田崎さんのパリ紀行−5

1999-Nov

空港までは来たけれど・・・1

到着ロビーに出迎えはもちろん,無い。無いどころかほぼ無人に近い。50メートルに一 人か二人ぐらいしか人の居ない空港というのははっきりいって不気味だ。

相変わらず暗い照明の下で,ホテル・ニッコー行きのバスに乗るためにもらってきた空港内の地図 と案内を広げる。ちなみにこのバスはツアー料金に含まれているので,バス代の心配や交渉の心配 はいらない。乗り場まで行けば万麻Iーケーだ。そして,案内によるとホテル行きのバスはターミ ナルCの方へ行けば良いらしい。

空港に設置してある案内板と持っている地図とを照らし合わせながら件のターミナルへと向かう。 ロビーのガラス越しに見える外は真っ暗で,何だか逐Wたる気分になってくる。

今いるターミナルBからCへ行くにはBの端から一階下りて通路を渡らねばならない。 端まで来ると「ターミナルC↓」の表ヲがあった。いかにも業務用向きのエレベーターで下へ下りる。 エレベーターのドアが開くとまた表ヲがあった。

『ターミナルC↓』

あれ?わたし達は慌ててエレベーターへ戻り,もう一階下へ行こうとボタンを押す。が,乗っているエレ ベーターはそれより下へは表ヲが付かない。あれ? あれ??と悩む間にエレベーターは再び上昇してしまった。

もう一度再トライ。着いた先はやはり先ほどと同じ場所だ。しょうがないのでエレベーターを下りて地図を広げてしば し考え込む。エレベーターの横にあった階段も上へ行くもので下へは続かない。こんな所で迷子に はなりたくない,と思っていたら友人Oがわかったと声を上げた。

「この↓,真っ直ぐって意味じゃない? 日本だと↑になるけど,こっちだと↓になるんだよ」 おお,そうだったのか。新たなる発見!記号は万国共通だと思っていたけど,そうか,真 っ直ぐの表ヲは違うのか。

空港内の標ッに軽いジャブを喰らわされ,重い足謔閧ェさらに重くなりつつも,ようやくターミナルCへと辿り着けそうで一安心だ。



空港までは来たけれど・・・2

しかし,歩いても客の姿どころか空港職員とおぼしき人の姿も見えず,通りすがりのエスカレータ ーは補修工亦といった様を見るに付け,イヤな予感がまたもや増大してくる。

ちょうどレンタカーのカウンターがあったのでそこの人にバス乗り場のカウンターを聞くが知らな いと言われる。そこで通路の途中に母・妹組をおいて荷物を預け,わたしと友人Oで偵察へ行くことにした。

通路の端まで行くとそこには上の階へあがるエスカレーターがあったがそこも当然のようにストッ プしていた。やばいかも・・・と内心vいつつも上っていくと通路があり,また止まったままのエ スカレーターがある。その通路の脇にカウンターがあったが無人。

エスカレーターをさらに上へ上がったが,そこは到着ロビーらしき所で,これま た無人だった。尋ねる人もおらず,偵察隊は何の成果もなく引き上げねばならなかった。

妹さんの持っている案内を見せてもらい,やはりあの無人のカウンターがホテル行きバスのカウン ターだと判明。ヒースローではなくシャルル・ド・ゴール空港に置いていきぼりになってしまった。 「どうする?」「どうしようもないよ,タクシーgってホテルへ行くしかないよ」

「さっきのターミナルにタクシー乗り場あったよね」

ゥ力でホテルへ行く羽目になり,元のターミナルへ向かうわたしの足取りがもうこれ以上は無いと いうほど重いものになったのは言うまでもなかった。



真夜中のハイウェイ

タクシー乗り場は簡単に見つかった。スーツケースを引きずる4人組を見て(一人は 荷物は無いのだが)一番前にいた普通タクシーのおじさんは外へ出てきて俺のはダメだよ。大 きいのに乗りなさい,と両手を広げてオーバーアクションで説明してくれる。その大きなバン タイプのタクシーもおじさんのタクシーの5台ほど後ろの方にすぐに見つかり,ホテル・ニッ コーまで料金350フランで話が付いた。空港に設置してあったキャッシュコーナー(無人の 空港の機械は24條ヤ営業らしい)で1000フランの現金を入手していたのでとりあえず間に合いそうだ。

