山口さんのモロッコ紀行−21

1999-Oct

●黄金人生構築計画

 午後4時過ぎ、保養地として有名なイフレンに到着
した。イフレンは国策によって人工的に整備された保
養地で、白樺の木立の中にヨーロッパスタイルの家々
が点在している。完璧にヨーロッパ化されており、こ
こがモロッコであることを忘れてしまう。
 イフランはまた、大学のある街としても有名だ。そ
れも普通の大学ではない。授業内容は世界でも一流ク
ラス、生徒は世界各国から集まった貴族や大富豪の御
子息達。頭脳も身分も世界的にトップレベルの若者た
ちがここに一同に会しているのである。イフランは、
日干しレンガとも砂漠とも貧しさとも全く無縁の、モ
ロッコの桃源郷なのだ。
 バスはコーヒーがおいしいと評判の喫茶店の前で停
まった。軽井沢でも目立ちそうな、外見も中身も小洒
落た店である。店内には猫もいない。ここで約30分
の休憩ということになり、一行の大半は伸びをしなが
ら店の中へと入って行った。
 わたしも1度は一服しようかと店に入ったが、すぐ
に思い直した。おいしいとは言っても所詮洋菓子、こ
こでなくとも食べられる。まずはここでしかできない
ことをすべきだろう。食べ物よりも、まずは観光を優
先しよう。
 そう決めると、街の様子の見にぶらぶらと散歩に出
かけた。落ち葉がかさかさ音を立てる石畳の小径を歩
めば、気分はほとんどモンマルトルの丘をさまよう旅
人のよう(本物に行ったことはないが)。土産物屋の
きれいさはモロッコで入った中では随一だった。安心
して歩ける街である。
 ところで、ケーキよりも観光よりも重要な、街に出
た目的の最優先事項は何かというと、人生計画の足掛
かりを探すということであった。その計画とは即ち、
「アラブの石油王の嫁さんの一人に入れてもらう」と
いうものである。アラブ圏に行く度に実現しないかと
密かに期待しては裏切られていたが、ここで大学生と
仲良くなれれば、目標達成のみならず相手はかわいい
年下というのも夢ではない。ここは一発奮起、とにか
く外に繰り出すだけの価値はある。
 嗚呼だが残念。この日は寒かったせいか、外にいる
大学生はほとんどいなかった。唯一、テラスで読書に
ふける知的な雰囲気の青年と目が合ったが、残念なこ
とに集合時間までの残り時間は1分。話すどころか立
ち止まる暇すらなく、一瞬にっと微笑みを交わしたの
みでその場を後にせねばならなかった。
 こうして結局、「黄金人生構築計画」はまた次の機
会まで先送りされることになったのである。



●どっかーん

 バスがホテルに着いたとき、1日中の長いドライブ
のために、一行の大半は疲れきっていた。部屋割り決
めを待つ間も皆ソファにぐったりと沈み込み、話し声
もほとんど聞こえない。
 そんな時であった。
「どっかーん!」
 後ろのほうで壁に車が突っ込んだような、激し衝突
音がした。魂が抜けていたようだった一同も皆びっく
りして、思わずそちらに顔を向けた。
 そこには、自動ドアの横のガラスにぶつかって千鳥
足になっているムスタファ氏がいた。鍵を取りに行く
ため受付に行こうとした彼は、出入り口を勘違いした
のであった。彼もよっぽど疲れていたのだろう。
 ふらふらと出ていった気の毒な彼を見送った後、ロ
ビーには思わず爆笑が起こったのだった。
 だが、人のことを笑ってばかりはいられなかった。
部屋に入って顔を洗っているところに、ドアを激しく
叩く音。火事かいたずらかと恐る恐るドアを開けると、
ツアーの女性が必死の形相で立っている。そこで初め
て、自分が部屋を勘違いしていたことに気がついた。
疲労困憊していた上に、誰が部屋を間違ったのか突き
とめるのに苦労したとのことで、彼女には大変悪いこ
とをしてしまった。こんな勘違いをするとは、わたし
も思いのほか疲れていたのかも知れない。
 といっておきながら、夕食後には街の様子を見物に
行った。街の様子については、7日目の夜の分とまと
めてまた後日お送りしよう。



