凱旋門,蝓かなり
ホテルでは友人Oの母上が比較的元気に出迎えてくれた。一日休養したので明日からは市内散策が できそうとのことで一安心だ。昼食はろくに食べていないらしいのでさっそく夕 飯にする。とはいえ食べに行くのも面倒だ。かといってルームサービスは高いというわけで,スー パーへ買い出しに出掛けることに決定した。今日歩いた限りではホテル辺にはスーパーらし きものがなかったので,ガイドブックで探す。観光地とかブランド店は山のように載っているがスーパーはなかなか見つからない。ようやく見つ けたスーパーはパリの目抜き通り・シャンゼリゼ大通り沿いにあるものだった。闌yに済ませるつ もりが少々遠出になってしまった。
ともかくもシャンゼリゼへ向けてわたしと友人Oの食糧補給部隊が出動した。 地下鉄1号線の「George X」駅で下車。日本の駅は大抵地名が駅名になっているが,パリ ではこのように人名が駅名になっているところも結構あった。だが,別にその駅に銅像が建ってい るわけでもない。その人物に縁のある土地なのか,単に駅の命名者が好きな人物の名前を付けたのか, その由来はいまもって謎である。
ジョージ五世などという立派な名前の駅を出ると,やはり立派な通りが広がっていた。シャンゼリゼ は「大通り」の名に恥じぬほど人と車で溢れかえっていた。
それにしても車のスピードはやはり相当なものだ。もっともそのスピードと車の量は信号無視の多い パリの歩行メに信号を守らせる役目を果たしていたが。そして一直線に延びる道v陦か向こうに,ライト アップされた凱旋門が見えた。通りから凱旋門へ鰍體ケの眺めは何となく見覚えがある。観光用の ハ真じゃないよな・・・とよくよく考えると,フランスのデモ行進のニュースで見たのだった。 テレビで見るパリへ来たんだなぁ,としみじみと感慨に耽る。
暗闇に白く浮かび上がる凱旋門はなかなか幻想的な美しさがあった。ハ真を撮ろうかとも思ったが 夜の撮影に成功したためしがなかったので,後日機会もあるだろうと,ここでの記念B影はやめて おいた。よもや,その後凱旋門を訪れる機会が皆無になろうとは夢にも思わないわたしだった。
スーパーでの発見
スーパーはすぐに見つかった。グランドフロアから上が衣料品,地下が食料品売場というスタイル は日本と同じだ。フランスらしいと思ったのはチーズやワインの種 類が豊富なこと。カマンベールだけでも10類は下らない数を中規模のスーパーで扱っているのだ。しかも安い。ワインもチーズは量産品だろうが,チーズをつまみにワインを傾けるということがお手軽にできる。 さすがワインを水代わりに飲むと言われているお国柄,うらやましい限りだ。そんな毎日は憧れる のだが,毎日そんなことやっていたらアル中になりかねないか・・・。
ところでこのスーパーで発見した日本食があった。iである。巻き寿司がサンドイッチなどの総菜 と一緒に並べてあったのだが,iと呼ぶにはあまりにも貧相なものだった。こめつぶはひしゃげ て形がなく,巻物の中身も何やら正体不明。味の方は買って食べる勇気が出なかったので不明だが, 少なくともわたしはお金をもらっても食べる気はない。しかも売り場コーナーの中ではこの寿司が 一番高いのだ。売れ残っているのも当然の結果とだろう。
このスーパーでは他にもちょとした発見をした。フランスは個人蜍`大国と云われているし,英語 で質問してもフランス語で答えが返ってくる,などという話が当然のように言われている国でなの で,他人には冷たいお国柄だと思っていたのだが,その想像はこのスーパーでひっくり返された。
わたしたちが野菜の量り売り場で買いたい果物のボタンを探しあぐねていると,小柄なマダムが 「このボタンでいいのよ」と指さしてくれたし,スーパーの一角にあるパン屋さんでパンを買って いる時には,たくさんお金の入っている財布はあんまり見せるものじゃないよ,と後ろに並んでい たおねーさんが注意をしてくれたりと結構親切心に溢れている人が多かったのだ。
これが普通なのか,小さな親切運動実施中なのか,それともわたしたちがあまりにも頼りなく思えた (タ際,パン屋ではゼスチャーのみでパンを買っていたので,こりゃあかんと思われても不v議は なかったが)のかはともかく,異国の地で思わぬ親切に触れるのはやはり嬉しいものだ。
こうして無事,食糧の調達を終えて,わたしと友人Oは意気揚々とホテルへ帰還。 待ちかねていた友人Oの母上と妹さんとともに,ホテルの部屋で豪華ながら安上がりな宴会が繰り広げられたのであった。
クリニャンクールの蚤の市・1
