山口さんのモロッコ紀行−17

1999-Oct

●アトラス越え

 ツアー4日目。この日は日程中で最も楽しみにしていた見どころの1つ、アイト・ベン・ハドゥ観光が含 まれている。 アイト・ベン・ハドゥはワルザザードの西20kmのところに位置する村だ。赤褐色の土造りの壁や砦が 立ち並び、モロッコでも屈指の美しさと称えられている。世界遺産にも登録されており、映画のロケにもよ く使われている。モロッコに来ようと思ったきっかけの一つとなった映画「アラビアのロレンス」のロケ地 もここだ。そんなわけで、この日も曇りがちの天気だったが、心は初夏の軽井沢のように晴れ晴れうきうきしていた。

 さて、午前中はマラケシュからワルザザードまで100km以上のドライブである。この2地点間にはア トラス山脈が横たわっているので、これを一般に「アトラス越え」という。このアトラス越えも、モロッ コ観光では大きな目玉の一つだ。われわれの一行は、標高2260mのティシカ峠を超えるルートをとった。

 このアトラス越えが、大変素晴らしかった。標高が上がるにつれて木々は姿を消し、グランドキャニオン を思わせるような切り立った岩山が目の前に迫ってくる。その急な斜面にへばりつくようにうねうねと造ら れた一本道を、バスはひたすら登っていく。同じ道を辿ってはるか前方を走るバスは、ピラミッドに登るア リのように、ちっぽけで健気に見えた。

 登るにつれ、赤や黄色や緑の土山が次々と現れる。昨日の雨でできたにわか作りの川や滝は岩肌を激しく 削りながら流れ、赤や黄色や緑の濁流を作っている。ちなみに、この水は流れ流れに流れて、終いにはマラ ケシュのメナラ庭園の貯水池(昨日コイのいた池)の源となるのだそうだ。

 約3時間後、やっと辿りついた峠の頂点で写真休憩があった。そこから下方を覗き込んだ眺めは、風が強 くて冷たかったせいもあるが、ぞーっと身がちぢむような心地がした。カナダスキーで上級コースに行った ら、きっとこんな気持ちがするのであろう。

 午前中ずっと、次々と繰り広げられる大パノラマは、いくら眺めていても飽きることはなかった。少なくと も、運転手ウイーダットさんとわたしの視線は、窓外の景色に向けられていた。

 だが、殆どの人は贅沢にも、この素晴らしい景観よりも夢の世界を堪能していた。そして添乗員席からは、 この素晴らしい景観の解説の代わりに、ゆったりと安定した規則正しい呼吸音が聞こえるのみだったのであった。



●さわらびのタタリ


 アトラス山脈を無事越え、バスはワルザザードの町に入
った。ここで昼御飯をとってから、午後の観光となる。
 「今日の昼食は、サラダ、スパゲティポロネーズ、デザー
トです。スパゲティポロネーズは、スパゲッティミートソー
スのことです。久しぶりのお馴染みの味、嬉しい方もいらっ
しゃるでしょう」
 な、何!
 久しく忘れていた「さわらび」の恐ろしい記憶が鮮烈に蘇
った。
 以下に「さわらびのタタリ」を一応掲載しておくが、こわ
がりの人には、ここで読むのをやめておくことをお勧めする。
あなたの今後の人生に影響を与えかねないからだ。
 「さわらびのタタリ」を知らずとも、今後の文章展開につ
いて行けなくなることはない。安心してとばして頂いて結構
である。
 それでも読もうという方、それもまたよし。但し責任は己
にあるということだけは御了解願う。この件に関する苦情は
一切うけつけないので、念のため。

 (以下、こわがりの人は読み進むべからず!
                 べからず!
                   べからず!
                     べからず!)

