田崎さんのパリ紀行−3

1999-Nov

ロシア上空は無事通過すれども

ヒースロー行きJAL421便はロシア上空を飛行する。昼間の飛行なので眼下に荒涼としたシベ リアの大地が広がっているのが見える。さすがにカスピ海沿岸には大きな町が見えたが,それ以外 のほとんどは雪と氷の寒々とした大地が延々と続いていた。

はじめて見るシベリアの大地に騒いでいたのは私たちだけではなかった。いや,それ以上に騒いで いたのが二十代前半もしくは十代後半と思われる瞑の団体様だった。

出発前から機内で写真を撮り合ったりで大騒ぎしている様qからしてどうも修学旅行っぽいのだが 一体何の学校なのか?茶髪でよくメディアで見掛けるようなファッショ ンの彼らは高校生には到底見えない。とすると専門学校か?(大学生には見えなかった)ヨーロ ッパまで学生を連れていくとはこの不況のさなかに豪気な学校もあったもんだ。

到着したヒースローの通路では,このはしゃぎまくりの学生集団の引率者らしい先生(?)が声を 張り上げて孤軍奮闘していた。この集団相閧ナは帰国までは気の休まる暇もないだろう。せめて胃 に穴が空かないことを祈るばかりである。

さて,わたし達はこの若者集団を横目に乗り換えのターミナルまで空港内を走るバスで移動となる。 着陸時は悪天候でかなり揺れたのだが,バスへ乗った時には曇天の合間に少しだけ青空が広がって いた。バスからは,黒の山高帽とロングコートpにステッキを持ったいかにも「イギリス紳m」風 の人を発見。しかし,空港の敷地内をあんな格好で散歩をしているかのごとく歩いていた彼は一体何者だったのだろう?

乗り換えのターミナルでは再び手荷物検査所を通らねばならない。今度こそノーチェックで,とい う望みも空しく,ブザーは鳴り響いた。引っかかったのはまたもや妹さん。別段金属を仕 込んでいるわけでもないのだが・・・それでもどうにか検査はパスし,氓ヘエールフラ ンスのカウンターでパリ行きのチケット入手だ。幸いにもカウンターに客はおらず,わたしのたど たどしい英語でもあせらずにチケットの引き替えができた。

ただ,バゲージのクレームタグの処理に時間が掛かったのと,エールフランスの美人なおねーさん が随分と不安げな視線で見送ってくれたのが気になるところではあった。



ヒースロー空港で大波乱・原点へ戻ろう!

ヒースロー空港での待ち時間は2條ヤ弱。空港内の店を覗いて回ってもまだ時間があったの で,イギリスらしくティータイムとしゃれこんだ。カフェでは先ほどの若者集団がやはりお茶を飲ん でいたので,彼らもどこかへ乗り換えなのだろう。よもやパリまで一緒ということはあるまいが・・・ カフェで,わたしはカプチーノをO一家はミルクティーを注文したのだが,出てきたお茶に一同, 呆然。i屋のでかい湯飲みにも負けないほどのLLサイズ並の紙コップになみなみと入った紅茶 は,ちょっとお茶でも,という日本人を打ち負かすのに十分すぎる量だった。

大量のお茶と格闘していると,いたるところに設置してあるテレビの案内画面にようやくパリ行き の便の案内が出た。出発は31番ゲートからだ。そこを目指して一行は移動を開nした。

だが,ヒースローのターミナルはひたすらに長かった。行けども行けども見えるのは31番ゲート を示す矢印のみ。そして歩くこと十分弱。ようやく辿り着いた31番ゲートはターミナルの 一番先端にあった。いくら歩いても到着しないはずだ。

そこに待機していた係員の人にさっそくわたし達のチケットを見せる。と,彼は首を捻り,チケッ トを差し戻すとこう言った。「君たちの乗る便はここじゃないよ。ここはターミナル1だ。君たちの便はターミナル2だよ」

「え?!」

いま,なんておっしゃいました??LLサイズの紅茶を前にした時以上に呆然とする わたし達に,彼はご丁寧にチケットを指し示してくれる。そこには確かにターミナル2とある。 だが,わたし達はここがターミナル2だと思っていたのだ。

ターミナルが違うだなんて,そんなことがあっていいものなのか?! ターミナルって書いてある 方に素直に来ただけなのに!!この時,既に時刻は17:15分。チケットに書 かれてある出発時刻は17:35分だった。ここで悩んでいる暇など無かった。

