山口さんのモロッコ紀行−16

1999-Oct

●雨のフナ広場

 香辛料屋の後は、ジャマ・エル・フナ広場で30分ほど自由時間があった。  フナ広場は相変わらずの雨で、評判ほどの人出は無かった。地面が半ば沼か川の状態なので、まあ当然ではある。

 屋台のあんちゃん共も商売っ気が出ぬらしく、ヒマそうな割には呼び込みに気合いがまるでない。第一、彼 らの関心は、金持ち日本人のお客よりも、滅多にできぬある作業に一心に向けられていた。即ち、テント状 の屋根を棒でつついて水を落とすことである。その結果、水たまりや川をよけつつ品物を見物していると突 如頭上から滝が落ちてくるという仕儀になった。

 日本では雨の日にスーパーに行くと「雨の中ご来店頂きありがとうございますセール」をやっているのに、 モロッコでは恐るべき上下水攻め。いやはや、文化の違いとは恐ろしい。

 待望の蛇使いも、一人だけぽつんと座っているのを目撃したが、寒さに弱い爬虫類の性、笛ふけど踊るど ころか頭を出したのはほんの3cmばかり。あれではコブラなのかトカゲなのか分からない。

 そんなわけで、雨の、かつ人出が少ないという二重に珍しいフナ広場を堪能したわたしは、早々にバスに戻ったのであった。



●ファティマの手

 フナ広場の後、ホテルに戻る前に寄ったのは銀製品屋。銀製品はモロッコの特産品である。そこは、本当 にいいものしか置いていないという店だけあって、壺や皿やアクセサリーなど、数千円から数十万のものま でが各種置いてあった。

 ところで、猫に小判、豚に真珠、わたしに銀製品。 銀製品といえば、博物館の年代物の純銀製の壺にし ても、化粧台の裏に落ちていたメッキのブローチにしても、ゴマみたいなシミがつぶつぶ浮いているという イメージしかない。どこがいいのやら。

 御大層にもガラスケースに収められた壺、くすんで古くさい。中古か? 隣の顔が写りそうに磨かれた盆 は不自然に光りすぎる。メッキか?

 これまで行った店のどこもそこもが商品品質不明・適正価格不明だったため、何もかもがうさんくさい。 疑惑の巣窟・神奈川県警も、ここに比べたら真理の館だ。

 だが、ツアーの中には、銀が大好きで機会あるごとに集めているという人もおり、「ここは本っ当に安い わ!」と感激一杯の様子であった。人の楽しみに水を差すなどという悪行、猫や豚すらやりはしない。満ち 満ちた数々の疑念は、ひたすら心中に留めおいたのであった。

 ところで、銀製品屋で一番お手軽な土産物だったのが、モロッコ名物「ファティマの手」グッズ。これは 昔々、モロッコの王様の沢山の子供達の中で、第4王女ファティマだけが元気に育ったため、彼女の手をお 守りとするようになったものである(大体そんなようなお話だったようです、はい)。銀の薄い板状で透か し彫り入りのものや宝石を持ったものなどがあり、ペンダントトップやイヤリング等、なかなかの人気であった。

 良く言えばどことなく神秘的、悪く言えば少々不気味。初見の感想は後者だった。名物にうまいもの無し、 別にいらんなあ。

 だのに、なぜかそれは今家にある。なぜか?それはまた後日のお話ということで。



●ファンタジアショー

 この日の夕食は、マラケシュに来たら必見と評判の、「ファンタジアショー鑑賞ディナー」である。  ベルベル人は騎馬技術に長けた民族。このショーは、かつてのベルベル人の騎馬による戦いを、再現して見せ てくれるものである。

 まず、レストラン入り口の大門の前では、騎馬に乗ったベルベル人が10人ほど出迎えてくれる。門を潜って 施設の奥に進むと、大きな馬場が現れる。ここが騎馬ショーの会場だ。運動場の周りをぐるりと囲んだサーカス のような大テントの下でまず食事をとり、10時頃から騎馬ショーを見るという段取りである。

 テントまでの渡り廊下には、華麗な衣装(地味なのもあったが)に身を包んだ歌&踊り子チーム(1チームは 約10人)が隙間無く並び、歌って踊って大歓迎。食事中にはテント内に入ってきて、そこでも踊りを披露して くれる。時には自分も仲間入りし、異国情緒は満点だ。

 食事もなかなか。小ワインを飲んだせいもあり、心はどっぷり宴会気分。いつの間にやら隣の男性のみのテ ーブル(同じツアーの人達)に移動し、ワインの御相伴にあずかっていた。類は友を呼ぶ、楽しい酒飲み皆友達。 それまで殆ど会話を交わしたことが無かったのに、話はとことん盛り上がった。