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***** さわらびのタタリ はじまり ******
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 ええ、あの頃のあたしは、ほんの若造のひよっこで、怖い
もの知らずのバカでしたねぇ。そのバカさ加減ゆえでしょう
なあ、巷で噂の「さわらび」に行ってみよう、なんて思い立
ったのは。
「あれはマジですごい」
「根性が試されるよなあ」
「全くだ、おれは駄目だったよ」
 そんな評判のところに、友人Mが、何と女だてらにそいつ
をやっつけたというじゃあありませんか。こりゃ、是非とも
一度は挑戦してみにゃいかん。ある日、そう意を決したあた
しは、友人二人をつれて、ついに「さわらび」に繰り出した
わけですよ。
 いやあ、ほんとにあたしらはバカでしたねえ。ちったあ下
調べくらいしておきゃあいいのに、思い立ったらそのまんま
乗り込んじまったんですから。せめて時間帯を考えりゃ良か
ったんです。あれは、よりによって2時前頃でした。せめて
12時前あたりを狙っていくべきだったと今では思います。
 でも、当時は若かった。何も考えず、評判のやつをいっち
ょたのんますよ、と声も大に頼みました。
 やがて、目の前に現れた「やつ」を見て、あたし達は「な
ーんだ」と拍子抜けしてしまいました。こいつのどこがそん
なにすごいんだ? 言うほどでもないじゃあないか。
 しかし、それは一瞬の誤解でした。続いて2つ、同じ「や
つ」が出てきたんですから。あたし達は、てっきり3人で1
コ片付けるもんだと思ってたんです。
 おっとっと、言い忘れておりましたかねえ。その「やつ」
というのは「スパゲッティミートソース」です。さわらびの
「やつ」は、ラーメン丼が一杯になるくらい麺が多いので評
判だったんですよ。
 目の前の「やつ」を見て、あたしは11月の富士山を思い
出しました。裾広がりにうずたかく盛られた麺、そして初冠
雪のように頂点にちょこんと乗っかった、大さじ3杯ほどの
ミートソース。まるで、焼きソバ蕎麦の彩りの紅ショウガみ
たいでした。
 多分、昼のピークが過ぎたところだったせいでしょう、最
早ミートソースは全滅寸前で、なべ底をこそげて集めたに違
いありません。その分、余った麺を力一杯盛り上げてサービ
スしてくれたんだと思います。昼前なら、麺と具の割合がも
う少し良かったろうと思うんですがねえ。そんな訳で、あた
し達はそれぞれ、3人分の麺を、大さじ3杯のミートソース
で食べなきゃいけないという状況になっちまいました。
 初めの3口は良かったです。1時間前はアルデンテだった
らしい柔らか麺だって、具さえあればまあまあ頂けます。で
も、具が無くなったら・・・。塩とコショウを振って発掘作
業を続けましたが、その味気ないことといったら、訳も無く
悲しくなって、つい石川啄木の歌なぞ口ずさみたくなるほど
です。そのうちあたしはふと、昔「スケ番刑事」で見た「ミ
ミズスパゲッティ」をありありと思い出して、ついに食べら
れなくなっちまいました。半分くらい食べたところでしたか
ねえ。
 そんな訳で、それ以来「スパゲッティミートソース」→「
さわらびのスパゲッティ」→「ミミズスパゲッティ」と、つ
いつい連想がいっちまうんです。ええ、あれから自分でスパ
ゲッティミートソースを頼むことは無くなっちまいました。
半分も残した麺のタタリかも知れませんねえ。

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***** さわらびのタタリ  おわり ******
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教訓:スパゲッティは、やっぱりペスカトーレに限る!



●「オイシー」

 さて、バスはワルザザードに着いて、まずはランチ
タイムとなった。
 レストランは町の中心部の交差点の角の、4階建て
位の建物の最上階だった。交差点の斜め向かいにはカ
スバ(城砦)があって、ロケーションはまずまず。店
内もなかなかきれいで落ち着いた雰囲気だ。バスでの
サンタ氏の一言「アルデンテだそうです」が誠ならば、
気まずい関係にあったミートソーススパゲティとの間
に、新たなる一歩を踏み出すことができるかも知れな
い。
 サラダを平らげると、いよいよスパゲティが登場し
た。「シックス・センス」を駆使してのスパゲティ解
析結果は、以下の通りである(解析順)。

