山口さんのモロッコ紀行−18

1999-Oct

●ついに来た!アイト・ベン・ハドゥ

 昼食後、レストランの屋上から交差点の斜め向かい
に見える「クラ???のカスバ(シェルタリング・ス
カイの舞台となった)」の写真を撮った後、カスバ見
学に出発した。
 まず最初に訪れたのが「ティフルトゥトのカスバ」。
ワルザザードから西へ8kmの高台にあるカスバで、
ここも「アラビアのロレンス」で使われたところであ
る。
 昨夜の雨で地面がどろどろだったが、屋上からの眺
めは素晴らしかった。雨で増水したワルザザード川の
茶色い流れに沿って、濃緑のナツメヤシの林と町が視
界の果てまで広がっている。色の対比が鮮明で美しく、
箱庭を見ているかのようだ。人はこうしてオアシスに
集い、生活してきたのだなあ、と思わずにはいられな
い眺めである。
 なお、ここの一階にはミントティーサービスコーナ
ーがあった。二畳位の絨毯の上で、民族衣装姿のお兄
さんがコンロを傍らに置いて商売をしているのである。
サンタ氏が真っ先にすすりながら「飲んでいいですよ
」と請け合ったが、コップを洗わずに使い回ししてい
たので遠慮した。
 ティフルトゥトのカスバ見学が終わると、いよいよ
待望の「アイト・ベン・ハドゥ」に向かった。
 思えば、1月に「アラビアのロレンス」を見て以来、
時間的にも空間的にも、ここまではるばる長い道のり
であった。ぐずつく天候もでこぼこ道もスパゲティミ
ートソースも、この大きな楽しみの前では、塵みたい
なものである。バスの激しい振動にすら、楽しみが掻
き立てられた。
 やがて、ワルザザード川沿いに走るバスの窓から、
ついにアイト・ベン・ハドゥが見え始めた。ついにい
よいよやっとこさ、はるばるここまでやって来た!
 川向かいからの写真スポットで一度バスから下車し、
要塞のようなアイト・ベン・ハドゥを望んだ時は、宙
を舞うかの夢心地、正に感無量。これからあの要塞に
登るのである。
 それから10分程バスは走り、アイト・ベン・ハド
ゥの入り口のある村に着いた。いの一番にバスを降り、
チップやおやつをねだる子供達に「ラーラー(ないな
い)」と言いながら、水溜りを飛び越えながら入り口
へと向かった。
 なお、子供にチップやおやつをあげることは、ねだ
り癖がつくのと虫歯になっても医療費がないことから、
やめてほしいとのことだそうだ。旅行する人は気をつ
けよう。
 入り口まであと50mというところで、わたしは立
ち止まった。そして、眼前に開けた光景に息を呑んだ。
 この激流は、一体何ぞや?
 昨日の雨でワルザザード川が大増水している!
 凍ったように立ち止まったまま、足元を激しく洗う
濁流をまじまじと見つめた。
 これを渡らねば、アイト・ベン・ハドゥに行くこと
はできない。普通は浅瀬なので徒歩かロバで渡るのだ
が、今日の増水ぶりは、モーターボートでも渡るのは
不可能だった。増水していると聞いてはいたが、大丈
夫だろうとたかをくくって来た。というより、悪い想
像をしないようにして来たのであったが・・・。
 追いついてきたサンタ氏に問うた。
「渡るのは無理ですか?」
「ああ、こりゃ無理ですねえ。ここまで凄くっちゃあ、
どうにもなりませんなあ」
「そこを何とか、バスで突っ切るとか」
「絶対無理無理!エンジンに水が入っちゃう。それよ
り、バスごと流されちゃいますよ。諦めるしかありま
せんな」
 黄昏てきた空に、要塞がシルエットとなって浮かん
でいる。荘厳で美しい、ほんの50m先の幻。「アラ
ビアのロレンス」を見て以来憧れ、地球の裏側まで来
て、雨も悪路もスパゲティミートソースも乗り越えて
やってきたというのに、それなのに見られないとは、
な、ん、て、こ、っ、た、い!
 無念、無念、ああ無念。
 せめてもの記念にと、棒切れを拾って来ると、川の
淵ぎりぎりに名前と日付をがりがりと記した。
 しばらくの写真撮影時間の後にバスに戻ると、サン
タ氏は慰めるつもりなのか、こう言った。
「いやあ、アイト・ベン・ハドゥにはもう何度も来て
ますけど、渡れなかったのは初めてですよ。こんなに
増水したワルザザード川なんて、狙って見られるもの
じゃありません。皆さんは大変貴重な経験をしたんで
すな」
 普通の経験で良かったのに。ああ無念。もう何日か
ずれていれば見られたのに。ああ無念。
「何日くらい水はこのままですか」
「そうねえ、一週間くらいは渡れないでしょう」
 それなら、同じルートを逆周りで回っている、かの
ライバルツアー・H旅行社の一行もアイト・ベン・ハ
ドゥは無理か。会社の休みがこの日程しか取れなかっ
たのだから、いた仕方あるまい。無理やりそう思い込
むことで、何とか諦めをつけた。
 とはいうものの、その日はなかなか立ち直れなかっ
た。夕食時、セーターが必要な寒さの中、ホテルの水
のプールで寒中水泳を試みてみんなの笑いをとってい
るひとりの太ったおじさんを見ても、
「ははは、は〜」
ため息もどきの笑い声しか出なかった。
 しかしやがて、泥沼の悪夢は凝固して1つの決意の
結晶と変わった。いつかもう一度行って中を見るぞ。
 21世紀の楽しみが1つ増えてラッキーである。
 何、羨ましい?よっしゃ〜、一緒にヒロミGO!
 暑いお国柄なので、「GoldenFinger'99」を振り付
きで歌える人が優先参加ということで。



