山口さんの「さまよえるラム」−35

中東のお肉は食べられなかった紀行?


 ところで、これだけ大きなショッピング街だというのに、目当てのバッチはどこにも見当たらなかった。
注意して探し回ったが、自由時間は残り半分を切ってついにはアーケードの果てまで来ても、やはり無い。
せっぱ詰まって来たので、そこへ丁度近づいてきた中高生位の客引きあんちゃんに、サンプルを見せながら訊いた。

「こういうのはないですか?」
「あるある、こっち」

 ごちゃごちゃと物の多い宝飾雑貨屋の狭い階段を上って2階へ。
そこは工房で、おじさんが小道具を使 って何やら作成中である。 あんちゃんは身振りで言った。

「この布の柄のきれいなところをボタンに貼り付けて作るよ」
「いやーそういうのじゃなくて、金属製の1、2cm 角のものが欲しいの」

 帽子に並べてつけたバッチを見せながら3度説明すると、彼はようやく納得した。

「ああ、それは知り合いが売ってる。ついてきて」

 集合場所とは反対方向へと早足で歩き出した彼に、わたしは不安度25%、とんちゃんは50%でついて行った。
残り時間は20分しかなく、のんびりだが1時間かかった道のりを戻らねばならなかったからである。  

だがまあ、これでずっと探しあぐねたバッチが見つかるなら、足労の甲斐もあろう。
浮かれ気分のわた しは、あんちゃんと自己紹介などをし合いながら道のりを急いだ。  
ところが、着いた店にバッチは無かった。

「ごめん間違えた。別の店だった。ついてきて」

 おいおい! 普通、そんな間違いするか? わたしととんちゃんの不安はそれぞれ50%、75 %にアップした。それに残り時間は15分。もう帰るしかないと、わたしも諦めた。

「すみません、もういいです。時間が無いので帰ります。あとは自分で探します」
「いや大丈夫、間に合う。5分で着くよ」
「いやー、でも本当に時間がないんです。バッチは帰りがけに探しますんで」
「大丈夫だって、ちゃんと送って行くから10分で戻れる」

 うーむ。バッチ、やはり欲しい。時間も間に合う。

「うーん、じゃあ行ってみるか」
「ええええー、ほんま? もう帰った方がええんちゃう?」

 信じがたいという顔で何度もそう言いながらついてくるとんちゃんを従え、小走りで300m程離れた店へ向かった。
とんちゃんの意見はもっともだったが、 ここまで来たらやはり諦めがたい。
ごめん、すまんと 言いながら、行き先。口と足は支配する脳が違う証拠だろう。  

やがて、繁華街をすこし外れたこじんまりした店に到着。あんちゃんは「僕が交渉したほうが安くで買え るからちょっと隠れていて」と言うと、バッチのついた帽子を持って行き、店主のおじさんと話を始めた。  
やがて彼は、サンプルを持ってこちらに来た。  
おっ、それそれ、確かにバッチだ! しかし・・・ 選ぶのは簡単ではなかった。
柄がまともなものは、 とにかく汚い。まともなものでも、半年間野ざらしになったようにすすけている。
わりときれいなものは、 後光をしょったアサド氏の柄。気に入らない点ではどちらもどっこいどっこいである。  
値段は全て150SP(300円)。このばっちいバッチの値段にしては、ふっかけすぎだ。
せいぜい2 個で150か、1個なら高くて100だ。ただ、2個選ぶのも難しい状況ではある。

「ううーむ、1個くらいまともなのはないか?」

 ついには店頭へ出向き、店長の目の前でバッチの入った箱をじゃらじゃら掻き回して探したが、どれも決め手に欠ける。
うなりながら悩んでいるうち、ついに とんちゃんの不安が限界を越えた。

「あのさー・・・あたし、先帰っとくな!」
「え? あー分かった、すぐ追いつく」
「うん、じゃあ」

 とんちゃんは回れ右をし、待ち合わせ場所に向けて走り去った。
それと同時にわたしの不安度と妥協度は ともに90%までアップ。
しかしそれでも、買う気に なるバッチは無い。
ついにわたしも完全に諦めた。

「すみません、やっぱりいいです」
「どうして? これは? これは?」
「いやあ、ちょっと。時間もないし、帰りがけに探してみます」
「だめだめ! バッチはシリアではこの店にしかないよ! 絶対だよ!!」

 え〜、ほんまかいな!?  いかにも買わせる言い訳っぽいが、今までさんざん 探して無かったので、実は本当なのかも知れない。
し かしそれでも、ばっちいバッチを買う気にはどうしてもなれなかった。

「すみません、やっぱりいいです」
「いやいや・・・」
「いや、もういいです! 無ければ無いで仕方ない、 インシアラーです! さようなら!」

 インシアラーというのは「アラーの御心のままに=なるようにしかならないさ」の意味だ。
とっさに出た この一言に、さすがのあんちゃんも思わず詰まった。
わたしは「じゃ!」と手を挙げて別れの挨拶をすると後ろを向き、集合場所に向けて走り出した。  
あんちゃんは約束通り送ってくれるつもりらしく、「大丈夫? 道分かる?」と言いながら追いかけて来 ていたが、すぐに諦めた。


しかしそれは、彼が約束を 守らぬ不人情人間だったからではない。
東京&新宿駅 で培った、人混みの中を巧みに走り抜ける技術が、彼には無かっただけである。
それに、道は間違えよう のない一本道。わざわざ送ってもらう必要は無かった。  
こうして、バッチは手に入らなかったが、集合には無事間に合ったのだった。

 * * *

 後で冷静になってみると、あんちゃんにはとても悪いことをしたと思う。  
彼はシリア唯一のバッチ屋(結局バッチは見つからなかった)へ連れていってくれ、値段交渉を引き受け てくれ、帰りも送ってくれようとした。誠に親切である。  
それなのにわたしときたら、どこへ連れて行くつもりなのかと不審を抱き、「150? 高い!」と文句をたれ、結局買わなかった。
その上、単に急いでいた だけとはいえ、折角送ってくれるというのをまるで振り切って逃げるかのように、お礼もそこそこにダッシ ュで走り去ってしまった。
彼にしてみれば、折角の親 切を仇で返されたような気になったかも知れない。 

そこで、この場を借りて謝っておこうと思う。 
あんちゃん、ろくにお礼もせずにごめんなさい。 
それからとんちゃん、やきもきさせてごめんなさい。 
二人にはとても感謝しております。
ショクラン!  今後は気をつけます。
合掌。



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