1.視覚
   麺の量は日本での平均並。具、少な目。
   ※具は後で追加でもらえるとのこと
2.嗅覚
   普通。
3.聴覚
   先に食べ始めた人からは、特別な賞賛・非難と
   もに無し。
4.触覚
   フォークによる第一突きから判断すると、ゆで
   時間はベストより3分長く、温度は、ゆで上が
   り後13分が経過していると思われる。
5.亡霊認知覚
   若干小ぶりだが、前に残してしまったミートソ
   ーススパゲティに酷似している。
   やはり成仏できなかったさわらびのタタリか?
6.味覚
  以上1〜5覚を忠実に具現したもの。
  「〜まんまの味や!」

 具は三口で無くなった。そして、追加の具の到着を
待つ間に食べ頃を逸してしまった麺は、やがて死後(
?)硬直の段階に入っていった。そしてこの時、数年
来続いたミートソーススパゲティとの冷えきった関係
が、今後も継続していくことが確信に変わったのであ
った。
 さて、みんなが黙々と食べているところへ、ウェイ
ターが通りかかって声をかけた。
「オイシー?オイシー?」
 一同は、具がきたのかという当てが外れて少々がっ
かりしつつも、彼のにこにこ笑顔につられて答えた。
「オイシー、オイシー」
 丁度食べ終わった長塚さんは、空のお皿を見せた。
「オイシーネー?グゥーッド!」
 嬉しそうに立ち去るウェイターを一同は見送った。
「次は具を持ってきてや!」という熱い期待を視線に
込めつつ。
 ところで、この「長塚さん」は本名ではない。長塚
京三に似ているので陰で勝手にそう呼んでいただけで
ある。大変にいい人で、わたしは隠れファンだった。
 長塚さんの初めの印象は「絵の好きなおじさん」。
いつもスケッチブックを持ち歩き、みんなが写真を撮
っている脇でささっとスケッチをしていたからだ。
「うわっひゃ〜」
 後ろを通りかかったときにちょっとのぞいてみて、
あまりの上手さにわたしは舌を巻いた。どう見ても、
素人の趣味の粋を越えている。
 実は長塚さんは、若い頃には画家を志した、元学校
の絵の先生だった。東京で個展を開いたこともあると
いう。道理で上手いわけである。
 長塚さんは広島在住、原爆も体験したという昭和一
桁生まれの戦争世代。ハスキー声のとつとつとした喋
り口からも、温厚な人柄が偲ばれる。「僕は悪い人に
会ったことがないんですよ」と言うが、それは彼自身
の人柄を反映してのことだろう。昨晩ワインを飲みな
がら話をして以来色々良くして頂いて、誠に感謝、感
謝である。
 さて、やがて間もなくウェイターは待望の具を伴っ
て戻ってきた。が、持ってきたのは具だけではなかっ
た。
「オイシー、オイシー!」
 先程食べ終わっていた長塚さんに、山盛りの麺をも
う1皿持ってきたのであった。
 戦中を知る長塚さんは、食べ物を残すことはどうし
てもできないという。目を白黒させながら冷めた麺を
ほおばる様子は、健気を通り越して壮烈ですらあった。
さすが昭和一桁の日本男児、さすが戦中世代、さすが
長塚さん。ついに食べ終えた時、同じテーブルからは
賞賛の拍手があがったのであった。
 食後のデザートは、水分過多なのか、柔らかすぎて
原型を留めぬスライム状ではあるが、程よい甘味の自
家製プリンだった。ただ、惜しむらくは、ダマ2つ/
一匙の割合でダマダマが混入していたことである。漉
し忘れさえなければなかなかだったはずなのに、実に
惜しい。結局、口直しにはあまりならなかった。
 デザートは最初からリタイヤした長塚さんが「わた
しのもどなたかどうぞ」と言ったが、誰も手をつけな
い。ぼちぼち自分の分を平らげたところへ、さっきの
ウェイターがやってきた。
「オイシー?オイシー?」
 一同は声をそろえて言った。
「もう結構!」
 とどのつまり、モロッコでは、皿が空の状態での「
おいしい」≒「おかわり」なのである。皆さんもくれ
ぐれも気をつけよう。


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