●これぞ王の門

 ツアー8日目。今日は丸一日かけて、迷路の街とし
て有名なフェズの観光だ。
 フェズは、王都の都としてはモロッコ最古である。
9世紀に造られた、迷路で有名な古い町がフェズ・
エル・バリ、13世紀に造られた新しい町がフェズ
・エル・ジュディドである。行政の中心は新市街に
移ったが、人口の半分がこの2つの町で生活している。
 朝一番に訪れたのは、フェズを見渡せる小高い丘の
上。まずは全体を眺めようというわけだ。
 「百聞は一見に如かず」というが、「びっしり」と
いう言葉の意味を説明するなら、この眺めを見せるの
が一番だろう。向かい側の丘陵全体が、箱形の茶色い
建物で隙間なく覆われているのである。目立つ建物も
広場も見あたらず、山自体が茶色い四角い建物ででき
ているかのようだ。この過密ぶりは、7:49津田沼
始発逗子行き総武線快速電車が亀戸を通過する時の混
雑に匹敵する。
 近寄ってきた物売りが見せびらかす3コ千円のラク
ダ革の財布の悪臭から逃げるように、一行はバスに乗
り込んだ。
 フェズの案内役は、鼠色のジュラバを着たショーン
・コネリー似のおじさんであった。ちなみにフェズで
は、個人旅行者には、砂糖にたかるアリの勢いで「ガ
イド志望者」が売りこみにくるのだそうだ。
 フェズの地図をみると、通りは2本のメインストリ
ートしか書いていない。実際に訪れれば、地図をつく
るのは不可能か、あってもあまりにも細かすぎてあま
り役立たないことが分かるだろう。観光名所について
は、メインストリートからどういう位置関係にあるの
かという目安の場所と、行き方の説明が一応書かれて
いる。だが、路地としか思えぬ建物の隙間が道扱いだ
ったりするので、なかなか本のとおりにはいかない。
いっそ、精密な航空写真とコンパスを頼りにするのが
一番いいかも知れない。
 結局、限られた時間で見たいポイントが決まってい
るときには、ガイドを雇ったほうがいいようである。
何しろ、フェズ最大の楽しみは「迷うこと」なのだか
ら。
 さて、バスは山を下って、まずはフェズ・エル・ジ
ェディド地区にある王宮に向かった。数十本立ち並ぶ
街灯の向こうに建てられた王宮の門は実に堂々として
いて、「そびえたつ」という表現がぴったりだ。大き
さも装飾もさることながら、何より凄いのは金ピカの
3つの門。中でも一番大きい、高さ5m、幅3m程の
中央の門はモロッコ王専用で、王がフェズに来たとき
だけ使うのだそうだ。直径30cm位の取っ手一つだ
けでも、モロッコの田舎なら村人全員の家が建てられ
そうである。内部は一般公開されていないので門しか
見られなかったのだが、この門の内側ならさぞかし凄
いことだろう。なお、ムスタファ氏が「モロッコ王は
こういう王宮を27個持っているが、それを国民は知
らない」と解説をしたのはここである。
 そこから歩いて向かったのは、旧ユダヤ人居住区で
ある「メラー」だ。西部劇をちょっと思わせる木製の
バルコニーや格子窓のある家々が並んでいるのだが、
この日は人通りも少なくて閑散としていた。きらびや
かな王宮の扉を見てきたばかりだっただけに、余計に
寂しげな印象が強められて残った。



