田崎さんのパリ紀行−1

1999-Nov

いざ,パリへ(1)

梅雨に押されっ放しだった夏が有終の美を飾ろうと,ようやく猛威を振るい始めた9撃フ半ば,友人O( アルファベットでお読みください)がのたもうた。「パリ行き,いつにする?」

それは,タに十ヶ撃ヤりに復活した話題だった。

遡ること渠Nの11戟B改装中のビルの壁に貼られた格安旅行のちらしを見て,パリへ行こうと決めたまでは良かったが,二人 で行くにはどうにも日程の調整が付かない。かといって一人で行くと格安ではなくなる。 行くは高し,cるは悔し,という感じで折り合いの付かないまま,結局パリ行きは翌年揩ソ越しの宿題と化していた。

タを言えば,友人Oが本気でパリへ行くつもりだったとは,この時に言い出すまで信じていなかった。 何しろ二人で旅行したいと折々に言いつつも,タ現した例しが無かったのだから,それもむべなるかな。 パリ行きも同じくお流れか,と心密かに思っていたのだが,さすがに世紀末ともなるといつものパター ンもひっくりかえる運命にあるらしい。恐怖の大魔王は降ってこなかったがパリ行きの話が降って湧いたわけである。

さて,本気の友人Oに対して私に否やは無かった。12戟C1撃ナはお互いに調整がつかないのは渠N で立証済みだ。ということで行くなら11戟Bできれば年休を取る日数は少ない方がよろしい。 そして,パリ6日間の旅は必然的に11撃P8日から23日に決定した。



いざ,パリへ(2)

日程も決まり,いざ申込みをと思っていたところへ友人Oからメールが届いた。

>母親と妹も参加すると言っております。

友人Oのご家族はフットワークが軽かった。

ちなみにお父上とチョビちゃん(O家のお犬様)はお留守番&送迎係に任命されていた。 暖かく女性軍のパリ行きを支えるO家の男性軍。泣かせるじゃあありませんか。

何にせよ,旅行の友は多い方が楽しい。こうしてO家の女性軍と私を加えた総勢4名のパリ 旅行メンバーが決定した。O家の家族団らんに紛れ込んだ気がしないでもない が,ともかく初のヨーロッパ! 花の都パリ!!を目指して旅行の準備は着々と進められたのだった。



パリまs苅か・・・

「あのぅ,大変申し訳ないんですが」パリ行き1週間前に掛かってきた旅行会社からの電 話はこんな切り出しで始まった。

「日程が決まったんですが,往復とも乗り継ぎになってしまいまして」

「どんな乗り継ぎになるんですか?」とわたし。

「ええ,行きがですね,福岡から関空,ヒースロー経由でパリのシャルル・ドゴールとなりまして, 帰りの便がパリからアムステルダムを経由して成田,福岡になってしまったんですけれども」

「・・・・」

ヒースロー? アムステルダムってどこ??世界地図がわたしの頭の中を駆けめぐった。

「直行便は・・・」

「すみません,満席でして」

ーーーいえ,言ってみただけです。わかってます。ただ,こんなに乗り継ぎがあるとは予想してなかっただけです。 それにしてもバラエティに富んだ乗り継ぎだ。『豪華!ヨーロッパ3都sを巡る6日間の旅』 なんて広告が打てそうではないか。もし,ほんとにこれで募集掛けたら絶対にJAROに訴えられるだろうが・・・・・

花の都パリまでの道のりw苅か遠く険しかった。



次へ