●舶来品の土産物

 夕食後のこと。せめて、アイト・ベン・ハドゥの絵
葉書を買っておこうと、ホテル内の売店に行った。選
んだのは、一枚2DHの絵葉書を6枚。1枚はサービ
スにしてもらい、10DHにしてもらおうという腹で
ある。
 レジに行くと、先に来ていた同じツアーの女性二人
が、いかにもアラブ人という感じの大柄な男性店員を
相手に、何事か騒いでいた。
「どうしたんです?」
「それがねえ、このワッペンをおまけでもらおうと交
渉してるんですけど」
 それは5cm×4cm位で、ラクダの絵に「Mor
occo」と書かれたワッペンだった。ポリンキーの
おまけに入っていそうな、どうということのない代物
である。スーツケースに貼り付けるのには丁度良いだ
ろう。
「駄目って言うんですよ。これ、幾らだと思います?」
「そうですねえ、4DH?」
「ねえー、どう見てもそんなもんですよねえ。それが
ね、20DHなんですって!」
 これには仰天した。このちゃちなワッペンが、絵葉書
10枚と同じ値段?(ちなみに1DH=約12円)
「た、高い!何でそんなに高いんです?」
「シールは舶来品らしいんですよ。国産品なら割引とか
おまけができるけど、舶来品は駄目なんですって。どう
しても譲らないんですよ」
 だが、印刷はボケているし、ほこりをかぶっているし、
端が茶色っぽく変色しているし、どう贔屓目に見てもそ
んな値段には見えない。二人の粘り強い交渉にもかかわ
らず、店員の答えは「ワッペンは駄目」の一点張り。つ
いには二人が折れ、別のサービス品を探しに行った。
 そっかーモロッコではシールは貴重品なのか、などと
感心しながら絵葉書を出し、「5枚買うから1枚おまけ
して」と頼んだ。
「駄目」
「いやあ、5枚で10DH、おまけ1枚でどうです?
プリーズ」
「駄目。これはスペイン製だから」
 へ? どういうこっちゃ?
 絵葉書を裏返してよく見直したが、写真はどう見ても
アイト・ベン・ハドゥ。文字でもそう書いてあるし、「
Morocco」とも書いてある。
「Moroccoと書いてありますが」 
「ちがうちがう、写真を絵葉書に加工したのがスペイン
なの。だから輸入品なんですよ」
 確かに、言われてみれば、裏にそれらしき表記がある。
要は、京都の絵葉書に「中国製」と書いているようなも
のである。理屈は分かるが、これを「舶来品」と言うの
は、どうも狐につままれた感じだ。
「ははあ・・・じゃ、5枚下さい」
 結局大して粘りもせず、とりあえず買った。
 そのうち、みんな暇だったのか、店はだんだん客が増
えてきた。大勢を相手にしても、かの店員は大仰な身振
りで何やかやと理由をつけては、サービス願い攻撃を巧
みにかわしている。
「それは怪しい」
「そうだそうだ」「そうだそうだ」
「ワーオウ、何をおっしゃいます」
 ますます賑やかさを増す店を後にして、わたしは部屋
に帰ったのであった。



