田崎さんのパリ紀行−14

1999-Nov

ベルサイユへいらっしゃい 2
〜太陽王もしくは仮面の男〜


ベルサイユ・パレス行きの列車には客が多かった。外国人観光客のみならず、家族でお出かけらしきフ ランス人の姿も結構多い。終着駅のベルサイユ・パレスまでは、ほんの3駅ほどであっけなく到着。

ベルサイユはこれまでのパリの曇天とはうってかわって晴れ間さえ見える、いい天気だった。これで、 気温が高ければ何も言うことはないのだが。ベルサイユ宮殿までは人の流れに沿っていけば、ま ず迷う心配はない。我々が迷わなかったのだからそれは保証できる。

ちなみに駅からベルサイユ宮殿までの道順は、駅を出て右方向に進み、大きな通りにぶつかったらすか さず左折。もう前方にはベルサイユ宮殿が見えるはずだ。もし、目に入らない場合は左折後、200メートルほど前進して頂きたい。 これで目に入らなければ、距ヘ検査を受けることをお勧めします。

駅から歩いて10分。到着した宮殿は予想以上に大きかった。 Ωを直線でかいたような形(凹型といった方がいいのか?)の宮殿は、イヤでも目に付くように道路面 より少しばかり高い場所にあった。見た目はほぼ対称な宮殿の、その片翼の長さだけで100メートル はあるんじゃなかろうか? とにかく大きくて派閨Bそんなベルサイユ宮殿の見た目を一言でいえば

「目立ちたがり」

宮殿を建てた人は自己顕示欲がものすごく強い人だったに違いない。 その、ベルサイユ宮殿を建てた人には、宮殿へ入る前にお目に掛かれる。

門から入るとすぐに青銅の騎馬像にぶつかる。それがこの宮殿の建設者で、後に「太陽王」と称され、 映画「仮面の男」にあったように、謎の「鉄仮面」の正体では?! と取りざたされるブルボン家の王様・ルイ14世である。

この14世の孫が、マリー・アントワネットを妻に揩ソ、国の貧窮のために王座から追い払われ断頭台 に乗せられた王様・ルイ16世になる。負けず嫌い(注)、パリ嫌いの祖父(14世)が、 郊外のベルサイユにあった狩猟用の城を、ばかばかしいほどでかい宮殿に造り替えて宮廷ごと引っ越し たのはいいけれど、その維持費はバカにならなかった。結局、孫(16世)の代であっさり財産を食い 潰し、ブルボン家どころか王制ごと潰れてしまったというわけだ。

この宮殿、わたしだったら一日分の維持費も払いきれない。孫の代まで保っただけでも立派なものだ。 (現在世界一の資Y家ビル・ゲイツ≠セったら維持できるかもしれない)

注:当桙フ財務長官のフーケという人が、14世の住まいだったルーブル宮殿より立派な城(ヴィコン ト城)を建てたので、「財務長官がなんぼのもんじゃ。わしは王様じゃ。それ以上のもんを造ったる!」と 言ったかどうかは知らないが、それに対抗してベルサイユ宮殿を建てたとか。何にせよ、ベルサイユ宮 殿の設計メをヴィコント城と同じにしたという辺りに負けず嫌いの性格が伺える。

ルイ14世のお怒りに触れたフーケはその後投獄され、一生日の目は見なかったらしい。



ベルサイユへいらっしゃい 3
〜王室礼拝堂−王の大居コ〜


ルイ14世と無事ご対面を果たした後は、いよいよベルサイユ宮殿入場だ。 パリ滞在中、もっとも観光客の多かったベルサイユだけに、入り口には長蛇の列ができている。だが、 案ずることはない。わたし達にはカルト・ミュゼという強い味方(?)があるのだ。

行列を横目に、入場券売り場の横にある入り口に立っていた職員にカルト・ミュゼを振りかざしてみせ ると、あっさり宮殿の中へ通してくれた。揩ツべきものはカルト・ミュゼ、である。

ベルサイユ内部の見学コースは、大まかに分けて三つある。正面に向かって右側にある王の大居コ、そ の向かい(左側)の王妃の大居コ、それをつなぐ鏡の間(回廊)、である。

右側に入り口があるので最初の見学は王の大居コからと行きたいところだが、その前に王室礼拝堂の見 学だ。白を基調とした壮麗な礼拝堂は、ルイ16世とマリー・アントワネットの結婚式が挙げられた場 所でもある。この、ブルボン家とハプスブルク家という二大王家の婚姻が悲劇に終わったのはご存じのとおり。

なお「ベルサイユのばら」をご存じの方は、ここで婚礼のシーンを思い出して頂くと、より深い感動が 味わえる、かもしれない。礼拝堂を後にしたら次は「ヘラクレスの間」に入る。 ここを担当した画家がノイローゼで自殺してしまったのももっともだ、と思えるほど壮麗sヌ密な天井 画が描かれているので、天井を見上げながら、冥福を祈ろう。しかし、こんな細かいものを天井に描く なんて、その画家には偏執狂の気あったんじゃなかろうか。わたしみたいに大雑把な人間じゃなかったことだけは確かだ。

