田崎さんのパリ紀行−6

1999-Nov

パリの夜明け

11撃P9日(金)曇り時々晴れ

初めて見るパリの朝は寒そうな曇り空だった。ロンドンとパリに1條ヤの時差があることを知 らず,7桙ノ起きたつもりが8桙セったというハプニングもあったが,とりあえず,朝食を食 べに階下のレストランへ行く。ツアーに含まれている朝食はビュッフェ形ョだった。

パン4・シリアル・卵料理・チーズ1・ヨーグルト・スープは定番であとはハムの類が1 〜2と温野菜が日替わりで付くというオーソドックスな内容だ。日系のホテルなのでおかゆ があったのが少し変わったところか。

さて,このレストランでわたし達には見慣れた一行を発見した。昨日ヒースロー空港まで一緒 だったあの茶髪若者集団である。シャルル・ド・ゴール空港では影も形も見えな かった彼らが何故ここに? 一体いつパリに着いたのか? ヒースローではわたし達の移動の 方が早かったから彼らが着いたのは真夜中を過ぎていたはずだが,それにしても元気なものだ。 痰ウっていいなぁ。(しみじみ)

そんな若者集団に混じってクロワッサンを食べつつ今日の予定を練る。行き先はルーブル美術 館。美術館見学の後は,まあ適当にしようということで決定。(結局何も決めていないも同じ) だが,いざ出発という段になってO母がダウンしてしまった。檮キもあるし,旅の疲れも重な ったのだろう。ここは無理をせずルーブルはパスして明日に備えホテルで休んでもらう。

cる三人は防寒対策をして出発した。目指すは地下鉄10号線Bir Akem駅。ニッコーか らはエッフェル塔を目指して進めば良い。10分ほど歩いて駅へ到着。階段を下りた先に 路線図があったのでそこでルーブルまでの乗り換えを確認する。が,何かが違う。

これは地下鉄の路線図じゃないのでは・・・? 貼ってある路線図とガイドブックとをにらめっこの末, ここは市の鉄道の駅と判明。わたし達は行きすぎたのだ。地下鉄の駅を探して来た道を戻る。 そして少しばかり歩いた先に,高架の鉄道が見えた。しかもそれはガイドブックの路線図どおりセーヌ川を渡っている。

「もしかしてあれが地下鉄・・・?」

その通り。高架鉄道に近づくとさっきは見過ごした『Bir Akem』の文字があるではない か。わたし達が乗るのは地下鉄じゃあ,なかったのか?

『地下』だからといって地面の下を走っているとは限らない。昨日から乗り物関係では振り回 されている一行だが,パリへ来ても地下鉄にすら翻弄されるのだった。



いざ,ルーブル美術館へ

さて,地下鉄に乗るためには切符を買わねばならない。O日間の滞在なので1枚売りの『ビエ』で はなく10枚売りの『カルネ』を買うことにした。パリの地下鉄は市内ならばどこまで乗っても同一 料金なので,まとめ買いの方がお得なのだ。切符購入の特攻隊長には満場一致で友人Oが指名された。

「えーっ,пCフランス語なんて知らないよぉ」

即席隊長Oの抗議は黙殺された。このメンバー中フランス語の分かる人間なぞ,皆無なのだ。否応 無く,隊長はガイドブックを手に出陣した。

「アン・カルネ・シムブプレ」(カルネをひとつ下さい)

初のフランス語は見事に通じて(観光客も多いこの辺りの駅だったら当たり前か),特攻隊長Oは 無事,切符購入の任務を果たしたのだった。ルーブルへは10号線の終着駅まで行き,そこで 乗り換えが必要だったが,乗り換えは看板の矢印に従って歩きさえすればよく,わたし達のような 初心メでも簡単にできた。地下鉄の乗り換え成功に気をよくした一行は,そのままルーブル美術館 へと無事到着したのだった。

さすがに天下に名だたるルーブル美術館は人でいっぱいだった。そこには個人客・観光の団体客に混じ って小学生の集団らしき子供達も美術館見学へ来ていた。q供集団は一学年というには数が少なく,一 クラス分の人数と思われた。先生もどうやら一人のようだ。日本じゃ一クラスではあんまり外には連れ 出さないよなぁ。(少なくとも,わたしの通っていた学校では,外の施設に行くのは学年単位で移動す る社会科見学とかの時ぐらいだったように思う)外国の学校はやはり違うのだなぁ。

インフォメや切符売り場はガラスのピラミッドの下に位置しており,地下といえどガラスを通して陽の 光が降り注いでいてとても明るい。これもピラミッド・パワーか?

