田崎さんのパリ紀行−2

1999-Nov

出発の朝:波乱の前触れ

11撃P8日(木) 日本・晴れ

前日までに調べたところによると,パリの週間天気予報の中で最も低い予想最低気温はマイナス3度と なっていた。九州では年に1回か2回ほどしかお目に掛からないであろう気温だ。とにかく手持ちの ババシャツを詰め込み,渠Nのホッカイロをスーツケースに放り込む。

金銭面では海外でもキャッシュが引き出せる口座を作ったので,あとはクレジットカードを持っていけ ば万全だろう。が,ここで問題が発生した。カードが見つからないのだ。1999年9撃ナ期限 切れのカードはあるのに新しいカードが無い。いくら探しても無い。無いものは無い。 結局カードはあきらめて,今回は現金オンリーでいくことにした。(現在もカードは行方不明中・・・) とりあえず荷物は詰め終わり,翌日に備えて早々に床に着いた。

当日の空港集合は7:20だった。だがその日,やっぱりというか案の定というか予想通りというべきか。 「ごめーーーん。遅れたっ」7:30。集合場所で頭を下げているわたしの姿があった。

友人Oの母上様と御妹さんとは初対面だというのに。送迎係のお父上とチョビちゃんにも会いたかったのに。 やはり定刻に来ないことで名を馳せている以上,遅刻せずにはいられないのか!?

でも,ちゃんと6桙R0分には家を出たのだ。なのに,晩秋の曙(相撲謔閧ノあらず)を眺めつつ バス停に行ったらば,バスは2分前に汲チており,それが地下鉄で1分差(この1分が非常に大きかった) の乗り遅れとなって結局10分遅れになってしまった。

余裕で間に合うつもりだったのはほんとなんです。誰か信じて下さい。<無理(日頃が日頃だけに)

結局O一家の勢揃いの写真B影もままならず,パリへの旅は初っぱなからつまずいて始まった。



福岡発→関空行き:波乱の幕開け

さて,これから半日以上を雲の上で過ごす空の旅だ。O家がこの旅のためにレンタルしたのサムソナイト のスーツケース3ヶと布製のわたしのスーツケースは,パリまでお預けとなる。 スケルトン状態の荷物が覗けるX線検査の後,JALのカウンターで荷物としばしのお別れだ。 乗り換えを間違えたりしないでちゃんと付いて来いよーーー。と荷物にエールを送る。

身軽になったところでいよいよ出発だ。福岡発関空行きJAL322便に意気揚々と乗り込んだ。 ほぼ全員が座り終えた頃,客コ乗務員らしからぬ格好をした女性が私たちの前に現れた。 「O様でいらっしゃいますか?」彼女が探していたのは友人Oだった。閧ノはトランシーバーを握りしめている。

一体,何事が?固唾を呑んで見守る一同の視線を彼女は堂々と受けてたった。

「あの,お客様がお預けになられました荷物なんですけれども,謔チ手が壊れてはなかったでしょうか?」

「え,謔チ手が壊れてるんですか?」友人Oは寝ィに水。

「ええ。お客様の荷物の取っ手の片側が外れているんですけれども」

「でも預けたときには壊れたりしてませんでしたよ。それはちゃんと確かめましたから。・・・だよね」

家族に同意を求める友人O。それu員くO家の二人。「お客様がお預けの時は壊れていなかったそうです。 ええ,そうです。はい。はい。わかりました」トランシーバーで連絡を取り合うことしばし。 「では,この件は関空の方で地上係員の方から連絡がありますので,あちらで手続きのやり方などを聞かれて下さい」 と言われても,いきなり荷物の破損を伝えられた友人Oの不安は募る。「荷物は大丈夫なんですか? 蓋が開いたりとかはし ないですよね?」「壊れているのは取っ手だけですから,大丈夫だと思います。ともかく関空の方で手続きをしますので,あちら でお願いします」條ヤが時間だけに荷物を降ろして見る余裕などないということらしい。

いったいどうして取っ手が壊れたのか。どんな風に壊れているのか。たかだが空港から飛行機への移動ぐらいで壊れるなんて, そんなんで荷物は大丈夫なのか。一同の不安な気揩ソなどは知らないよ, とばかりにJAL322便w吋爽と関空へ向かって飛び立ったのだった。



関空到着:そして荷物は・・・

スーツケースの思わぬ破損は一同に不吉な予感を与えていた。友人O宅では出発の前日にアイロンのコードが火 を噴いた事件もあり,この旅の先行きに暗雲が立ちはだかっているような気分だった。 ともかく荷物を確認しよう。そう思って関空へ到着するとボーディングブリッジにJALの係員が待機していた。 「O様ですね!」何やら威勢の良い男性係員さんは再び破損のことを伝え,関空では処置ができないと言う。 どうなってんだ。ただ一つわかったのは,関空で荷物とご対面はできないということだった。

「荷物の方は大丈夫なんですね。中身が飛び出たりとかしてないんですね」

壊れている荷物を確認できなくなった以上,とにかく荷物の安否をくどいほど確認する。

「破損は取っ手だけですから中身の方は大丈夫です。ともかく荷物の方はパリまで行きますので, 破損の保証などの手続きについては帰国された日に福岡でされて下さい。こちらの方からもそのよ うに福岡の方へ連絡しておきますので」

「じゃあ,闡アきは全部福岡でするんですか」

「はい,帰国されてからで結構ですので,福岡でお願いします」

ボーディングブリッジを渡る速度に合わせてか,さながら東京証券謌所で株ョを売買するかのごとく忙しない会話が交わされる。

「わたしの荷物はここでは点検できないんでしょうか」「こちらでは荷物を下ろせませんので,申しわけ ありませんがパリの方でご確認下さい」

「わかりました。確認ですが,荷物はこのままパリまで行って,破損の手続きは福岡ですればいいんですね」

「はい,そうです」

ーーー後にこの係員が言っていたことが大ウソだったことが判明するのだが,今は未だ知る由もない友人Oだった。



いざ出国:波乱・二度あることは・・・

JAL係員とのやりとりの後,ヒースロー空港行きのチケットを入手するため旅行代理店の団体用 カウンターへ向かった。そこにはもう大勢の旅行客が大きなスーツケースを傍らにずらりと並んでいた。 その前には「魅惑の北欧10日間」「ときめきロマン・ロシアの旅」「パッション!あこがれ情熱の国!!スペイン・ ポルトガル」等々,旅行パンフレットそのままの仰々しい文句の立て札が立っている。みんな手に 閧ノパスポートを持ち,添乗員を待っているのか所在なげな感じだ。

こちらは添乗員などいないので全て自力。所定のカウンターで航空券の引き替えを済ませ, ヒースロー空港の見取り図と乗り換えの場所を教えてもらうとあとは出発まで自由行動。 関空のそば屋で朝食を取り和食としばしの別れを告げ,風ラ薬など買い忘れたものを購入するともう出発の時間が近づいていた。

国内線から国際線への乗り継ぎには,当然ながら再び手荷物検査をパスしなければならない。とい うことで一行は金属探知器のゲートをくぐった。

「びーーっ」

またもやブザーが鳴った。福岡空港ではわたしがカメラをポケットに入れていたため,探知機に引っかかったのだが,関空で は友人Oの妹さんが,やはりポケットカメラでブザーを鳴らしたのだった。

「うーん,このままでいけば一人一回は引っかかりそうだなぁ」

ヒースローでは引っかからないようにしようね,と誓いも新たに一行は出国ゲートに向かったのだった。


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