田崎さんのパリ紀行−11
1999-Nov
ギャルリー・ラファイエット 3
〜お買い物行進曲〜
さて、正面テーブルで修羅場が展開されている間にもわれわれのテーブルでも卵責めの地獄が続いていた。
食べ残しを潔しとしないわたしは、かろうじて菜っぱの山をクリアしたが、友人Oの母上と妹さんは卵攻撃
に破れ、ついに皿の底を目にすることはなかった。軽い食魔フはずが重い腹を抱える羽目になった一行は、
腹ごなしのためにも、氓ネる買い物へと移った。向かうは上階の文具売り場。
そろそろ日本へのお土Y探しをしなければならないからだ。ファッションの国フランスならでは気の利いたステーシ
ョナリーでも探そうと目論んでいたのだが、デパートの文具売り場程度ではわたしの気を引くような代物にはお
目に掛かれずじまいであった。
そこで「芸術の都パリ」に路線を変更。文具売り場の一角に美術品関係の売り場があったのをこれ幸いに、土Y
物を物色する。絵画のポストカードやTシャツ・ハンカチなどいった定番ものに加えて、11喧魔ニいう季節柄か平台にカレン
ダーが山積みになっていた。
1週間7日、12ヶ撃R65日のカレンダーは使用にもx障はなかろう。曜日がフランス語表記で祝祭日がフラ
ンスバージョンというのが、いかにもフランス土Yらしくて良いではないか。それにこれで芸術作品に触れる機
会もできようというものだ。わたしの土Yにしてはかなりハイソサエティじゃないか。と一人合点して、ドガ・
モネ・マネ・ルノワール・ピカソ・ゴッホと大物画家のカレンダーを買い漁ったのだった。これでもらった人が
芸術性に目覚めてくれればいうことはない。
ところでフランスのデパートなど大きな売り場での買い物には、日本では考えられない手間が必要である。
幸いにもわたしがカレンダーを購入した所はテナントだったらしく、品物をレジへ持っていって精算するという
日本方式だったのだが、友人Oの妹さんはフランス方式で買い物をっする羽目になった。
このフランス方式というのを説明すると
1.品物を選び、売り場担当の店員に購入意志を示す
2.店員が品物を見て、値段を書いた紙を客に手渡すこの際、客が紙切れを見て不可解な表情をした場合、
売り場の奥を指さして○○のカウンターへ行けと指ヲしてくれる
3.その紙を持って言われたとおり、奥のカウンター=料金支払所(ラファイエットでは銀 行の窓口のよう
になっていた。売り場が広いとこれを 探すのに一苦労する)へ行き、代金を支払う
4.代金と引き換えに領収書のような紙切れを受け取る
5.領収書を持って再びもとの売り場に戻る
6.売り場の店員に領収書を手渡し、品物を受け取るという具合である。
売り場の人はあくまで売り物の管理をし、お金を扱うのは別の人という感覚らしい。店員がお金をレジまで持っ
ていく日本のデパートに慣れている身にとっては、何ともめんどくさいシステムである。カウンターでは行列が
できてたりするので火急の際には不向きだろう。売り場が広いと運動不足の解消にはなるかもしれない。
それぞれに土Y物を購入した一行は、ラファイエットの最終目的地・食品売り場へと向かった。
食品売り場の入り口があるはずの紳m物売り場でひとしきり迷い、エスカレーターと階段でアップダウンをしつ
つ、一行はどうにか食品売り場へたどり着いた。
食品の充タぶりはやはり昨日のスーパーの比ではない。ずらりと並ぶ食料の数々から、(日本での)宴会用にと
食べたことのないウサギ肉の瓶詰めや鴨のコンフィの缶詰を買う。(ちなみに味の方は、ウサギ肉は塩味が多少
きつかったが思ったほどの臭みもなく結構いけた。鴨の方も◎で、重い荷物を引きずって帰った甲斐はあった)
そして重くなった荷物をかかえラファイエットを後にする頃には日はもうとっぷりと暮れていた。それでも週末
のせいか、ラファイエット前の通りの人波は途絶えることなく、通りに飾られたイルミネーションと相まって活
気に満ちていた。
クリスマスが近づく頃にはもっとこのあたりは華やかになるに違いない。そのぐらいの時期に一度訪れてみたいものである。
そしてパリの夜は更けて
日もとっぷりと暮れた中、ホテルへ帰る一行の購買熱はしかし、一向に暮れることがなかった。
スーパーへはまだ足を踏み入れたことのない友人Oの母上と妹さんのために、ホテルと地下鉄の駅の間