それにしても,陽の光があるというだけでなんとなく明るい気分になってくる。人間,太陽の下で生き るようにできいるんだな,と実感しつつ,インフォメーションにかろうじて残っていたで日本語のA4 縦変形サイズ一枚の案内を手に入れ,切符を買う。いよいよルーブル突入体勢が整ったわけだが,困っ たことに入り口は三つあった。

コの字型になっているルーブルは,セーヌ川に沿って建つデゥノン翼,それに向かい合う形でリヴォリ ー通り沿いに建つリュシリュー翼,この二つを繋ぐ方形中庭を持つシュリー翼の三つの館から構成され, それぞれの館への入り口が設置してあるのだ。この時点でルーブルの広さと複雑さを認ッすべきだ ったが,いかんせん,日本の「美術館」感覚から抜け出せていなかった。入り口が三つだろうと四つだ ろうと中では繋がっているし,いくら広いとはいっても,見たいモノをチェックしてそこを回ればいい, とかるーく考えていた。

そして第一の攻撃(?)目標は妹さんが見たいというミケランジェロの彫刻に決定した。達は彫刻の 置いてあるデゥノン翼へ向けて突撃を敢行した。



ルーブルの地獄絵

めでたくミケランジェロともご対面できた一行は氓ネる目標を絵画に定めた。 目指すは世界に三十数枚しかないといわれるフェルメールの「レースを編む女」だ。一枚で億は下 らないと思われる(あくまで私見),フェルメールの絵を生で見られるのだ。

目標設定者であるわたしは意気込んだ。もちろん道先案内人は友人Oと妹さんである。 絵画のほとんどはリュシリュー翼にあるので,いったんデゥノン翼を出て真向かいにあるリュシリ ュー翼入り口に向かう。そこから二階まで上がって絵を眺めながら下りていく算段だ。

フェルメールは意外にもすぐに見つかった。そして意外に小さかった。『るるぶ・パリ』にあるよ うに「気を付けてみないと見翌ニ」しそうなほど小さい。だがフェルメールの絵の柔らかな色調, 光の具合は大きさに拘わらず,心和ませるものだった。

最終目標を「モナリザ」に定め,一行は奥へ奥へと突き進んだ。フェルメールと出会った時点では まだルーブルの本当の恐ろしさを知らなかった。

ルーブル美術館のもとは宮殿である。宮殿であるからには王様の部屋だとかお后様の部屋だとか召 gいの部屋だとか大小様々な部屋があるわけである。しかもここはヨーロッパのお城。その装飾は 日本のわびさびの風情などどこ吹く風の装飾過多。柱や扉のデコレーションケーキのような装飾はも とより高い天井にまで原色も鮮やかな絵が描かれてある。

そんな大小の部屋の壁に掛かる絵画の数 は半端ではなかった。すき間恐怖症の人間が指図したんじゃないかと疑いたいぐらいに,どの部屋 も所狭しと絵が掛けられているのだ。一つの壁に対して平均5点から7点。大きい絵でもその横に 小さな絵が上下に並んでいたりするから,小さいもの(幅広の絵で横1メートルぐらい)だけにな ると10点は下らない。l方の壁全てがそんな風に絵で埋まっている。(窓の部分は除く) 絵,絵,絵の大洪水。それがルーブル美術館だった。

一部屋,また一部屋と通過するごとに一行の足取りは重く,巨は虚ろになっていった。 大雑把に掛けられているようでも,これ名作傑作の類なのだ。画家の魂がこもった(たぶん)代物 だ。そんなものに囲まれ続けて,延々と続く部屋には終わりが見えない。気疲れするのもむべなるかな。

そんな部屋の合間にそのホールはあった。その名もルーベンスの間。 アニメ「フランダースの犬」の主人公ネロが死ぬまで憧れ続けた,あの画家の絵が飾られている部屋である。

一歩足をそこに踏み入れたわたしは即座に回れ右をしたくなった。 ホールは広かった。天井には曇りガラスから自然光入って明るく,中央にはいくつものベンチが置 いてあった。設備だけを取ったらこれこそ美術館という風情だ。だが。

