●お馬の親子は
午後はひたすらマラケシュへ向けてのバス移動。その道中、サンタ氏より1つの提案があった。 「えーみなさん、今日は日曜日なので、今夜のジャマ・エル・フナ広場はとても人手が多く、大道芸人も大勢 出て賑わっています。そこで、馬車に乗って広場観光をするオプショナルツアーを組もうと思います。自分 たちだけで行くのは危険ですからね。後で希望者を募りますので、よろしくお願いします」馬車は2頭立てで、1台につき、屋根無しの向かい合わせの後部客席に4人、御者の隣に1人、計5人乗 り。結局全員が行くことになり、総勢9台の大御一行様での決行が決まった。
夕食後、一同は適当に馬車に分乗した。こんな時に活かされるのが、一人参加のお気楽さ。わたしは御者 の隣席を陣取り、薄い綿が半分はみ出した、元は生成色だったと思われる茶色い座布団に、おっかなびっく り座った。御者台は顔の高さほどあり、かつ狭く、油断すると落っこちそうだったからである。
馬は白馬と黒馬で、黒い方が若干小柄だった。目前1mに馬の尻を見る機会はそう頻繁にはないが、なか なか圧巻だ。「これぞ安産尻」などと、妙な点に感心してしまった。
そんな彼らを操る御者は、民族衣装・ジュラバ姿の小柄で細い老人。さながら「隠遁生活を送るオビワン ・ケノービ」といった風体である。道中、路傍の有名高級ホテルの名をぽそっとつぶやいてほほ笑む様から は、朴訥な人柄が偲ばれる。この小柄な老人が、鞭1本で大きな馬2頭を操るのだから、全く大したものだ。
その見込みが少々甘かったことが判明したのは、馬車がスタートして間もなくのことだった。仲がいいの か悪いのか不明だが、以下の3つの理由のいずれかにより、2頭の足並みは乱れがちだったのである。
(相思相愛編)
1.黒、白に顔をなすりつける。
2.白、喜びのあまり興奮し、猛り狂う。(黒の片思い編)
1.黒、白にキスを迫る。
2.白、嫌悪のあまり興奮し、猛り狂う。(不仲編)
1.黒、白の顔を咬もうとする。
2.白、「何すんねん」と猛り狂う。御者が鞭を振るって引き離そうとするも、2頭のなれあいはエスカレートする一方。前方を走る馬車はど んどん遠ざかり、後続の馬車にも追い抜かれ、ついには我々が最後尾となった。
「ヤラ、ヤラ(早く、早く)!」
空しく響く御者の掛け声。わたしも少しは協力しようと「お馬の親子」を歌ってみたが、日本語なのでや はり効果はなかった。
だが、実のところ、順番はこの際どうでも良かった。白がもう一暴れしようものなら、高さ1.5mの御者 台から馬糞だらけの道路に落ちて馬車に轢かれるのは必至。個人的な関心は、馬車から落ちないよう、頼り なげな手摺りを握り締めることに専ら費やされていたからである。
白、落ち着け、冷静になれ!黒も、ちょっかい出すな!何度目かにそう思った瞬間、白は馬糞にスリップ して転びかけた。馬は人の心が分かるというから、実は観光客だと思ってからかわれていたのかも知れない。
こうして他の馬車に遅れること約10分、われわれの馬車も何とか無事広場に到着した。安堵の息を吐き つつ馬車を降りると、こっそり前に回って馬の顔を見直した。
帰りはこの馬車はやめよう、と決意したからであった。
〇究極の暇つぶし
マラケシュは、ベルベル人が築いた王朝の都で、世界遺産に登録された旧市街をはじめ、「モロッコの縮図」 と呼ばれる古都だ。そのマラケシュでの観光の目玉といえるのが、多種多彩な大道芸人と出店で賑わうジャマ・エル・フナ広場である。馬車に揺られてたどり着いた夜の広場は、メーデーの代々木公園にも負けぬ混雑ぶりだった。大道芸の周りに は何重もの人垣、前後左右で鳴り響く音楽と群衆のあげる歓声、紅白歌合戦の北島三郎登場時のドライアイス並 に煙と香ばしい匂いをふりまく、たくさん並んだ食べ物屋の屋台。盆と正月が一度に来たような活気溢れる光景 が、ここでは日夜繰り広げられているのだ。
ただ、かなり肌寒かったせいか、この時見かけた大道芸は、猿使い、占い、横歩きするだけのダンス(?)付 き楽団などの小粒のものばかり。ガイド本の写真を見て期待していた、中国雑技団ばりのアクロバットも蛇使い も見当たらなかった。
だが、まあちょっと待て。アクロバット?蛇使い?それは、誰もがどこかで見たことがあるはずだ。侮るなか れ、ここは世界にその名を知られた大道芸の殿堂、ジャマ・エル・フナ広場。当たりきたりの大道芸など霞んで 見える一風変わったゲームが、そこでは行われていたのだ。
その概要は以下の通りである。
1)先端に直径約3cmのゴム製(?)の輪の付いた、 竿の長さ約4mの釣竿を用意する。
2)地面に半径5m弱の円を描く。
3)2の円の中央部、半径約2mの円の内側に、ビンジュースを置く。
4)客は、1の釣竿を持って2の円の外に立ち、ゴムの輪をジュースの首にかけ、吊り上げに成功したらジュースをもらえる(と思われる)。名付けて「ジュース釣り」である。仕掛けもルールも至って単純なゲームなのだが、いやはやどうして、一度ハマるともう抜け出せない。 全神経を集中してビンとゴム輪の間合いをつめる釣り客。もう釣れるか、今度こそ釣れるか、と息を殺してそ れを眺める観客たち。誰も立ち去るものはいない。
あの仕掛けで吊り上げることは物理的に可能なのか? 吊り上げたジュースはもらえるのか? 疑問の晴れる瞬間を期待してじっと見守るうち、彫像の如く動かぬ群衆の一人となったまま10分経過。やっ と輪がビンにはまっても、吊り上げるところまでできる人は誰もいない。結局はツアーの悲しさで完結を見ずに 移動せざるを得ず、後ろ髪を轢かれる思い、500円ハゲに相当すると言っても過言ではなかった。
狭い、せっかち、せちがらい、きようびの日本ではまず見かけられぬジュース釣り。だがこれぞ、日本人にと ってのパチンコの如く、モロッコにおける究極の暇つぶしだ、とわたしは確信した。