それにしても海外口座を開いていて正解だった。何しろ空港のロビーでは,その機械以外両替所 も何も見つけきれなかったのだから。まさかクレジットカードやトラベラーズチェックでタクシーに乗るわけにもいくまい。

大型タクシーに荷物を乗せて深夜の空港を出発する。タクシーに乗る際に,助關ネになった友 人Oが間違えて運転席に座るという,お約束のぼけの後(右側通行なので運転席は日本と逆の 左側になる),一行を乗せたタクシーは深夜のハイウェイを疾走した。

タクシーのスピードメーターは,日本だと料金メーターが付いている部分にあって,後部座席 からでもスピードが読めるのだが,その数嘯ェすごかった。80.90など一瞬に過ぎ汲閨Cあっという間に140の大台に乗った。

夜中とはいえ,乗用ヤもトラックけっこう走っているハイウェイを軽やかに車線変更しつつ かっ飛ばすフランスのタクシー。神風タクシーの名称はこちらにこそふさわしい?! ちなみに単位はキロメートル/栫Bこれがマイルかなんかだと,もはやそれはF1だろう。 さすがに140台はあまり出さないが数嘯ヘほとんど120〜130台。そしてそんなスピードでも追い越しをかけられる。

しかし,フランスの車はスピードもさることながら,その運転が凄かった。こんなスピードで走っている車をさらに追い抜 くどころか,トンネル内三ヤ線の一番左から一気に右端の出口へ走り汲チていった車(しかも 軽ゥ動車サイズ)がいたのだ。これにはタクシーの運転閧焉uクレイジー」と呟いたとか。 ううむ,さすが映画「RONIN(ローニン)」の舞台になっただけはある。この映画は車酔い しそうなほどリアルなカーアクションが売りなのだが,悪酔いしそうなほどクレイジーな運転 は何も映画に限ったことではなかったのだな。

フランスで運転するのは絶対に止めよう。

わたしは固く心に誓った。



長い一日の終わり

30分は走っただろうか。タクシーはハイウェイを抜けて市街地へと入った。 s街地の道は思った以上に閑散としていたが,その分路上駐ヤの群が出迎えてくれる。しかも 噂通り車の前後の隙間はわずか2〜30センチしかない。この縦列駐ヤ,入れるのも出すのも 難しそうだ。噂ではこの前後の車にどかどかとゥ分車をぶつけ,隙間を広げて出入りするそ うだが,c念ながら滞在中そういう場面にはお目に掛からなかったので真相は未確認だ。ただ, どの車もバンパーなどはぼこぼこだったのは付記しておこう。

そして車はセーヌ川の河岸を走り始めた。ライトアップされたエッフェル塔を見たときの感動 は言いしれぬものがあった。長い旅路(大げさ)の果てに見たエッフェル塔の美しさはこの日が 一番際だっていたように思う。

さて,エッフェル塔の美しさに比べて,わたしの心中は暗かった。というのもホテルの部屋が キャンセルになっているかもしれないと心配していたのだ。ホテルの部屋は予約していても 6桙V梔゚ぎても連絡が来なければキャンセル扱いになることが多い。そして今はもう夜の 11桙ョらいになっているだろう。電話をしておけば良かったのだが,そこまで頭が回らなかった。下手すると部屋が無いかもしれない。

こんな異国の寒空の下に掘り出されたらどうしよう。今までの経過が経過だけに不安は尽きな かった。そんなわたしの不安を余所にタクシーはホテル・ニッコーへ到着した。

照明e゙梶Xときらめくエントランスからエスカレーターでフロントのある階へ上がる。 エスカレーターの降り口の横には一人の日本人男性が立っていた。閧ノは分厚いファイルを持 っている。そして,わたし達の姿を見るなり,「O様ですか」と聞いてきた。一同s員くと, 「わたくしツアー会社の能登(仮名)と申します。お待ちしておりました。部屋はもうチェッ クインしてありますので,そのままお部屋の方へ行かれて下さい」と言うではないか。 どうせならホテルではなく空港で待っていて欲しかった。

ともあれ,長い長い一日が終わり,わたし達は無事,暖房の効いたホテルのベッドで寝ることができたのであった。


次へ