山口さんのモロッコ紀行−15

1999-Oct

●買え、買うんだジョー(香辛料屋2)

 説明が一通り終わると、一人ずつに大きなビニール袋が渡され、店主の息子とおぼしき3人の白衣の助手 が部屋に入ってきた。と、突如、それまで穏やかな声音で説明をしていた店主が大音声を張り上げた。

「カレー粉!カレー粉!3コで1コサービス!」

 3人もカレー粉の袋を両手に高々持ち上げて唱和した。

「カレー粉!カレー粉!3コで1コサービス!」

 買ってもせいぜい数人だろうとたかをくくっていた予想は大きく外れた。

「こっち、カレー粉20個とミントティー20個!」

「こっちはカレー粉15個と香水10個と、やっぱりミントティー10個も!」

 職場や友達へのばらまき用にと、猛烈なまとめ買いが始まったのである。1分前の静けさが嘘のように、 部屋は急遽、ある種異様な熱気と興奮に包まれた。

 こちらの助手は、親鳥がひな鳥にエサを運ぶように、不足分補充のため、倉庫と部屋を何度も駆け足で行き 来している。そちらの助手は、買う方も売る方も数が分からなくなり、「1、2、3、サービス!1、2、 3、サービス!」と初めから数え直している。オイルショック時のトイレットペーパー騒動もかくやと思わ せる混乱は30分程続き、ゴミ袋が一杯になるくらい買っている人もいた。まだツアー3日目にして、何たる荒技であろうか。

 満腹の鶏を空腹の鶏の群の中に入れると周りにつられて餌を食べるというが、この場の雰囲気がまさにそ れだった。最後の会計の段になってふと吾に返り、自分の買った量に驚かされている人は少なくなかったようである。

 実は、最初にお試しで嗅がされた香料の中に、興奮剤が混入されていたのだろうか。半ば強制的にいびき 薬を嗅がされたのは、そのためだったのかも知れない。



●会計には警戒すべし(香辛料屋3)

 さてこの香辛料屋、品物は少々あやしく、売り方は一層あやしかったが、会計のほうはそれに大きく輪を かけて大層あやしかった。

 第1が買った香辛料の勘定。売るときにあれほど連呼していた「3コで1コサービス」が、会計時にはき れいに忘れ去られている。

「わたし、多く請求されたわ」「あら、あなたも?」

 このような会話が電卓を片手にした人達によってあちらでもこちらでも繰り広げられ、一つしかない会計 カウンターにできた長蛇の列は、並び直す人々によって一向に短くなる気配はなかった。

 第2が「ヘンナ」の料金。ヘンナとは、モロッコ女性のお洒落の一つで、インスタント入れ墨のようなも のである。実際には、以下の手順でできる。

1.手や足に黒っぽい染料で花や蝶の絵を描く。

   学校給食で、1食分のピーナツバターの角を小さく切って、細く出るようにして食パンに絵を描   いたことがあるだろう。それと同じ要領である。

2.1日位おいておくと染料が固まる。

3.乾いてパリパリになった染料をはがすと、肌に黒っぽい絵の跡が残り、5日くらいそのままになる。

 会計カウンター横のコーナーで絵を描いていてくれたのは、12歳位の少女だった。  しばらくして、一番目に描いてもらった女性がサンタ氏に相談にきた。絵の複雑さにもよるが大体5DH だとサンタ氏が言っていたのと、2番目以降の人が10DH程度で描いてもらっていると知ったからである。 何と70DHもとられたのだそうだ。

 確かに彼女が描いてもらった絵は複雑だったが、他の人に比べてもせいぜい20DHが相場だろう。これ にはサンタ氏も「そりゃ、とられすぎだな」とあきれ顔をし、自ら店主に直談判を申し込んだ。その結果、 何と何と大どんでん返し。結局彼女は全額を返してもらったのである。

 なお、翌日パリパリを取ったら、絵が残っている人は誰もいなかった。皆の怒りが桜島の溶岩の如くどど うと噴出し、昨日の店への悪口雑言罵詈罵倒がひとしきり飛び交ったのは言うまでもない。

 そして、何も買う気がなく、皆が買い物の鬼と化している様子を部屋の隅で眺めていたわたしのもとにも、 第3の魔の「手」が迫って来た。両手をにぎにぎさせつつ、助手の一人が声をかけてきたのである。

「マッサージ、マッサージ」

 香油をつけて首と肩をもんでくれるものである。 初めは断っていたが、相手は4度5度と粘り、まあ とにかく座れ、と肩を押さえ付ける。15歳位のたいそうかわいい少年だし、ヒマだし、そういえば、さっ きサンタ氏が無料サービスでマッサージはやってもらえると言っていたし、じゃあやってもらうか。

 3分ほど揉むと、少年は言った。「チップ」 お? サービスだったんじゃないのかあ?  頭中に疑問符が飛び交うままとりあえず財布を出すと、あいにく札しかない。

「ごめん、ない」

 少年は財布をのぞき込み、おもむろに手を突っ込んだ。

「あるある、これでいいんだよ」

 そう言いつつ20DH札を抜き取って、少年は立ち去ったのであった。 だが、こちらは煙に巻かれようで、何となくすっき りしない。無料と聞いていたサービスに、札のチップはちっと多いのではないか?

 一応サンタ氏に聞くと「ああ、無料だよ」。隣でマッサージを受けていた人に聞くと「1DHだったわ」。  「かわいい顔してあのこ わりとやるもんだねと」 あみんの歌が脳裏に浮かんだ。相手はまだほんの子 供だし、しかもかわいいし、ひっかかった自分にも問題があったのだ。仕方なかろう。大体、1DHたかだ か10円強、いい大人が騒ぎ立てる額ではない。

 と思ったところで、歌詞の続きが頭をよぎった。 「言われ続けたあの頃 生きるのが辛かった」  そうだ、こんなにかわいい彼の人生を辛いものにしてはいけない。誰かがひとこと「びしっ」と言ってや りさえすれば、彼の一生は救われるのである。あえて憎まれ役を買ってでることこそ、慈悲の心篤き仏教徒 ・日本人の務めというもの。かくの如き純然たる高潔な志から、わたしは抗議をしに行った。

 ほかの人は1で、何でわたしだけ20なんだ!このガキなめとんのかコラ〜!  顔付きと言葉がそう訴えていたとしても、それは純然たる高潔な志が生じさせたのである。決して日〇社 員のマネをしていたわけではない。

 すると、騒ぎをききつけた年長の助手が口を出した。「分かったわかった、じゃあ10返すよ、これでいい ね」 10DH硬貨をわたしの手に押し込むと、彼は少年を連れて立ち去った。

 コラ〜、10返してもらってもまだ他の人の10倍なのに、いいわけないだろうが! そんな考えが一瞬 頭をかすめた・・・・はずなどない。この抗議は純然たる高潔な志からなせる業。ほどほどで許してやるのも、 慈悲の心篤き仏教徒・日本人の務めというもの。10DH硬貨を握りしめ、わたしは少年の改心を祈ったのであった。

かくして色々あったおかげで、この店で学んだことは多かった。即ち、モロッコには適正価格は存在しな い。買い物は、少なくとも10倍はふっかけられていると思って交渉すべきである。また、品物を受け取り お金を払い終えるまでは交渉は続いている。以降、様々な店や場面でそれを思い知ることになるが、それは また後日のお話しである。


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