネリー氏の説明が終わり一行は移動し始め
たのだが、彼は金魚のフンのようにどこまでもついて
来る。15分あまり経ってもまだついて来る。彼の話
し相手も結構面白いが、このままではコネリー氏の話
もおちおち聞いていられない。ここはいっちょ、思い
切りふっかけて追っ払おう。
「そうだなあ、10こ千円ならいいよ」
「えー、何をおっしゃる!それじゃ話にならない」
 大きく首をすくめるジェスチャーをしたので諦めた
かと思いきや、まだついて来る。なかなか見上げた根
性である。5個千円、いや10個でなきゃいかん、と
さらに5分ばかり続き、そろそろ交渉決裂かと思った
ところで、唐突に彼が折れた。
「分かった。10個千円でいいよ」
 あらー、本当?あれが1個100円なら、なかなか
お買い得だ。でも10個はいらないなあ。
「その値段でいいの?じゃあ、5個50DH(約60
0円)でもいい?」
「ああいいよ」
「本当に本当?ほんとうに?」
「いいよいいよ。好きな色を選びなさい」
 5つ別々の色を選びながら、いつもふっかけられが
ちだったこれまでの海外での買い物値切り交渉シーン
が、走馬灯の如く頭の中をくるくる回った。思った値
段まで交渉できるようになったとは、やっと少しは成
長したなあ。しみじみとした感慨が胸に広がった。
 5個選ぶと、鞄の奥にから厳重にしまった財布を取
り出すには片手では不便なので選んだ腕輪を1度彼に
返し、念のため財布を見せぬように背を向けて50D
H取り出しすと、物と交換で彼に渡した。
 少なくとも、旅慣れた人ならこんな迂闊なマネはし
なかっただろう。これまでのしつこさから一転、立ち
去る彼のあまりの足早さが、直感的な不安を呼んだ。
「ちょ、ちょっと待て」
 そう言いながら、絡まって団子状になった腕輪を急
いでほどいたわたしは、周りのみんなが振り向くよう
な大声を思わずあげた。
「あっ、やられた!」
 腕輪は3本しかなかった。品物を彼に手渡してお金
を出している間に、2本抜き取ってしまったのに違い
ない。道理で、制止の声も聞こえぬふりで、とっとと
立ち去ったわけだ。
 値段交渉までは順調だったのに、最後の最後に何と
いうどんでん返し。お金を出すときに彼に一旦預けさ
えしなければ良かったのに、値切りきったところで相
手に気を許してしまったのがいけなかった。信用取引
という日本人的常識が、詰めのところで出てしまった
なあ。
 いくら悔やんでも後のまつり。先程までの得意な気
持ちはきれいさっぱりふきとんだ。修行の足りなさを
深く反省しつつ、この教訓を深く胸に刻み付けたので
ある。

 ※値段交渉の教訓1

  代金は
     モノをしまって
            後払い



●値段交渉修行の道2(絨毯屋編)

 午前中最後に訪れたのは絨毯屋であった。
 絨毯屋訪問は、密かに楽しみにしていた行程の一つ
だ。買うつもりだったからではなく、かつてトルコで
鍛えた審美眼(?)を試したかったからである。
 さて、モロッコの絨毯は、ベルベル絨毯とアラブ絨
毯がある。ベルベル絨毯は山地や砂漠で古くから使わ
れてきた、厚手で丈夫なもの。アラブ絨毯は都会で発
達し、比較的歴史が新しい。柄に中央があるのが特徴
だそうえある。なお、モロッコには正絹はないので、
シルクの絨毯が出てきたら警戒したほうがいいかも知
れない。
 この日訪れた絨毯屋は、由緒ある古い建物を改造し
たという店で、美しいモザイク造りの内装だけでも一
見の価値はあった。まず通されたのは、ちょっとした
宮殿のホールを思わせるような、天井の高さが10m
位はある、円柱がいくつか並んだ地下の大広間。4方
の壁にはそれぞれ続き部屋があり、大量の絨毯が置い
てある。
 部屋の中央に向けて並べられた椅子に各々が座ると、
さっそく絨毯の説明が始まった。色、柄、サイズ色々
の絨毯が床に次々広げられ、客は近寄って見たり触っ
たりしている。
 わたしは、トルコの絨毯屋を思い出しながら眺めて
いた。ふうむ、ベルベル絨毯の幾何学柄はなかなかい
いけど、やっぱりシルクには負けるかな。それに絨毯
をぐるぐる回して光沢が変わるのを見せるパフォーマ
ンスが無いのは残念だ。やはりトルコのほうが1枚上
手だなあ。
 やがて商談が始まった。すると、ツアー客の女の子
に「私、買うつもりなんですけど、一緒に見てくださ
い」と頼まれた。隣でわたしがエラそうにうんちくを
たれているのを聞いていたらしい。
「いやあ、本当はあまり分からないんです」と言いつ
つも、商談にはとても興味があったので、結局一緒に
見せてもらうことになった。
 色々見せてもらって、最終的に彼女が目をつけたの
は、1.2m×50cm位の、紫地に幾何学模様の入
ったベルベル絨毯、というより薄いマットみたいな品
だった。ちょっと使い古したようなくすんだ感じが、
なかなかいい味わいを出している。値段もこれなら5
千円くらいだろう。すんなり順調に決まりかけていざ
値段を聞くと、何と$360だった。
 「えー、高い!」
 その場にいた何人かは一様に驚いた。彼女に予算を
聞くと、$100が目安だという。3倍の差ではさす
がに無理だろうと思いつつも「一応頼んでみたら」と
言うと、彼女は「$100万円で売って下さい」と正
直な予算で交渉をスタートした。買い手の言い値通り
には下がらぬのが商談の常、まあ頑張っても$200
だろう。予算の倍か、かなり厳しいところだ。
 ところが彼女には、思いがけぬ強みがあった。名づ
けて「学生でお金が無い」作戦である。日本の学生を
知る者にとっては眉唾に思えるこの話は、モロッコ商
人には実に効果てきめんだった。30分あまりの交渉
の結果、何と$120で商談は成立したのである。
 アドバイザーたるわたしの予想以上の交渉を、彼女
は一人でやりとげてしまった。今後は彼女を師匠と呼
ばねばなるまい。
 だが、ここでは一つ大変勉強になった。若く見える
のは日本人の特権。「学生でお金が無い」作戦、今後
はどこかで使ってみよう。あと5年くらいは使っても
大丈夫・・・か?

 ※値段交渉の教訓2

  若作り
     今日は生かそう
            「まだ学生」


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