田崎さんのパリ紀行−4

1999-Nov

ヒースロー空港で大波乱・真っ白に燃え尽きて

l人でロビーの椅子に座り込む。ああ,これで置いて行かれることはなくなった。 という安堵感とそれまで悲愴な状況で走っていた疲労感が一気に襲ってきた。 「こんなに走ったのは何年ぶりかなぁ」いつ全力疾走したか思い出せないほど,そうした 機会には恵まれていない(恵まれたくもないが)一行だった。

そして比較的元気な友人Oが延着の情報を仕入れてきてくれた。それによると,アムステルダム→ パリ→ロンドン→パリと飛行機が回るはずが,悪天候でアムステルダムからの便がまだパリに来て いないらしい。そういう状況なので,パリ行きがいつになるかもわからないらしい。

とりあえず,ここがターミナル2なのは間違いがないので,ここで出発をひたすらに待つことになった。

待ち時間の間にわたしは海外旅行でやることその1=絵ハガキを書く,を実行することにした。 ちなみに,その2はスーパー(もしくは市場)へ行く,その3はコカコーラを買う,である。そし てできることならその4として,その国の民族衣装を買うも実行したい。ただし,この民族衣装は 買っても日本ではこれを着る場所がなかなか無いのが難点なのだ。そんな「難あり」な服を何着も 揩チている自分こそ「難あり」かもしれない,とタンスの中を眺めながら思う今日この頃。

さて,その1のためにわたしは絵はがきを探してヒースローの売店を物色に行った。 そこで友人Oに「このおじさんとおばさんは誰?」と言わしめた,ごくごく叙ッ的な格好のエリザベ ス女王とその夫君の絵はがきは,本当に地味だった。あまりに地味すぎて選ぶのり藉躇したほどだ。 でもこれを送ったら笑いは取れたかもしれないと今は少し後悔している。

そして3條ヤ以上は待っただろうか。ようやくエールフランス・パリ行き2071便の フライト案内が出た。ターミナル2のロビーからゲートまでの距離はさ ほど無かったが,途中の天井がなぜがやたらと低かった。アメリカのバスケット選閧ネど絶対に頭 をぶつけると断言しよう。もしかするとターミナル2で離着陸する飛行機が 小さいので,身長制限があるのかもしれない。(そんなわけはない) 天井の低さについてご存じの方いらっしゃいましたら,ご一報をお願いします。



翼よ,あれがパリの灯だ

長い長い一日がようやく終わろうとしていた。悪天候も一段翌オたようで,一行の乗った飛行機 は順調にパリはシャルル・ド・ゴール空港へ向かっていた。夜間飛行のため,ドーバー海峡は残念 ながら見ることはできなかった。

疲れもたまってか母・妹組はお休みモードに入っている。一方友人Oとわたしは支給されたバゲッ トにチーズを挟んだだけの簡単な軽食まで平らげ,夜間飛行の景色をそれなりに楽しんでいた。 やがて遠くにぽつぽつと灯火が見え始めた。陸地だ。

わたし達を乗せた飛行機はついにフランス上空へやってきたのだった。 飛行機は高度を下げ,たくさんの光が散らばる町並をいくつか通り過ぎ,やがて着陸態勢に入った。 シャルル・ド・ゴール空港の灯りがみるみる近づき,機体は手慣れた様qであっという間に着陸し た。わたし達は遂にフランスの地を踏んだのだ!

「パリだ。パリなのよー」

着陸にこんなに感動したのは初の海外旅行以来だ。やはり,人間は苦労をしないとありがたみが薄れていけないなぁ。

パリでの第一関門はもちろんフランスの入国審査にパスすることだ。この時間帯にここへ着いたの はわたし達の乗っている便だけのようだったが,その分審査官のいるのブースが少なくて長蛇の列になっていた。

だが,その列の先を見てみると「EUの人用」となっていて,人一人が通れる柵の間を,並んでい る人達がパスポートも見せずに順番に通っているだけのものだった。

EUではない外国人用のブースはもう少し手前に設置されていた。そこで並んでいると,EUの人 たちの列がこちらにもできてしまった。しかしブースは外国人用しか開いていない。どうするのか と思っていると,閉じていた柵が「がっちょん」と大きく開けられ,並んでいた人たちはそこから, 羊の群が移動するように一斉に出ていってしまったではないか。大雑把だなぁ,と感心していたら, 外国人用の方でも,ブースに座っていたハンサムなおにーさんはパスポートにちらりと視線を翌ニしただけで,簡単に通してくれた。

噂通り入国スタンプもなく無罪(?)放免。あまりのあっけなさに呆然とする一行だったが, ともかく無事にパリの地を踏めたことは喜ぶことにしよう。ヒースローでの苦労もこれで報われたというものだ。