とにかく戻るしかない。

ヒースローの長い長いターミナル1の廊下を一行はひたすら走った。近年まれにみる走りぶりで, ようやく元いたロビー付近まで戻った,いかんせん,ターミナル2への行き方がわからない。 そこにパイロットとおぼしき男性を発見し,必の形相(だっただろう)でターミナル2への道を 教えてもらう。そして彼の言うとおりエスカレーターで一気に三階まで行ったのだが,そこで

「何でやねん!」

と思わず似非(えせ)関西弁になってしまうぐらい驚きの光景に巡り会ってしまった。 何とそこは通り過ぎたはずの手荷物検査所だったのだ。そして目の前には検査に向かう人の列。 双六で言うところの「振り出しに戻る」のコマをわたし達は選択してしまったらしかった。



ヒースロー空港で大波乱・大迷惑

検査を待つ人の列はなかなか進まない。もう手荷物検査は受けたんです,わたし達はター ミナル2へ行きたいだけなんですぅぅ。と訴えたいところだったが,振り出しに戻った以 上,そんな言い訳は無駄でしかない。

「チケットを見せて先に通してもらいましょう」

O家・母の一言はすぐに実行された。騒ぎ立てる日本人からチケットを見せられた係員 は,おいでおいでと手招きをして優先的に通してくれた。待ったをかけられた他の客は迷惑そうな 顔をしていたが,こちらはヒースローにおいてけぼりを喰らうかどうかの瀬戸際なので,すまないけど許してもらおう。

ここでOの妹さんがまたもやチェックに引っかかったがなんとか検査所を脱出。エールフランスの カウンターを通り過ぎ(美人のおねーさんはもういなかった)空港の人にターミナル2への行き方 を尋ねるが,やはりターミナル1へ行ったときと同じエレベーターを指さす。

ええい,行くしかあるまい。

やけくそ気味でエレベーターで2階へ下りる。そして見たはずのターミナル1・2を示す看板を 再び目の前にする。その看板ではターミナル1↓ターミナル2←となっているのだが,左手方向には道らしき道が ないのだ。また1階へ行って左手を探すのか?と思っていたところへ

「あ,あの人!」

Oの妹さんが通路とは思われなかったガラス戸の向こう側に歩く人を発見。あれがターミナル2へ 向かう通路に違いない。駆け寄ったわたし達は,エレベーターから延びる通路と平行に位置する,d切と同じガラス製の 一枚のドアを発見するにいたった。「こんなの見つけきれるもんかーーーっ!」己の注意力不足を棚に上げ,叫ぶわたしの姿がそ こにはあった。

(でも,あれは発見が難しいと思う。ドアもだが,ターミナル2への通路がエスカレータから降りた 桙ノ全然見えないのだ。それともわたしがバカなだけ?)



ヒースロー空港で大波乱・ランナー

ようやく見つけたターミナル2への通路。それは果てしがないように思えた。 走っても走ってもターミナル2は見えてこない。さすが大英帝国の玄関口。 なんて思えるのは,ここを走ったことのない人に違いない。

ヒースローを駆け回った人間の感想はただ一言。もっとコンパクトに造ってくれ。 これに尽きる。どこまで走ればいいのか見当も付かないまま走るのは精神的に非常に辛かった。 そしてタイムリミットは刻一刻と迫っていた。やがてOの母・妹組が遅れ始めた。走り詰めで体力の差が出てきたのだ。

「先に行って飛行機を止めておきますから!!」どうやって止めるかなどは考えていなかったが, 誰かが辿り着かないと置いて行かれる。「走れメロス」の主人公・メロスのような心境で かつて無いほどの全力疾走で通路を駆け抜ける。そして,もうええ加減にせぇ! とターミナルの あまりの長さにあきらめの境地になりかけた時,ようやくターミナル2の表ヲが見えた。

「つ,着いたぁ」だが,これで終わりではない。搭乗ゲートまで辿り着かねばゴールではないのだ。 ゲートは何番なんだ?!飛び込んだターミナル2のテレビ画面に映っていたのは,ずらりと並んだ「延着(arrearage・ちょっ とうろ覚え)」の文字。もちろん,17:35発パリ行きの便も延着。追いついた母・妹組ともども,どっと疲れが押し寄 せたのだった。


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