●ドナドナ

 次は、いよいよフェズ最大のお楽しみ、フェズ・エ
ル・バリ見物である。
 迷子の達人であるわたしにとって、ここはやはり究
極の迷路だった。コネリー氏の後について歩き出して
3分も経つと、もうどこを歩いているのかまるで分か
らなくなった。スタート地点に戻るのも、もはや不可
能だろう。迷子になったら一大事。ゆったり歩くコネ
リーからはぐれぬよう、町の様子に気をとられすぎな
いように注意せねばならなかった。
 道端に作られた子供用プール位の囲みには、今夜は
誰かの晩御飯となる生きた鶏が暴れている。蛍光グリ
ーンの座布団大のキャラメルを売っている菓子屋。白
衣と眼鏡を着けた医者らしき男性が、幼児を手かざし
で治療している。のれん状に商品を吊り下げて売って
いる靴屋。案外こまめにある写真屋。神妙に入れ歯が
3つ並んだ入れ歯屋のショーウインドウは、皆わざわ
ざカメラにおさめていた。
 街の臭いには、色々な要素が混ざっている。荷運び
ロバの臭い、そのフンの臭い。皮製品の店からはラク
ダの皮の臭い。生活廃水がそのまま流れ込んでいるフ
ェズ川の臭い。なお、フェズ川には地元民がゴミを豪
快に投げ込んでいる姿も目撃した。それらが混在した
臭いは、時にはやがて上昇気流になって雲になるかと
思われるほどの濃厚さを持っている。
 道はやはり狭い。石畳や土でできた道の幅は平均す
ると約2m、狭い場所では1m弱。左右上下にくねく
ねと走る道の両側には、背の高い土壁の建物が建ち並
んでいる。見通しは悪く、空もほとんど見えない。閉
所恐怖症の人は、観光不可能かも知れない。
 その狭い道を、荷物を体の両側に積んだロバがとぼ
とぼと行き過ぎる。実のところ、この究極に密集した
街の荷物運搬手段は専らロバで、時には馬や人力に頼
るしかないのだそうだ。荷物を運ぶロバの姿というの
は実にあはれをさそう情景で、見る度に「ドナドナ」
の悲しげなメロディーが頭の中をぐるぐる回った。そ
して荷運びロバには一分に一度は遭遇するので、殆ど
フェズ観光の間中ドナドナが流れっぱなしだった。
 それにしても、なぜ荷運びロバはあはれを誘うのか。
 まずはロバの外見がその原因だろう。ロバの身長は
1m位。頭が大きく、首はうなだれ、耳は垂れている。
栄養事情も関係しているのか、毛並みには艶がなく、
体臭は臭い。目の周りの模様は、悲しそうな眼差しを
強調している。気品を漂わせる馬とは対照的に、どこ
か孤児を連想させる姿だ。
 さらに、運ぶ荷物がこれまたえらく大きい。殆ど自
分の体と同じくらい、否、それ以上のボリュームがあ
る。中身は籠につんだ野菜であったり、藁束であった
り、衣類であったり、多種多様だ。イモなどを運んで
いるといかにも重たそうで、背骨が折れるのではない
かと心配になる。
 このように荷物だけも充分かわいそうなのに、それ
に輪をかけるのが、御者のおじさんが器用に荷物を避
けてロバの背に腰を掛けていることだ。しかも片手に
握った鞭を振るい、ぴしぴしとロバを追い立てる。ま
た、一般には「アメと鞭」というが、御者は鞭しか持
っていない。これがロバの宿命なのかも知れないが、
何とも気の毒なことである。
 ところで、ロバと人がすれ違う時は、人が背中を壁
につけてやりすごす(それすらできない細道もあった
が)。ロバ同士がすれ違おうとすると、どうしても道
幅が足りない場合がある。そんな時はどうするのか?
気になるその解答を確かめる場面に、残念ながら遭遇
することはできなかった。確かめた人がいたら、是非
とも教えてもらいたい点である。
 さて、コネリー氏の案内で観光は順調に進んだ。1
4世紀の神学校跡であるブー・イナニア・マサドラや
アッタリーン・マサドラ、ムーレイ・イドリス廟、異
教徒は入れないので門から覗くだけだったカラウィン
・モスク等など。
 どの史跡も装飾が大変素晴らしく、手間もお金もう
んとかかっているのが一目瞭然だった。総大理石造り
の中庭、「フェズブルー」という明るい空色と緑をメ
インに使ったモザイク、壁全面に渡る細かい浮き彫り
など、どれもこれもため息の出るようなものばかりで
ある。場所も広々使っている。史跡の外側に広がる街
の素朴さと、非常に対照的であった。


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