さて、天井画で首の体操をした後は、14世から16世まで3代続く王の大居コを見て回ろう。 ガイドの説明を聞くために居並ぶ観光客の頭越しに目にするのは、赤を基調にした豪華材」な居コの数々。 大きな部屋の真ん中にある豪奢な天蓋付きのベットからも在りし日の栄華が忍ばれる。ただし、「お宝」 の調度品の類はほとんどが売り払われており、兵どもが夢の後、的退廃が漂っているのは仕方がないだ ろう。(調度品は現在、買い戻し、もしくは復元中だとか。それでも完全復活は恐らく無理だろう) 居並ぶ三人の王様の中でももっとも権勢があったのは、やはりルイ14世である。

この壮大なベルサイユ宮殿を建設できるほどの権力を誇っていた彼は、「戦争の間」と呼ばれる部屋の ギリシャ神話をモチーフにした天井画の中で、「太陽王」=アポロンとして讃えられている。 ちなみに、天井画に描かれているのは、敵を踏みしだくアポロン、なのだ。ついでに言うなら、「戦争 の間」の手前にある「アポロンの間」は王座の間なんである。

ルイ14世の「朕は国家なり」というセリフは有名だが、ベルサイユ宮殿を見る限り、それが誇大広告 でも何でもないと実感させられる。もっとも、宮殿の装飾過多ぶりからは、ゥ意識過剰 すぎる王様というイメージしか浮かばないが。それにしても、ゥ信過剰・華美好きで飛ぶ鳥も翌ニ す勢いの王様ルイ14世と、国家の傾ホで悲劇の王様となったルイ16世の間にいたルイ15世に関し ては見聞するモノがたいしてない、というのが哀れを誘う。(わたしが見翌ニしただけか?)

アポロンの間には戴冠式の正装をした王様の肖像画があるのだが、ここでも15世はおミソ扱いで、飾 ってあるのはルイ14世と16世の肖像画だけなのだ。一体、15世の肖像画はどこへいってしまったのだ ろう。肖像画が描かれなかったということはないとvうのだが・・・・。つくづく哀れな王様である。 兄弟関係から見る心理学によると、真ん中の子は「地味」だそうなので、ルイ15世が目立たないの も仕方がないのかもしれないが、でも王様達は兄弟じゃなくて親qなんだよなぁ・・・。



ベルサイユへいらっしゃい 4
〜鏡の間−王妃の大居コ〜


「戦争の間」を通り過ぎると次はいよいよ、ベルサイユ宮殿のなかでもっとも有名な「鏡の間」へ踏み 込むことになる。

当槭ミ沢品だった鏡を576枚も使用した一面鏡張りの壁に、モザイクの床とル・ブラン作の筒型弯窿 の天井画の空間を埋める夥しい数のシャンデリアは水晶(当栫j製という、豪華材」を文字通り体現している部屋だ。

水晶のシャンデリアに灯された蝋燭の明かりの下で幾度と無く催された華麗な舞踏会。鏡に反射した光 が夢のような空間を造り上げたことだろう。西に設けられた大きな窓からは、これも膨大な兼 と費用をかけて造った、折り紙付きのフランス庭園を望むことが出来る。ただし、條が初冬だったた め、緑と花の織りなす華やかな庭園は、見ることができなかった。

この眺望も含めて、鏡の間がもっとも萪沢の限りを尽くした部屋、ベルサイユ宮殿のハイライトと言え るだろう。この鏡の間は、宮廷舞踏会に使用されただけではなく、第一次世界大戦の終結条約・いわゆるベルサイ ユ条約の調印式に使用された場所でもある。しかし、後年の観光客にとっては、コンタクトレンズを直す のに使用するぐらいが関の山だった。

そして、あまりの装飾過多に「もう、ええ加減にせぇ」s゚ソ暈を覚えたわたしは、やはりわびさび を愛する日本人なのだった。

この鏡の間の反対側にはルイ14世の寝コがあるらしい。「太陽王」らしく東向きの寝コだそうだ。 きっと「地球(せかい)は自分のために回ってい」たんだろう。 どこまでも自己中心な王様、ルイ14世。

鏡の間で華麗なる世界を目にした後は、王妃の居コへと移ろう。 とはいえ、ここまでの豪奢な造りに圧倒されて頭は飽和状態、加えてツアーの観光客がひしめいていて 見学しづらいということもあって、ほとんど素通りしてしまった。

ツアー客に混じって聞きかじった説明では、ここは王妃の趣味などで何度も改装されているそうだ。 とすると金糸銀糸の刺繍の豪勢なベットも改装ごとに替えたのだろうか? 宝石箱の中身もすごかった らしいし、大体、この宮殿ゥ体がものすごい浪費のY物なのだ。革命が起こるのも無理はない。

さて、王妃の居コを歩いていくと、出口近くで大きな絵画の部屋にたどり着く。戴冠式の大広間である。 飾ってある絵は「ナポレオン一世の戴冠式」壁一面を埋めるこの絵は、ルーブルにあって、ルー ブルで見損ねたとばかり思っていたので、予期せぬ、嬉しいご対面になった。


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