山口さんの「さまよえるラム」−11

中東のお肉は食べられなかった紀行?


●カフィーヤ、買いーや

 昼食後に訪れたのは、パルミラ中心部に近い、列柱道路の遺跡。大通りの両側にずらりと並んだ石柱は壮 観で、在りし日の賑わいを思い起こさせた。

 説明が一通り終わると、30分の自由時間。ばらけた集団には、待ってましたとばかりに物売りが近づいてきた。

 こんな場合、集団からいち早く離れて遺跡によじのぼっていたりすると、真っ先に目をつけられるのは必 定というもの。ましてや、「マルハバ(こんにちは、モロッコではメルハバだった)」「ショクラン(あり がとう)」とアラブ語で挨拶までできる日本人の若いギャルとなれば、アラブ商人が見逃すはずはない。

「マルハバ〜」

 話しかけてきたのは、カフィーヤを大量に持った30台位の男性だった。カフィーヤとは、アラファト議 長でお馴染みの、頭に巻く1m四方程の布のことである。

 いらない、とわたしは即座に言った。第一に、買っても旅行後は2度と使うまい。第二に、家が狭いので 余計なものの置き場はない。第三に、あれは、睫毛が長くて目がぱっちりの、ソース顔の人にこそ似合うも のだ。モロッコで試しに巻いてみたが、パスポートは日本人顔、コピーをとったら朝鮮人顔のわたしだと、 妖艶というより過激派の変装にしか見えなかったのである。

 だが、彼が「まあ、着けてみるだけどうぞ」と言って巻いてくれるのを、断りはしなかった。どうせだか ら写真は撮ろう。しかもこんなに「ウワオー、ビューティフル!」と連発してもらえる滅多にない機会、む ざむざと捨てるのは愚かだ。

 ただ彼が、何度も巻き直しながら段々と前進し、狸のような太鼓腹が迫って来るのには閉口した。それに、 そんなに顔を接近させる必要もないだろう。わたしがじりじり後退して頭が動くと、彼は巻き直しつつ前進 するという、ひそやかなダンスのような時間が5分ほど続いた。

 やがて巻き終わると、彼はここぞとばかり「ビューティフル!」を連発した。ふっふっふ、そーかい? お世辞でも、なかなか悪い気はしない。思わずへらへらと愛想笑いを振りまくと、彼は手を引っ張った。

「ほら、ラクダに乗りなさい」
「えー、いや、でもお金が無い(断りの常套文句)」
「いいからいいから。気にするな。問題無い」

 この文句を言われるたび、いつもこれは「タダにする」という意味なのかどうか、悩む。日本ならタダだ と解釈しても良いだろう。最近になってやっと、海外ではこれは単なる勧誘の常套文句だということを理解 してきた。ただ、タイでは本当にタダにしてもらったことがあるので、二匹目のドジョウを狙う気持ちがい つまでも抜けないのだろう。

 どうせカフィーヤを巻いてもらったのはタダだから、折角写真を撮るならラクダに乗ってもいいなあ。だが、 一人では高くふっかけられそうだ。ううむ、どうしよう。その時、数m先で、同じようにカフィーヤを巻い てもらっているとんちゃんが目に入った。

 スマン、とんちゃん。巻き添えにしていいものかどうかと考える前に、言葉がポンと先に出てしまったのだ。

「あれあれ、友達も一緒なら乗る」
「えーえー! ほんまに乗るの?」

 かくして、仰天しているとんちゃんを無理やり引き込んで、ラクダに乗ることになった。  ラクダには、思ったよりも長く乗せてもらえた。列柱道路をぽくぽく歩いて、遺跡の入り口まで15分余 りもあったろう。途中、同じツアーの人を追い越す度に、声をかけられては写真を撮られ、気分はアイドルだった。

 スマン、とんちゃん。滅多に味わぬいい気分に浸っていたわたしは、とんちゃんの苦境に全く気付なかっ た。バランスを取るのに、前のわたしは鞍の前にある撮ってを持てば良かったのだが、後ろのとんちゃんは、 後ろ手に背後の取っ手を必死で握んでいたのだ。