 そうしているうちにショーの時間が近づいてきた。幸いにも雨は止み、人々はみなテントを出て馬場の周りへ と集まってくる。人垣は何重にもなり、ちょっとした草競馬並の盛り上がりようである。ショーまでの時間つぶ しなのか、馬場中央に造られた舞台ではベリーダンスが披露され、一人のおじさんが1頭のラクダをひいて馬場を1周していた。

 そのラクダが、目の前でかっくんと膝を折って座り込んだ。 お、どうした? こんなところで休憩?  すると、ラクダ引きのおじさんが手振りで示した。「誰か乗りんしゃい」 おーラッキー、乗れるらしいっすよ、まあどうぞ。い えいえあなたこそどうぞ。いやー酔ってるんで。まあまあ若い人が行きなさい。そうそう若者が行きなさい、遠 慮せず、さあさあ。

  この最後の二言、あと何年言ってもらえることやら。ありがたやありがたや。折角のお言葉、甘えさせて頂こ う。 かくして、2、3分、小さく一周するだけだが、ラクダに乗せてもらった。ラクダの背は思ったより高くて広 く、乗り心地はなかなか快適である。

 ただ、この状況がいかに観客の注目を集めているかに気付くに及び、自責の念がひしひしと押し寄せた。  これだけ注目されているのにただ座っているだけとはあまりに無芸無能、浪速芸人の名折れ。傘にボールを乗 せて回すとか、バック転するとか、せめて逆立ちくらい練習しておくべきだった。

 結局何事もせぬまま、試乗は終わってしまったのであった。 やがて、ライトが一瞬暗くなると、20丁ほどのライ フルが天に向けて一斉に発射された。いよいよ騎馬ショーの始まりである。

 ショーはなかなか見応えがあった。一人ずつの見事な曲乗りあり、子供と子ロバの登場あり、20人の騎馬隊 が横一列に並んでの全力疾走とライフル発射あり、歩兵200人余りによる勝利凱旋行進あり。

 ただ一つ惜しむらくは、やはり昼間の雨。地面がぬかるんでいたため、歩兵の行進は、皆下を向いてのとぼと ぼ歩行。凱旋というよりは、敗戦撤退中の行軍みたいである。何人かが前に出てのコサックダンスもあったが、 足をとられて実にやりにくそう。よくあの状態でできるもんだ。明日は大腿部筋肉痛間違いない。

 フィニッシュは、どんどこ上がる花火であった。それを見ていて、ふとカメラがないことに気づいた。そうだ、 食堂に忘れて来た。帰る前に気づいたのはこれ幸い。ひとっ走り、取りに帰った。

 ところが、カメラは姿を消していた。カメラと一緒に置いておいた傘は、最初に座っていた椅子の床に落ちて いたのにである。 片づけが始まっているその横で椅子をどけ、机にもぐり、カーペットをはがしてみたが見当たらない。サンタ、 ムスタファ両氏がそれに加わり、終いにはそこらにいた従業員5名ばかりも仲間入りして探し回ったが、やはり 無い。5分ほど探してあきらめた。疑問の余地は無い。盗まれてしまったのである。

 テントの中の席配置と時間的要素を考え合わせると、犯人は従業員以外ありえない。高級レストランの店員が まさか、と初めは信じられなかったが、今日一日を思い返して納得した。うさんくさくて普通、それがモロッコ。 忘れて盗まれるようなマヌケは、同情されないお国柄なのである。

 盗まれてみると、それまでかのカメラに対し、ちゃちだの手巻きだのとさんざんな言いようだったのが悔やま れた。こんなに早く別れる日が来るのだったら、もっと大切にして情をかけてやれば良かった。尤も、初めから そうしていれば、忘れたりはしなかったのだろうが。親兄弟友人知人、できるだけ思い遣ることをいつも心掛け たいものである。明日からは「写るんです」を調達しながらの旅になるなあ、と思いながら、その日は寝た。

 ところで翌朝。「一夜明けると有名人になっていた」という言葉があるが、この日は、宴会時の仲居さんのよ うに、会う人毎に声をかけられた。「あら、あなた!」「何です?」「見たわよ!昨日ラクダに乗ってたでしょ。みんな注目 してたわよ。どうして乗れたの?」

 そうだった。カメラ事件に気をとられて忘れていた。「ああ、たまたまラクダが目の前で座りまして」  何度も何度も同じ説明を繰り返しているうち、やっぱり傘回しの芸を練習しておくべきだったと悔やまれたの だった。

 今年の正月は、笑点を見ながらミカンで練習するつもりである。


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