田崎さんのバンコック紀行−1
2000-Aug.
タイへ行こう(1)
「みんなでどこかに行きたいねぇ」
年に数回、顔を合わせてはそう呟く集団があった。その集団とは、大学梠繧フ友人・HさんとKちゃん、
その二人の友人であるKさんに、わたしの高校梠の友人Oとわたし、の五人である。
Kさんとわたしは友達の友達、友人OとHさん・Kちゃん・Kさん(ややこしい……)も友達の友達と
いう、まさに「友達の友達は皆、友達だ」を地でいく集団であった。人によってはこれを「類は友を呼
ぶ」とも言うらしいが、それはさておき、このメンバーの中で「どこかへ行きたい」病は、深く静かに進行していった。
発症当初(約2年前)は、行くなら小国(熊本県)とか、温泉だったら湯布院(大分県)・黒川(熊本
県)とかがいいよねぇ、と、それこそ1泊2日で移動範囲・半径200キロ程度のささやかな、軽い風ラ程度の症状でしかなかった。
それが、「どこかへ行きたい病」が発症してから1年ほどしたある日、「バリ島、いいよぉ」という某
K旅行ミ勤めのHさんの一言で、九州内から一転、海外へと病は拡大したのだった。
諸柾で「海外は無理」というKさんを除き、病は確タに残る四人を侵し、「バリ島へ行く」ことは、
ほぼ暗黙の了解になっていた。わたしなど、ことあるごとにバリ島(含む東南アジ
ア)特集の雑盾買ったり立ち読みしていたのだから、一番重症だったかもしれない。
そして、Y2K問題も無事過ぎ汲閨A今年こそはバリ島行きを実行するぞ、と意気込んでいたある日、
Hさんからメールがきた。内容は要約すると、「タイへ象に乗りに行きませんか」というものだった。
折しも巷では、タイの王様が象に乗っr謌歩する映画※「アンナと王様」が上映中であった。
写会でいち早くこの映画を見ていたわたしは即座に返事を打った。
{行く!」
かくして、バリ島の白いビーチは象の灰色の背中に化けたのであった。
※この解釈を真に受けてはいけない。
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