「なんか、これ、めっちゃ、腹筋、使う、なあ・・」

 苦しげな呟きを、わたしは無情にも、日頃の運動不足が原因だろうなどと思っていた。 その態勢に気がついて「わあー、大丈夫? 背中持っていいよ」と声をかけたのは、殆ど終点に近づいた ところだった。

 さて、バスの前に着くとラクダを下ろされた。柳の下にドジョウはいなかった。ラクダ引きの若い兄ちゃんは言った。

「カフィーヤが300SP(シリアポンド)、ラクダが500SP、計一人800SP(=1600円)」

 やはりタダではなかったか。それにしても高すぎる。とりあえず値切るしかあるまい。わたしは大仰に驚いてみせた。

「ガーリーガーリー(高い高い)。二人で500」

 今度は兄ちゃんが天を仰いだ。少し値下げしたが、まだまだ全然高い。計画的策略なのか、どこからか集 まってきた彼の仲間がわれわれを取り囲み、成り行きを面白そうに見守り始めた。二人でガーリーを連呼し ても、人数的に形成は不利である。

「じゃ、カフィーヤは要らないから二人で500」
「いやいや、じゃ、ラクダが300でこれが200、計一人500」
「じゃ、やっぱりカフィーヤ無しで二人で500」
「いやいや、それじゃ駄目」

 まあ500でもいいか、と妥協しかけたとき、まわりの取り巻きがうんうんと頷いた。うーむ、 1000円か。もう一押しできそうなのだが、あと一つ決め技が足りない。これが限界だろうか。

 そう妥協しかけたとき、目に入ったのが添乗員のアライさんである。

「アライさん、この値段、どう思います?」
「そうですねえ。ラクダにそれだけ載ったなら、まあそんなところですかねえ」
「そこを何とかもう一押しできませんかねえ?」

 アライさんの答えに、一同はぎゃふんとなった。

「そうですね・・・ハァ〜イ、ユーアーハンサム!」

 兄ちゃんの態度は、鼻柱に不意打ちのパンチをくらったように、明らかに軟化した。これは大チャンス。 とんちゃんとわたしは、拳を天に振り上げながら唱和した。

「ハンサムハンサム!」
「ベリベリハンサム!」

 彼はついに折れた。結局一人300SPで、交渉成立となったのであった。  バスの出発数分前。カメラをもってぶらぶらしていると、カフィーヤを巻いてくれた男性が現れた。

「あ、買ったんですね」
「はあ、おかげさんで」

「すぐそこに写真スポットがあるんです、いらっしゃい」

 どうということもない人気のない場所でお義理に写真を撮ると、彼は言った。

「アイラブユー。君はとてもきれいだ。僕はパルミラに彼女がいないんです」
「あ、そう。じゃ、時間がないんでさようなら」

 何の迷いもなく、わたしはすぐさま立ち去った。理由はいくつかあったが、一番は「パルミラに」と限定 する天が納得できなかったからだ。余所にはいるということか? おいおい、日本人をなめてはいかん。

 ところで、結局のところ、カフィーヤを買ったのは大正解だった。吹きっらしの遺跡では防砂に、直射日 光が厳しいときは日除けに、いつでもどこでも役に立つ。旅行中は手放せない必携品となり、中東の人が重 宝する理由が、よく分かった。おかげで、帽子の出番はあまりなくなってしまったのである。

 ただ一つ心残りなのは、デザインのことだ。買ったのは女性用で、最初に巻いてもらった白い地に薔薇の 刺繍入りのものだった。だが、数日経つうちに、アラファト議長のものが、現地の男性の100%定番だと 分かった。つまり、白地に赤の格子柄のものを黒い輪で無造作に留めるスタイルで、それがいかにも似合っ ている。郷に入らば郷に従え、旅行時は現地人に溶け込むのをモットーとしている身としては、やはり赤格 子を着けてみたかった。

 とはいえ、白も悪くはない。ベドウィン巻きのわたしと、農協のおばちゃん巻き(本人の一番のお気に入 り・来年のシリア最新ファッションの先駆け狙いだろう)のとんちゃんは、ツアーに紛れ込んだ現地人と目 されるようになったのである。



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