●バラ香水は誰のもの

 失意の日から明けてツアー5日目。今日は丸1日、
カスバ街道をエルフードに向けてひた走る。
 午前中、バラの町として有名なエル・カーラ・マグ
ーナに立ち寄った。
「まあでも、この時期に来てもどうということはない
んですがね」
 だが、明らかにそれまでの町とは様子が違うのが分
かった。右も左もバラ、バラ、バラ、多種多様のバラ
の樹が植えられている。満開になったらさぞかし美し
いことだろう。なお、ここエル・カーラ・マグーナで
は、バラの見頃の時期に各地からバラ栽培の名人が自
慢の逸品を持ち寄って、バラコンテストが開かれるそ
うである。
 町を抜け、山間部にさしかかったところの大きめの
ドライブインでバスは停まった。ここで、名物バラ香
水が買えるという。
 ところで、このツアーで驚いたことの1つは、どの
土産屋に行っても、女性陣の多くが、大量まとめ買い
をすることである。元々大して買いたいものが無いの
は幸いだった。もし買いたくとも、あのバーゲン初日
のような殺気立った集団に突入せねばならないと考え
るだけで、そんな気持は消えてしまっただろう。
 大体、安いものを買って倹約したつもりになってい
るのが片腹痛し。買わないのが1番倹約だ。
 ・・・なに、兎小屋住まいで置き場がない者の僻み
だって? だまらっしゃい! そのとおーり!
 それはさておき、もう一つ買い物に関して驚いたこ
とは、モロッコ来訪数回目であるサンタ氏が、行く先
々で必ず買い物をしていることだった。「奥さんに」
と言いながら、民族衣装も香辛料もバラ香水も買って
いる。しかし、旅慣れた場所のお土産を全部買うとい
うのは、どうも普通ではない。
 いやー以外だ、サンタ氏が。ピンときた閃きに余り
にも確信があったので、思わず聞いてしまった。
「Sさん、愛人がいるんですか」
 ほんの一瞬間があって、サンタ氏は笑った。
「いやーこりゃまいったなあー。違いますよ、奥さん
にですよ、奥さんに」
 知り合ってまだ5日目なのに何て質問をしてしまっ
たのかという自責の念と、どこの?何人目の?と突っ
込みたい気持が葛藤している間に、ムスタファ氏が来
てサンタ氏に話しかけてしまった。そして結局、その
話題はそれきりになったのであった。
 その後も着実に土産物を購入し続けたサンタ氏。
 やはり世界各国に奥さんがいるのだろうか。または
彼の言う通りで、サンタ家は土産物屋状態で、最後に
はクリスマスプレゼントにするのだろうか。ムスタフ
ァ氏の介入が無ければ、と残念だった。
 今思えば、そのムスタファ氏もかなり買い物をして
いた。二人は共同戦線を張っていたのかも知れない。


次へ