11撃Q0日(土)曇り時々菎今日も朝から曇り空。フランスでは日曜日にはほとんどの商店が休みに なるので今日は買い物デーと決めていたのだが,この空模様は,かなり怪しい。 厳しい寒さに対抗するために盛大な重ね着で重装備した身には折り畳みとはいえ,Pは邪魔だった。 昨日のように何とか天気が持つことを祈りつつ,置いていくことにする。
今日はわたし,友人Oと母上,妹さんのフルメンバーで出発だ。
「さむーーーいっ」
ホテルから一歩出た悲鳴を上げる。外気温そのものが氷のように冷たい。さすが,北海道と同じ緯 度だというだけはある。が,それにしても少し寒過ぎるような気がするのだが。
買い物ツアー一軒目(?)は,クリニャンクールの蚤の市だ。パリには大小交えてあちこちに市が 立つらしいが,このクリニャンクールは骨董品を蛯ノしたパリでも最大の蚤の市だという。観光客 ずれしてあまりお安くはないらしいが,大は小を兼ねる,というわけ一路クリニャンクールへ。
今日乗り込む駅は昨日のビル・アケムとはホテルをはさんで反対方向になる10号線シャルル・ミ ッシェル駅だ。(英語読みだとチャールズ・ミカエル,ドイツ語読みだとカール・ミヒャエル駅。 わたしの頭は英語読みの方で処理していた)オデオン駅で乗り換えて,4号線の終着駅である クリニャンクールへと向かう。
終着駅とはいってもパリs内を走る地下鉄のこと。所要條ヤは30分ほど。 友人Oの母上が今日が初めての地下鉄なので,知ったかぶり三人組がドアの開け方などを伝する。 そして乗り込んだ車内で,一行はフランス人の服装チェックに余念がなかった。
それにしても欧米人はどうして顔があんなに小さいのか。わたしより小柄なフランス女性は大勢いた が,わたしより顔の大きな人にはついぞ巡り会えなかったのだった。
欧米人とアジア人のスタイルの違いを比較研究をしている間に列車はクリニャンクールへと到着した。
クリニャンクールの蚤の市・2
駅を出ると小雨がぱらついていた。ホテルを出たときより寒さも増したように感じる。 吐く息は真っ白だ。駅を出て看板にある地図を検討しつつ,勘と人の流れを頼りに蚤の市を目指す。駅からほんの少し歩いたところでテント張りの露店がずらりと並ぶ広場にぶつかった。意外に簡単 に見つかったな,と思って見て回るが,蚤の市にしてはやけに衣料品の類が多い。革ジャンやジー パンもしくは偽ナイキシューズを売っているのでなければ怪しげなアフリカ風置物を扱っている店 しかない。これに原色で飾った派閧ネ看板があって売り子が黒人でなくアジア系だったら香港の男 人街あたりに似て無くもないが,それほどの活気もない。
どこから流れてくるのかアフリカ風な民族音楽だけが大音量で賑わっていたが,大した客もおらず その客も冷たい雨に震えながらとぼとぼと歩いているような状態では,それも空しく響くばかりだ。 何か違うぞ。
こんなところがパリ最大の蚤の市のはずがない。露店を一周してもう一度ガイドブックを開く。が, この周辺の詳しい地図がなくて判然としない。地図とにらめっこしてもらちがあかないのでとり あえず先へ進むことにした。sはすぐに見つかった。
露店のある広場に沿って延びるパリs内を囲む高架の環状道路をくぐった先に標ッと立派な看板が あったのである。蚤の市への客を引っかける露店v皓に引っかかっ てしまったのか。寒空の下で無駄な体力を使ってしまった。蚤の市,浮闢し。
さて,その蚤の市は,今日の天気と同じく寒々としていた。とにかく客の姿がない。さっきの露店 の方がもう少し客がいたと思うぐらい客がいない。蚤の市ではスリに用心しろとあったが,その心配 はなかった。テントョ露店ではなく,ちゃんと屋根もショーウィンドウもある店が並ぶ通りを歩く 人の姿は皆無かいても一人か二人。わたし達l人が歩くとすでに集団状態なのだ。
これでは店の人も商売根性は発揮できまい。店蛯スちはみな店の奥に座っているか商品を並べ 替えるかして,寒い店の外で呼び込みなどをする気はまったくないようだった。 そんな寂しげな通りで一匹の犬を発見した。
大きさはポメラニアンほど。茶封筒とクリーム色を混ぜ合わせたような色の巻き毛はもつれた毛糸 状態で,目鼻は巻き毛に埋もれて皆目分からない。歩く様は動く毛玉といった感じだ。 その犬が人懐っこく寄ってきて,先導するように先を走るので後を付いていったら一軒の店に入っ て行くではないか。野良でもおかしくないような汚れ具合だったが,その後店先につながれている のを見掛けたので飼い犬と判明。栫X,通りに出て客を店先に案内する営業部長の役目を仰せつか っているようだ。
その店は椅子などの家具を扱っている店だったのでわたしは客になりそこねたが(椅子を日本まで 運ぶのは至難の業),こういう呼び込みをされるとつい買ってしまいたくなるものかもしれない。 そんな犬好きの客をさがして今日もあの毛玉犬は客を店に呼び込んでいることだろう。