田崎さんのパリ紀行−9

1999-Nov

クリニャンクールの蚤の市・3


椅子やテーブルの家具など大物が並ぶ区画を通り過ぎると,銀製とおぼしきフォーク・ナイフ類の カトラリーや小物入れ・絵画などの装飾品が雑多に混じった区画へ足を踏み入れた。

闌|が趣味というO一家の目の色が俄に光る。友人Oは店先にあったビーズの首飾りに目を留め た。閧ノとってしばしの間悩んでいたが「よし,買うっ」と購入を決定。値Dはないので値段は交 渉次第。(仮にあっても蚤の市なので交渉次第で値下げは可能)友人Oはガイドブックの簡単なフ ランス語会話のページを開いて単身交渉に挑む。

店の奥にいた物腰の柔らかい品の良さそうな女人に果敢にアタックし,その5分後,友人Oは目 標額で首飾りを購入することに成功した。ちなみにその店には19世紀ぐらいのものとおぼ しきビロードの服があって,一瞬買おうかと思ったのだが,値段も張りそうだし何より小さすぎて 入らない(q供服だったのかも)のが確タだったので買うのはやめにした。

O家の三人はその後,ビーズのばら売りをしている店先でしばらく悩んでいたが,店蛯ェ店の奥で おしゃべりをしていてどうも買う雰囲気でもなかったようだ。さっきの店でもそうだったが,店 はおしゃべりをしていたり店の奥に陣謔チてお茶を飲んでいたりで,店先にたむろしているぐらい では客扱いはしてくれないようだ。

やたらと品物をすすめられても困るが,一顧だにしてくれないのも買い物下手なシャイな日本人に は困りもののようだ。(わたしは冷やかしだけなんで一向に困らないのだが) よほど冷やかしが多いのか,もっと客の多い時期に稼いでしまって後はどうでもいいのか,何とも 不v議な商売である。

ヤの走る大きな通りを渡ると,さすがにパリ最大の蚤の市,二階建てのアーケードのある立派な通 りが出現した。そこに入っている店舗には,椅子や机が積み上げられていたこれまでの店と違って, ビロード張りのソファーや細かい装飾箪笥などの立派な家具や高そうな絵画がゆったりとしたスペ ースで並べられてある。小物類も細工が豪勢だ。叙ッ向け対貴族向けというか,地元対観光客とい うか,眺めるだけで入る勇気は全くない界隈だった。ニュース番組かなにかは知らないが,テレビ クルーも来ていた。レポーターらしき人はいなかったのでドキュメンタリーものかもしれない。

それはさておき,そのアーケードの奥に18,9世紀から20世紀初頭の世相を描いた水彩画や図 鑑の原画のような絵,古い地図などを扱っている店があり,植物・動物図鑑モノが好きなわたしは 小一時間ほどもその店で過ごしてしまった。何枚か選んで買おうとしたのだが,買いたいものが一 枚千円以上のものばかりで,店の人との交渉でも一枚500円まで値下げしてくれそうもなかった のでやむなくあきらめた。

その店の向かいにも同じように水彩がなどの絵を扱っている小さくてお上品な店があったが,そこ はあきらかに日本人観光客をターゲットに絞っていた。何しろ日本の雑盾フ切り抜きが壁に飾って あるのだ。「パリで見つけた穴場のお店」みたいな見出しが踊っていたが,立派なアーケード内に あるこの店のどこが穴場なのだろうか。ちなみにここの店蛯ヘ日本人と見るやすかさず声をかけて きた。うーむ,さすがだ。目いっぱい絵を漁っても見向きもしない向かいの店とは大違いである。

クリニャンクールでは大抵の店は冷やかしを無視してくれるので見て回るだけでも結構面白かった が,お金があって骨董モノに興味のある人にはお金を散財する絶好の場所といえるだろう。ただし 贋物も多いらしいので,目利きの人と行くのが良いかもしれない。



モンマルトルの問屋街


O家の三人が次に目指したのはモンマルトル界隈にある布地の卸問屋が立ち並ぶ通りだった。 おフランスの布地を買うことが旅の目的の一つであるO家にとっては本日のメインといえよう。

ボタン付けを除けばかれこれ8年近く針を持ってていないわたしは,一家で手芸好きというO家の 面々にただただ感心するしかない。というわけでO一家の後にくっついて歩いていていただけのわ たしは下りた地下鉄の駅名すら覚えていない。ただ,乗り換えの駅が一番汚れていたことだけは記 憶にありありと刻まれている。鰍驍ニころに切符が散らばっているのはもとより,ゴミ箱からはゴ ミが溢れ,歩道のコンクリートが見えているのはほんのわずか,という有様。

