山口さんのモロッコ紀行−11

1999-Oct

●お馬の親子は

 午後はひたすらマラケシュへ向けてのバス移動。その道中、サンタ氏より1つの提案があった。 「えーみなさん、今日は日曜日なので、今夜のジャマ・エル・フナ広場はとても人手が多く、大道芸人も大勢 出て賑わっています。そこで、馬車に乗って広場観光をするオプショナルツアーを組もうと思います。自分 たちだけで行くのは危険ですからね。後で希望者を募りますので、よろしくお願いします」

 馬車は2頭立てで、1台につき、屋根無しの向かい合わせの後部客席に4人、御者の隣に1人、計5人乗 り。結局全員が行くことになり、総勢9台の大御一行様での決行が決まった。

 夕食後、一同は適当に馬車に分乗した。こんな時に活かされるのが、一人参加のお気楽さ。わたしは御者 の隣席を陣取り、薄い綿が半分はみ出した、元は生成色だったと思われる茶色い座布団に、おっかなびっく り座った。御者台は顔の高さほどあり、かつ狭く、油断すると落っこちそうだったからである。

 馬は白馬と黒馬で、黒い方が若干小柄だった。目前1mに馬の尻を見る機会はそう頻繁にはないが、なか なか圧巻だ。「これぞ安産尻」などと、妙な点に感心してしまった。

 そんな彼らを操る御者は、民族衣装・ジュラバ姿の小柄で細い老人。さながら「隠遁生活を送るオビワン ・ケノービ」といった風体である。道中、路傍の有名高級ホテルの名をぽそっとつぶやいてほほ笑む様から は、朴訥な人柄が偲ばれる。この小柄な老人が、鞭1本で大きな馬2頭を操るのだから、全く大したものだ。

 その見込みが少々甘かったことが判明したのは、馬車がスタートして間もなくのことだった。仲がいいの か悪いのか不明だが、以下の3つの理由のいずれかにより、2頭の足並みは乱れがちだったのである。

(相思相愛編)
1.黒、白に顔をなすりつける。
2.白、喜びのあまり興奮し、猛り狂う。

(黒の片思い編)
1.黒、白にキスを迫る。
2.白、嫌悪のあまり興奮し、猛り狂う。

(不仲編)
1.黒、白の顔を咬もうとする。
2.白、「何すんねん」と猛り狂う。

 御者が鞭を振るって引き離そうとするも、2頭のなれあいはエスカレートする一方。前方を走る馬車はど んどん遠ざかり、後続の馬車にも追い抜かれ、ついには我々が最後尾となった。

「ヤラ、ヤラ(早く、早く)!」

 空しく響く御者の掛け声。わたしも少しは協力しようと「お馬の親子」を歌ってみたが、日本語なのでや はり効果はなかった。

 だが、実のところ、順番はこの際どうでも良かった。白がもう一暴れしようものなら、高さ1.5mの御者 台から馬糞だらけの道路に落ちて馬車に轢かれるのは必至。個人的な関心は、馬車から落ちないよう、頼り なげな手摺りを握り締めることに専ら費やされていたからである。

 白、落ち着け、冷静になれ!黒も、ちょっかい出すな!何度目かにそう思った瞬間、白は馬糞にスリップ して転びかけた。馬は人の心が分かるというから、実は観光客だと思ってからかわれていたのかも知れない。

 こうして他の馬車に遅れること約10分、われわれの馬車も何とか無事広場に到着した。安堵の息を吐き つつ馬車を降りると、こっそり前に回って馬の顔を見直した。

 帰りはこの馬車はやめよう、と決意したからであった。



〇究極の暇つぶし

 マラケシュは、ベルベル人が築いた王朝の都で、世界遺産に登録された旧市街をはじめ、「モロッコの縮図」 と呼ばれる古都だ。そのマラケシュでの観光の目玉といえるのが、多種多彩な大道芸人と出店で賑わうジャマ・エル・フナ広場である。

 馬車に揺られてたどり着いた夜の広場は、メーデーの代々木公園にも負けぬ混雑ぶりだった。大道芸の周りに は何重もの人垣、前後左右で鳴り響く音楽と群衆のあげる歓声、紅白歌合戦の北島三郎登場時のドライアイス並 に煙と香ばしい匂いをふりまく、たくさん並んだ食べ物屋の屋台。盆と正月が一度に来たような活気溢れる光景 が、ここでは日夜繰り広げられているのだ。

 ただ、かなり肌寒かったせいか、この時見かけた大道芸は、猿使い、占い、横歩きするだけのダンス(?)付 き楽団などの小粒のものばかり。ガイド本の写真を見て期待していた、中国雑技団ばりのアクロバットも蛇使い も見当たらなかった。

 だが、まあちょっと待て。アクロバット?蛇使い?それは、誰もがどこかで見たことがあるはずだ。侮るなか れ、ここは世界にその名を知られた大道芸の殿堂、ジャマ・エル・フナ広場。当たりきたりの大道芸など霞んで 見える一風変わったゲームが、そこでは行われていたのだ。

 その概要は以下の通りである。

1)先端に直径約3cmのゴム製(?)の輪の付いた、  竿の長さ約4mの釣竿を用意する。
2)地面に半径5m弱の円を描く。
3)2の円の中央部、半径約2mの円の内側に、ビンジュースを置く。
4)客は、1の釣竿を持って2の円の外に立ち、ゴムの輪をジュースの首にかけ、吊り上げに成功したらジュースをもらえる(と思われる)。

 名付けて「ジュース釣り」である。仕掛けもルールも至って単純なゲームなのだが、いやはやどうして、一度ハマるともう抜け出せない。  全神経を集中してビンとゴム輪の間合いをつめる釣り客。もう釣れるか、今度こそ釣れるか、と息を殺してそ れを眺める観客たち。誰も立ち去るものはいない。

 あの仕掛けで吊り上げることは物理的に可能なのか? 吊り上げたジュースはもらえるのか?  疑問の晴れる瞬間を期待してじっと見守るうち、彫像の如く動かぬ群衆の一人となったまま10分経過。やっ と輪がビンにはまっても、吊り上げるところまでできる人は誰もいない。結局はツアーの悲しさで完結を見ずに 移動せざるを得ず、後ろ髪を轢かれる思い、500円ハゲに相当すると言っても過言ではなかった。

 狭い、せっかち、せちがらい、きようびの日本ではまず見かけられぬジュース釣り。だがこれぞ、日本人にと ってのパチンコの如く、モロッコにおける究極の暇つぶしだ、とわたしは確信した。


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