だがこんな絵の並べ方があっていいものか。掛かっている絵は全て縦3メートル横1.5メー トルはあろうかという大物ばかりで,それが長さ20メートルほど(ъゥ)のホールの壁に隙間な く,ずらりと並んでいるのだ。

「ぎょえーっ」

心の中でだけ叫んだつもりが言葉になって出てしまうほどその部屋は強烈だった。ルーベンスの絵 は色彩豊かで,それが何十枚掛けられた部屋は相乗効果で極彩色空間を形成していた。ネロなら喜 んで一枚一枚を子細に見たかもしれないが,余白の美を求めるわたしにとっては,拷問部屋に等しい存在だ。

さらりと上っ面を眺めて早々にその部屋を後にした。もったいないと思われるかもしれないが,な にしろ脳の処理速度がルーブルの情報量にまったく追いつかず,クラッシュ寸前だったのだ。 それでもルーブルを一通りまわったのは,ひとえに根性のたまものといえるだろう。



微笑はガラスの向こうに

ルーベンスの間を早々に抜け出し,またもやルーブルをさまよい歩く。一通り部屋を眺め渡して次 の部屋へ進むといった具合で,中部屋にくっついている小部屋にいたっては,もう覗く気力もなくなってきた。

六畳一間分もありそうなでっかい絵がかかっている部屋もあれば,ミニチュア肖像画がある小部屋。 歩けども歩けども絵画の部屋は尽きることがない。もしかししてアメーバのように分裂して増殖して いるのではないか。そんな疑いさえ抱きたくなってくる。

やがてなにやら人だかりのある部屋に行き着いた。20メートルほどの長さの部屋の真ん中に十数人 の人がたかっているのだ。これは,もしかして。駆け寄る一行の目にモナリザ様の微笑みが見えた。 長い旅路の末にようやく巡り会えたのだった。

「なんか,ウソみたい」

「いやぁ,会えるとは思わなかった」

ルーブルに展ヲしてあるのだから在って当然なのだが,展ヲコが膨大すぎて見過ごしたのでは,と 危惧していただけに喜びもひとしおだ。ここには幸いツアーの団体様はおらず,難なくモ ナリザの前に陣謔驍アとができた。

うーむ,これがモナリザの微笑かぁ。この微笑が世界中の人を魅了しているのか。 わたしとしてはミロのビーナス像の方が美人に思えるが。きっとこの微笑のどこかに心を捉える何かがあるに違いない。

その微笑の謎はともかく,この絵が特別なものであることだけは,はっきりしていた。 Rのように展ヲされている絵画の中でモナリザの絵だけが厚いガラス(かアクリル板)で覆われていたのだ。

泥棒対策か(過笈齠x盗まれた経験有り)はたまた押し寄せる観光客対策か。おそらくその両方だ と思われるが,泥棒の方はともかく,観光客の方はものおじせずに写真を撮りまくっている。しか し,いくらモナリザと一緒に写りたくてもフラッシュを焚くとガラスに反射して絵は写らないと思うのだが。

ここ,ルーブルでももちろんフラッシュB影は禁~されているのだが,それを守っている客はいな かった。ついでにそれを止める警備員も皆無。出入り口で手荷物検査などをする割には中で注意す るような警備員を見掛けることがない。職員数が足りないのか,単におおらかなのか,フラッシュ B影をする観光客の多さに注意をあきらめているのか,モナリザの微笑とともにそれは謎だった。

モナリザを後にして絵画の部屋(というより廊下になっていたが)はまだまだ続く。イタリア・ル ネッサンス期の絵画が並べてある所で,妹さんが目当てにしていたラファエロにも巡り会えて,ル ーブル攻略作戦はほぼ完了した。

しめくくりは宝物の類を展ヲしているアポロンの間だ。Rのような彫刻・絵画類に比べると展ヲ品 の数はずいぶんと貧相にも思えたが,宝冠などに付けてある宝石の大きさは貧相どころではなかっ た。メインの宝石の周りを飾るダイヤでも3カラット4カラットは下らないだろう。冠は宝石で埋 め尽くされていて,小さい石を一つぐらい失敬してもばれないかもしれない。

アポロンの間はルーブルが宮殿であったころの栄華の日々を思わせてくれた。


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