にあるスーパーへ行くことになった。(こんなご近所にスーパーがあるのに、昨晩わざわざ地下鉄で遠
征したわたしと友人Oは無駄足を踏んだというわけである。まあ、凱旋門を遠目とはいえ、眺められた
だけでもよしとしておこう)
一端、ホテルへ戻り荷物を置いてスーパーへと繰り出す。
昨日行った所と店名は同じだったが、こちらの店の方がフロアは広いようである。巻き尺で計測してい
ないため詳細は不明だが、少なくとも天井は確タにこちらが高い。
夜もずいぶんと更けてからの来店だったため、客のpはあまりないどころか、パンやなどは閉店してし
まっている。おまけにスーパーでうろつく客のほとんどは、恐らくホテル・ニッコーに宿泊しているで
あろう日本人ばかりであった。
そのせいかどうか、ここにはチョコレートやクッキーの詰め合わせセットといった品が置いてあり、日
本人のおばさま方が値段と内容物を真剣に吟味していた。日本人観光客のいる所にはしっかりとお土Y
品が置いてあるのだなぁと思い知った次第だ。とりあえずはお土Yを購入しているわたしは、ちょ
っとつまめる程度のお菓子を買うにとどまった。それよりも真剣に探している品物があったのだ。
水である。
昨日購入したミネラルウォーターには何の手違いか炭_ガスが入っていたのである。確かにノン・ガス
のモノを選んだはずだったのに・・・などと嘆いても後の祭りだった。昨夜味見したガス入りの水は、
炭_があまり得意でないわたしには飲めるモノではなく、蓋を開けてガス抜きをした今朝の水は気の抜
けたコーラ以上に飲めない代物に成り果てていた。
それを飲んだときは、こんなもの、飲めるかぁっ!とちゃぶ台でも置いてあればひっくり返したい心境
だったのだ。(塩水に得体の知れないほろ苦い薬を入れたような
味なのだ。こんなモノを飲むぐらいなら朝からワインでも飲んでいる方がましかもしれない)
こうして、わたしは、アメリカで飲んだドクター・ペッパー(コーラに各香と苦み成分を入れてかき
混ぜたようなモノ)、トルコのコーヒー豆の粉末入り・極苦トルココーヒー、香港v゙梳陝E檬(名は体
を表す、というわけで文字の通りの代物)に次いでパリでも飲めないものが増えてしまったのだった。
今度こそまともな水を飲むぞ!とミネラルウォーターのコーナーで息巻くわたしと友人O。
店員が来ないのをいいことに、二人して置いてあるボトルを振りまくり(ガス入りだと気泡が出るので)
ガスなしと思われる水を購入したのだった。そんなことしなくてもボルビックでも買っておけば
いいのに、と思われるかもしれないが、やはり見知らぬモノを獅キ方が旅に来た実感があるではないか。
そして、苦労の末購入した水の味は、可もなく不可もなくという感じだった。いや、苦労して買った分
だけ美味しいと思いたい。vいたいのだが、しかし、これが水道水だったとしてもその違いを感じ取るこ
とは、できなかった・・・。
そんなこんなで無事水も確保し、ホテルへと帰還した一行は各々の部屋で、明日のベルサイユの予習を
怠らなかった。
「こっちのるるぶ、見せてね」
友人Oの持っているのは99年版、わたしのは98年版というわけで、見比べて検討してくれるつもり
らしい。その間にわたしはお風呂に入ろうと思ったが、昨日
・一昨日とわたしが先に入っていたので、今日は友人Oに一番風呂を譲ろうと、友人Oに声を掛けた。
「ねぇ、今日はお風呂先に入って−−」
いいよ、という最後の言葉は口にする必要はなかった。つい今し方までるるぶをめくっていたはずの友
人Oは、それはそれは安らかな眠りの世界に旅立っていたのだ。るるぶを手渡してから声を掛けるまで
の所要條ヤ・約5分弱。着の身着のままで、頬杖をついたまま、もしかして起きているんでは? と思
われる格好で寝ている友人Oは、声を掛けても目覚める気配は一向に無かった。
寝付きがいいのはまことに結構なのだが、ぜんまいのきれたおもちゃのように、いきなり寝てしまわれ
るのはちょっと不気味なのだった。(タはほんとうに電池かぜんまい仕掛けなのかもしれない)
こうして、またもや翌日の行き先は検討できないまま、パリの夜は更けていくのだった。
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