田崎さんのパリ紀行−7

1999-Nov

ルーブルからの脱出

歩き疲れた一行は遅い昼食を取ることにした。本当は途中でお茶でもしようと,ガイドブックに あった王侯貴族になったような雰囲気が味わえるという「カフェ・マルリー」を探していたのだが, ルーブルの広さに翻弄され,マルリーを発見することはできなかった。途中で見つけた(ルーブル 内部にはいくつかのカフェが在る)カフェは満員で,結局,地下のカフェテリア形ョの食堂に入るまで休憩はできなかった。

昼食は何故か全員がサラダ。わたしがケーキを取って三人で分けたりもしたが,しかしサラダだけ とはいえ,器はどんぶりサイズ。一食には十分な量があった。食べても食べてもなかなか減らない。 しかも,何事もチャレンジ,と思い,かけてみた正体不明のドレッシングは強烈な臭いとこくのあ りすぎるチーズとクルミの入った濃厚なものだった。中華ドレッシングにしておけば良かったあぁ。 などと後悔しても後の祭りであった。

昼食の後は,地下鉄の駅からルーブルの入場口まで連なっていた店でお買い物タイム。 友人Oはいまだ出てこない荷物に入っている化粧品を補充するために「ボディ・ショップ」へと向かった。

フランスまできて何故イギリスの化粧品かというと,知っているものが安心という理由から。さす がに化粧品にはチャレンジ精神は発揮されなかったようだ。

その後ミュージアムショップを探し回ったが,結局それらしきものは発見できなかった。ガラスの ピラミッドのキーホルダーとか置物とか,そんな土Y物屋は日本にしかないのだろうか・・・・ (あっても買うつもりなどないのだが)地下に軒を連ねるショップをひやかして回った後 は,さてどこへ行くか。地図を広げて検討の結果,歩いて行けそうなノートルダム實@を目指すことになった。

ガラスのピラミッドの下にある螺旋階段をのぼり地上へ脱出。 そして通りの方へと歩いていた時に友人Oがそれを見つけた。 「ここにあるじゃん」と友人Oが指さした先にはカフェマルリーの看板ならぬ旗がルーブルの外壁 にゆらゆらとはためいていた。

ガイドブックではまるでルーブルの中にあるかのごとく書いてあったのだが。 外から入るのならそう書いて欲しかった。あれだけルーブルの中で探し回ったわたしたちの苦労は, 一体なんだったのか。

もう,お茶をするようなお腹の余裕もなく,泣く泣くマルリーの前で記念B影だけして一行はルーブルを後にした。



シテ島にて

ルーブルから一転,目指すはシテ島にあるノートルダム實@。観光バスが歩行メなどお構いなしに 轟音をあげて次々とルーブルへ突進してくる門をくぐり抜け,リヴォリー通りへ出るとセーヌ川方面へと歩いた。

シテ島というのは大阪における中之島のようなものだと,大抵のガイドブックに紹介されているセ ーヌ川の中州の島だ。中州といってもかなり大きな島である。中州だし,島だし,と漠然と考えて いたわたしはいつまで歩いても島らしきものが見えないので少々不振に思っていた。そして川幅も 島があるとは思えないほど狭まっていた。

「島なんてないよねぇ」「対岸だよね,あれ」

セーヌ川に架かる橋の向こうは左岸側だとかたく信じていた。 パリではセーヌ川を挟んで右岸,左岸という言い方をするらしい。セーヌ川右岸にあるのは今日見 て回ったルーブルや凱旋門,エリゼ宮も右岸だ。左岸にはエッフェル塔やオルセー美術館,リュク サンブール宮などがある。ちなみにわたしたちが泊まっているホテル・ニッコーも左岸側にあたる。 (シテ島はどちら側になるのか?)しかし,どう考えてもシテ島が見えていなければ おかしな距離を歩いている。地図を見てももうセーヌ川にはシテ島があるはずなのだ。もしかして。

疑問に思う必要はなかった。もしかしなくても,左岸だと信じていた対岸こそがシテ島だったのだ。 考えてみれば地下鉄の駅があるような島なのだ。さも対岸のような建物が並んでいてもおかしくは ないぐらい大きな島なのだ。

「だまされたぁぁ」というのがその時の正直な感想である。が,考えてみればわたしの住む福岡に だって地下鉄の駅がある立派な中州(地名もそのまま”中州”で,福岡の歓楽街の代名詞となっている)はあるのだ。

しかし,大した川幅もないセーヌ川のど真ん中にある島にしては大きすぎると思うのは,わたしだ けだろうか?ともかくも,シテ島と判明した対岸へと橋を渡る。 ここでも先生に引率された元気な小学生集団と出喰わした。フランスでは学校の外での見学業が さかんなようだ。

なにもこんな寒い中で外に出なくてもと思うが,小学生達はいたって元気だった。それとは対照的 に,川面を渡る風の冷たさに身を縮めながら一行はノートルダム實@を目指したのだった。