もちろん,ゴミ一つ翌ソていない駅もあるのだ。この駅ではゴミの増殖に掃除が追いつかないのか, そもそも掃除する人がいないのか,地下鉄の駅でもずいぶんと格差があるものである。

そして一行は目指す駅へ到着した。モンマルトルと称されるこの界隈は「TITTA(狙)」 (綴りは怪しい^^;)という大安売りの服を売っているスーパーをはじめとする安売り店が並ん でいて,叙ッが生活していますという感じの地区だった。しかし,どんな安売りスーパーだろうが, 何百年も前と同じ石造りの建物に入っているあたりが,日本で云うところの「叙ッ」感覚からはか け離れたものではあったが。ちなみに,安売り店でも呼び込みはしないらしい。入るも入らないも 個人の勝閧ニいうことだろうか。

そんな安売り店の前を通り過ぎつつ卸問屋通りを目指す一行は,みぞれ混じりの小雨という冷たい 洗礼を受けていた。いくら重ね着をしているとはいえ,被りモノをし ていない頭への直接攻撃は効く。Pを持たない一行にパリの天気は容ヘがなかった。

「寒い。さぁむぅいぃーーー」

といくら連呼したところで暖かくなるはずもない。寒さに震えつつ,O人の後をついていく。O一家 の目指す卸問屋に到着した時は,地獄から天国へ辿り着いたという心境だった。 外の外気温に反比例するかのように店内は熱気がほとばしっていた。ちょっと古びた感じの店内に は,卸問屋だけあってたくさんの布地と,老癇j女問わずに布地を買い漁る人であふれていたのだ。 人の多さにバーゲンでもやっているのかと思ったがセールの文字は見えない。どうもこの店では, 人が溢れかえった状態が普通のようだ。

O家の面々も負けじと布地選びに突入していった。裁縫をしないわたしはといえば,奥さんの買い物 に付き合わされているのか,やはり所在なげに立っているおじさんの横で店内の喧噪をぼーっと眺めていた。

店員の客さばきは手慣れたもので,客から手渡される布地を次々と手で裂いていく。(はさみの使 用は数えるほどだった)客は希望の量に切り取られた布地と値段×メートル数が記入された紙切れ をもってレジへと並ぶ。レジの列は,わたしが見ている間,途切れることはなく,フランス人に裁 縫好きが多いらしいことを知らしめたのだった。



モンマルトルの階段


店に散らばったO家の三人も買い物をすませ,布地を手に戻ってきた。穫はまあまあといったと ころか。ともかくフランスで布地が買えて嬉しそうだった。O人が揃ったところで店を出る。

外は相変わらず寒い。一行が入った店は布地問屋の並ぶ通りの一番端, つまり通りの角にあった。そして外に出ると来た道と直角になった通りの向こうに細い階段が見え た。(モンマルトル,階段,と云われてぴんと来る人がいたら,その人はパリに詳しいかよほどの 絵画通もしくはフランス映画好きとみた。)パリ派と呼ばれる絵画の中にモンマルトルの階段 を描いたものがあるのだが,ここに見えているのがどうもその階段のようだった。少なくともガイ ドブックに載っていた絵と同じ階段に見えた。

(フランス映画にもこの階段は登場するらしいが,あいにくフランス映画は見ないので確たる自信は ない)そんなこんなで有名な階段なので,もっと大々的なものだと思っていたのだが,意外にこじ んまりとしている。そのあっけなさは長崎のオランダ坂に通じるモノがある。長崎のオランダ坂は そこへやってきた修学旅行生に,「家の裏にある坂で写真を撮っても同じやんか」と言わしめた長 崎の名所である。で,この階段も何も知らなければただの階段にしか見えない。なるほどオランダ 坂と同じく情緒というか雰囲気は出ているが,まあ,建築物のない名所なんてえてしてこんなものかもしれない。

ところで,「煙と何とかは高いところが好き」の喩えどおり,階段などが在れば上れる所まで上り たいわたしはこの階段を上りたかったのだが,パリで一番高い場所(だったと記憶している)であ るモンマルトルの丘に登ってしまうと次に行くデパートの閉店條ヤが迫ってしまうので,今回は階 段をバックに写真を撮るだけにした。

この写真,友人Oの妹さんと一緒に写ったのだが,まちこまきの妹さんとスカーフを頭に被ったわた しの偽トルコ人(と友人Oが言った)の二人のツーショットは,モンマルトルの階段どころかパリで 撮ったとは思えない写真に仕上がったのだった。


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