山口さんの「さまよえるラム」−18

中東のお肉は食べられなかった紀行?


●ドゥラエウロポス遺跡

 午後に訪れたのは、ドゥラエウロポス遺跡。紀元前3世紀のギリシャ植民地時代、アレキサンダー大王の 部下、セレウコスによって作られた軍事都市だ。 ここも、まだまだ発掘の最中。高さ7、8mの土壁 の向こう側は、10年前のお台場といった様相。吹きっさらしの工事現場のようだ。  砂埃が凄いので、男性はタオルやマスク(用意がいい!)を、女性はスカーフやハンカチで顔を覆った。

「それ、買っといてよかったわねえ」

私の場合は、「タオル」です。
一部のツーリストから「タオラー」と呼ばれています。

 ふっふっふ。カフィーヤは、ここでみんなに激賞されたのだった。  シナゴーグ(ユダヤ教会)跡、兵の駐屯基地跡などを見たが、明瞭なものはあまりなかった。縄文時代の 生活跡見物といった感じだ。 だが、乾いた砂色の遺跡の果てまで来たとき、誰もが歓声を挙げた。

「わー、きれい!」

 100m以上はありそうな断崖の下に、青緑色のユーフラテス川が流れていたのだ。川幅は500m以上 はあるだろうか(目測は得意でないので、自信がないが)。水は澄み切っており、対岸では子供たちが楽しそうに泳いでいる。

 数千年前、古代文明がここで発祥した時から、この清らかさと美しさは変わらなかったのだろう。そして 人々はここに住み始めて以来、農作や牧畜という川の恩恵を蒙る生活を、川の美しさと同様変わりなく続け てきたのだろう。数千年前の子供たちも、ああして泳いで遊んだのに違いない。 眺めていると、有史以前の名もなき人々の生活が、 鮮やかに蘇えるようだった。 さて、帰るために引き返していた時だ。

「タァーーーーン」

 後方のそう遠くないところから響いて音に、誰もがぎょっとして振り向いた。  ・・・ライフル? 過激派の観光客襲撃? ルクソール銃撃事件2?  近眼と焦りのためか、狙撃主は見えなかった。

 平地ばかりのここでは、身を隠す場所がまるでなかった。外壁の出入り口までは、まだ1km位ある。せ いぜい伏せるくらいしかできない。散弾銃でも出てきたら、もう絶望的だ。  いや待て、わたしだけは助かるかも。カフィーヤを巻いているから、現地人のふりをすれば、標的外にな れるかも。そんな超利己的な発想まで浮かんだが、音は一発きり。一瞬広がった動揺はすぐに静まり、歩きながらの 気楽なお喋りが再会した。

 後で聞いたところでは、そのライフル音は本物だったらしい。警備員(?)が持っていた銃について、誰 かが「本物?」と聞いたら、「勿論!」と言って、いきなりぶっ放したそうだ。  実にあっぱれ、旺盛なサービス精神である。少々過激ではあるが。

 外に出たところで、発掘作業中のド派手なオレンジ色のトラックを写真に撮り、バスに乗った。作業員の 兄ちゃんたちは全員、赤白チェックのカフィーヤ巻き姿。とても決まっていた。

 夕方、ホテルに到着する前、ホテルのそばの大きな鉄橋のところで写真ストップがあった。水面までの高 さは20m位だろう。走っても往復5分では無理そうな、かなり長い橋だ。

 ここでも、子供たちが河原で水遊びをしていた。とても気持よさそう。3秒間の叫び声と共に飛び込んだ ら、どんなに楽しいだろう、と思った。 橋の真ん中まで行き、引き返す途中の時のことだ。 鉄骨によじ登っている13、4歳の少年達と目が合った。5,6mはのぼったところで片手を離し、「写真 を撮ってくれー!」という身振りをしている。

 撮られるのが好きなんだなあ。そう思いながら撮ると、彼らは「ありがとう!」というように手を振った。 そして、3.2秒間の叫び声と共に、川に飛び込んだでいったのであった。



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