そして荷物は・・・:波乱は続くよどこまでも1

拍q抜けするほど簡単に入国審査をパスした一行の目の前はもう荷物受取所だった。 そこではもうヒースローからの荷物が降ろされてベルトコンベヤーの上をぐるぐる回っていた。 いよいよ問題の荷物とご対面だ。

まず,わたしの荷物がやってきた。しばらくして,母・妹組の荷物がそれに続く。だが,友人Oのス ーツケースだけはいつまで待ってもやって来ない。まさか,ねぇ。一行に不安が過ぎる。 「おかしいねぇ」「そのうち来るさ」誰も一番不安に思っていることは口に出さない。 省エネなのか,空港の薄暗い照明もイヤな予感を増大させていた。

荷物はどんどん減っていく。やがて荷物は黒い大きなバッグ一つになり,それさえも出口の方へ流れて行ってしまった。 何も乗っていないベルトコンベヤーが空しく回る。やがて荷物がまたやってきた。

「あ,新しいやつかな」

期待半分で目を向ける。だが,やってきたのは先ほど目の前を通り過ぎた黒のバッグだった。 波乱続きの旅は終着地でも一波乱起こすようにできているらしい。

「これは,もう・・・」「うん,ダメだね」

友人Oのロストバゲージは決定的だった。こうなった以上,コンベヤーの前に立っていても d方がないので,クレームの受付カウンターへ行くことにした。

カウンターでは2名の女性と男性1名が詰め寄っていた。女性の方はやはりロストバゲージで,男 性は荷物の破損のクレームらしかった。ちなみに男性のスーツケースの破損というのは, キャリーの取っ手部分がばっきりと折れていたというもので,コンベヤーで流れてきたそれを目撃 した時は,よくぞ取っ手の方が無くならなかったなぁ,と感心したものだった。

そして男性はアロンアルファで修理してもらったのか,はたまた修理代をせしめるのに成功したのか姿を消し,ロ ストバゲージの女性2名も,一人はめでたく荷物が発見され,もう一人はクレームの処理が付いた のか,これまたいなくなってしまった。そして薄暗い空港ロビーに残された一行にクレームを付ける番が回ってきた。



そして荷物は・・・:波乱は続くよどこまでも2

ロストバゲージだと告げるとクレームタグを出せと言われる。福岡で受け取った,これで役に立つ のか,と疑いたくなるほど小さなクレームタグを差し出すと受付の美人のおねーさんもちょっと困 った様q。そして次ぎにボーディングパスを,と言われてパスの半券を出したら,これじゃなくて 大きい方を,とおっしゃる。大きい方はヒースロー空港で飛行機を乗る時に通した機械が持っていってしまったので,揩チていない。

それしかないと言っても,大きい方をと言われる。とにかく無いものは無いので半券と小さなクレーム タグしかないとこちらも言い張る。おねーさんはあきらめたのか,コンピューターを 検索し始めた。そして他の係員さんがクレームタグを持ってどこかへ消えてしまった。 しばらくして男性の係員がクレームタグを持って現れ,君たちの荷物はちゃんとあるじゃないかと おっしゃる。いや,だから一個足りないんだってば。と思っていると係りのおにーさんはいきなり クレームタグを一枚二枚と番町皿屋敷のごとくめくって,ほらこれは三枚,君たちの荷物も三つ,これで万哩決だと言うではないか。

ちょ,ちょっと待て。そんな乱暴な。慌ててちっちゃなクレームタグを奪い取り,今度 はわたしが皿屋敷を始める。一枚二枚とクレームタグを四枚めくって荷物が一個足りないことを証明する。

そこでようやくあきらめたのか,エールフランスの係員達は本格的にロストバゲージの手続きに入 った。スーツケースの色・素材など聞かれままに答える。荷物には特別なものは入ってないね,と 書類を書かされ,宿泊ホテルの住所と電話番号を書くと,あとは見つかるまで待てとのこと。

この時点でもう付近にはエールフランスの職員とわたし達以外は人っ子一人いなかった。わたし達 の中途半端な英語に困り果てていたた受付のおねーさん達は,こんな日本人はほっといて早く帰りたかったに違いあるまい。

そして一連の手続きが終了したあたりで別の男性職員がポーチを持ってきてロストバゲージの人に プレゼントだと言って,いきなり髪をとかす仕草を始める。

「???」

奇妙な顔をする日本人相閧ノ次ぎは歯磨きのパフォーマンスをして見せる。どうやら洗顔グッズそ の他が入っているらしい。どうにか理解を示したのを見て,その人はにこにこと洗顔グッズやエー ルフランスのTシャツも入っているんだよ,すごいだろうとオーバーアクション付きで説明をして くれた。笑い顔のかわいい,憎めない人であった。

そして,このロストバゲージで,cり火となっていた最後の気力すら使い果たし,一行はようやく到着ロビーへと辿り着いたのだった。


次へ