田崎さんのパリ紀行−18
1999-Nov
再会
地下鉄に乗るために、ライトアップされたエリゼ宮眺めつつ、セーヌ川を渡り、オベリスクのあるコン
コルド広場まで歩く。コンコルド広場のオベリスクはナポレオンがエジプ
ト遠征の折りにお持ち帰りしたもので、いまや広場のシンボルとなっている。(もともとエジプトのも
のであるオベリスクは、なぜかヨーロッパ各地の広場でシンボルになっている。勝メの特権とばかりに
勝閧ノ持ち汲チているようだが、返還請求とかはないのだろうか?)
ちなみに、このオベリスクが立つ前、ブルボン王朝の末期には、ここには処刑台が立っていた。ルイ
14世もマリー・アントワネットもこの広場で断頭台の露と消えたのだ。
そんな歴史も含めて、遠くエッフェル塔までが見えるコンコルド広場は、「パリ」らしいパリを実感さ
せてくれる場所かもしれない。もっとも、この時期、広場は工亦で、総゙に囲ま
れたオベリスクは風情に欠けてはいたが。
そしてコンコルド広場から地下鉄に乗り、ホテルへと帰還した友人Oを待ち受けていたのは、そう、行
方不明になっていた荷物だった。日本を出発した18日にさよならして以来、タに4
日ぶりの再会。感動もひとしお、といいたいところだが、明日はもう帰るという身には複雑な心境というところか。
福岡で「壊れている」と報告のあった取っ手はなるほど、壊れていた。謔チ手と本体を繋ぐ部分の片側
が破損して取っ手の役目を果たしていない。そして、ロストバゲージの原因もこの壊れた取っ手にあった。
空港で荷物を預ける際に取り付けるタグが、この壊れた取っ手に付けてあったらしい。ゴム製でもなく、
シールでべったり張り付けるわけでもない、を輪っかにして取っ手に取り付けるだけのタグなんだから、
そりゃ無くなりもするだろう。
それを「壊れてる」とわかっている取っ手に取り付けていたのだから、無くならない方が不v議だ。
「タグをこっちの取っ手に付け替えてくれたらよかったのに」
と、原因がわかって友人Oは憤慨気味だ。確かに、2つある取っ手のうち壊れているのは一つ
なのだから、無事な方にタグを付け直すぐらいのことはして欲しかった。福岡で「壊れている」のも判
っていたし、関空で「大丈夫」と請け合っていたのだから、それぐらいはしていてもいいではないか。
関空で言い繕う暇があったら、タグの付け替えをして欲しかったぞ、J○Lさん。
ところで、出発から中身は増えていないはずの、友人Oの荷物はやたらと重かった。
一体何が入っているんだ? と見せてもらった中身の三分の一は化粧品が占めていた。(化粧品だけで
キロ単位の重さがあった)いつも使っているのを全部揩チてきたという。
あっぱれ! 女の鑑!!
わたしがいかに化粧品類を少なくするか悩んでいたのとはえらい違いだ。
それにしても、海外でも基礎化粧は忘れずにというのは分かるが、化粧品を瓶ごと持ってくる根性には感服した。
パリ、最後の夜
無事、荷物も戻り、妹さんの体調も良くなったというので、l人揃って、カフェなどではない、ちょっ
とランクの高い店に行くことにした。わたしは大陸性の乾燥気候を甘く見て、体調は下り
坂、おまけに声が出ないという体たらくだったが、せっかくパリまで来てグルメしない手はない。
さっそくガイドブックで近場の店を探す。そして、見つけた店は最寄りの地下鉄の駅がなかった。
これは、タクシーで行くしかなさそうだ。
だが、タクシーで行くには問題があった。フランスのタクシーは三人乗りなのだ。シャルル・
ドゴール空港のようにワゴンタイプがいればいいけど、とわずかの期待を抱いてホテル外のタクシ
ー乗り場へ向かったが、やはりワゴンタイプは影も形もなかった。
ダメ元で一番前のタクシーの兄ちゃんに四人乗せてくれないか、と聞いたのだが、兄ちゃんは苛つ
いた口調でダメ! とにべもない。分乗するのもイヤだし、地下鉄で行って歩くか、
と話していたら、タクシーの兄ちゃんがいきなり激しい口調でまくしたててきた。
どうも,乗るのか乗らんのか、はっきりせぇ! と言っているようだが、この兄ちゃんの態度にすで
に一行は及び腰になっていた。はっきりいって、恐いのだ。
こんな兄ちゃんの車になんか乗りたくない、と逃げの態勢に入る一行がまた気に入らないらしく、
声や顔つきがすでに怒りモード。そこへもってきてまた、兄ちゃんの怒りが爆発する事態が起こった。
ちょうど、タクシーの列の前に止まったタクシーが客を降ろし、その後に別の客(日本人カップル)
が乗り込もうとしていた。それを見た兄ちゃんが、キレた。いきなりタクシ
ーを降りると、客が乗り込もうとしているところへ猛然と抗議し始めたのだ。
突然、見知らぬ兄ちゃんにまくしたてられるカップルもいい迷惑である。
この兄ちゃん、あぶない・・・
兄ちゃんのエキサイトぶりに身の危険を感じて、一行は兄ちゃんがカップルにかまっているのをい
いことに、そそくさと現場から逃げたのだった。そして、タクシーに懲りた一行は、店まで地下鉄
+徒歩で行くことにした。
だが、この夜は何事もついていなかった。一番店に近いと思われる駅までは乗り換えがある
のだが、それを間違えたのだ。間違えた理由は、その区間だけが地下鉄で唯一、
上りと下りの駅が違っていたことにあった。A→B→Dの区間で、B地点だけが、上りが
D→B→A駅、下りがA→C→D駅と、BとCの二つの駅が存在していたのだ。そして、下り(?)
の列車に乗ったわたし達が下りたかったのは、タは上りの駅だったと気づいたのは予定駅を過ぎ、
その先の駅に着いた時だった。
路線図にあるはずの駅がない?! とよくよく路線図を見直したら、そこだけ複線だったというわけだ。
「あー、もう、わたし晩ご飯はいいよ」
早々に投げ出したのは、体調ダウン気味のわたし。パリの気候にジャブを受けつつ、タクシーにボディ
ブロウ、地下鉄にカウンターパンチを喰らったわたしは、すでにノックアウト状態。
パリは甘くはない と思い知らされた一夜だった。
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