ノートルダム實@

観光シーズンにはツアーのバスが山ほど止まっているというノートルダム實@前の広場は,灰色の 空の下,寒さを増大させるかのように閑散としていた。餌を求める鳩と数えきれる程度の観光客。 ちょっと侘びしいな,と思いながらノートルダム實@の方へ近づくと,もっと侘びしい光景が広がっていた。

實@の正面が改修中だったのだ。広場に面しているノートルダム實@のファーサー ドは工沫pの鉄骨とベージュ色の素っ気ない布に覆われていた。彫刻を施した三面のアーチ型の入 り口はもちろん,そのうえにずらりと並んでいるはず彫像などみじんも見えなかった。

見えるのは味も素っ気もない工膜サ場とそこからそびえ立つ二つの塔のみ。實@の大きさだけはわ かるものの,それだけにこの光景は,侘びしい。しかし,ここでくじけてはいけない。ローマのト レビの泉にコインを投げ入れたら再びローマに戻来るという言い伝えがあるように,パリではゼロ 起点を踏むともう一度パリへ戻って来られるらしい。こうなったら,ノートルダム広場にあるとい う,そのゼロ起点を踏んで仕切直しだ。

O人でゼロ起点のマークを,vいの丈を込めて踏みしめる。ちゃんと証拠ハ真まであるので,きっ とパリへ戻って来るはずだ・・・・。

ノートルダム實@のファサードは残念ながら改修中だったが,内部見学は可能だった。 内部の見所は,文字の読めないのために人に聖書の場面を再現したというステンドグラス。 特にバラ窓と呼ばれる南と北に設置されたステンドグラスはその美しさと壮麗さで有名だ。 工沫p鉄骨の間から申しわけ程度に開いている入り口を通り中へと入る。内部は予想外に暗かった。 明かりといえばステンドグラスを通して差し込む光と,両脇に並ぶ腰の高さほどのテーブルに灯さ れた無数のろうそくの明かりだけだ。

そして寺院の中は広場の閑散とした様qとは反対に観光客でいっぱいだった。外で記念B影が出来 ない分,内部でやろうというのか写真を撮っている人が結構いたが,この薄暗さと天井や壁までの 距離を考えるとフラッシュが届くのは人間だけで背景は写っていないことは確タだろう。

とにかく天井は高かった。石積みのアーチe陦か高みにある。よくもまあ,ここまで積み上げたモ ノだと半ばあきれ半ば関心しながら歩く。色鮮やかなステンドグラスと揺らめくろうそくの 炎では全体は見渡せないのだが,それだけに神秘的ではあった。たとえ,石積みのアーチの下に観 光客がひしめいていようとも。



ホテルへの帰還

ノートルダム實@を出る頃には,もう日は暮れかけていた。冬ももうすぐそこというパリの日は予 想以上に短く,寒かった。5桙ノは戻ると言い残してきたのが,もう4梍シ。 友人Oの母上もいい加減待ちくたびれているに違いない。一行はホテルへと戻ることにした。

帰りの足ももちろん地下鉄だ。パリs内を縦横無尽に走る地下鉄で大抵の観光地 には行けるし,目的地までの駅名がはっきりわかるし料金も一回150円ほどとお安い。路線は全 て数囎\記で,看板には路線の数嘯ニ最終目的地が必ず書いてあるので,確認さえ怠らなければ乗 り間違えて迷子になる心配はまずない。万が一間違えても戻れば済む。スリが多いと言われている が,行き先がわからないバスよりはましだろう。というわけで,わたしたちパリ旅行初心メ一行の 足として地下鉄は存分に活躍したのであった。

シテ島駅への道すがら,警@署を発見。通りの先にはいかめしくも堂々とそびえる裁判所も見える。 どうやらパリでは警@に捕まって裁判を受けてノートルダム實@で懺悔,というゴールデンルート が形成されているらしい。よくできているじゃないかと思わず感心。もっとも懺悔する人があの観 光客でいっぱいのノートルダム實@へ行くのかは疑問だが。

そして目指すシテ島の駅は警@署の向かいにあった。島にあるせいか,駅のホームへは地下深く潜らね ばならなかった。今回のパリ旅行の中では一番深い駅だったのではないだろうか。

サスペンスドラマで犯人に追いつめられる(もしくは追いかける)という場面が似合いそうな,非 常階段のような吹き抜けの階段をひたすらに下りる。他の駅の2倍は下ったところでようやくホームに辿り着いた。

そしてホテルまで戻るのにシテ島を走る4号線からモンパルナス駅で6号線へ乗り換えが必要だっ たのだが,この乗り換えがまた長かった。行けども行けども目指す6号線のモンパルナス駅が無いのだ。

階段を上って下りて,通路を歩いてまた階段。ついには空港で見掛ける動く歩道まで登場する始末。 が,長い長い動く歩道に乗っても目指す駅はまだ見えない。もしかして,迷った? まさかヒースロー の再現か? と恐れて始めた頃,ようやく6号線のホームが見えたのだった。

この乗り換えのために一駅分は確タに歩いたはずだ。地下鉄の乗り換えに大きな駅は使用しないに限る, と悟ったモンパルナス駅の乗り換えだった。   


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