山口さんの「さまよえるラム」−9

中東のお肉は食べられなかった紀行?


●ツアー・ウォーズ/エピソード1
 〜ファントム・目立つ〜


「ほらあんた、これとって」 

安いカメラもアングル次第。ファインダーを覗いている時にぽんと肩を叩かれたわたしは、一瞬ぽかんとした。 「ほらあんた」あ、あんた呼わばり?

「これとって」命令される??

ここはシリアで、天王寺駅前でも歌舞伎町でもないのに??? だが、3つ巴の混乱はすぐ去った。論理的思考回路はすぐに復旧し、わたしは振り向いた。

「あら!ごめんなさい。人違いだったわ。娘と間違えました」
「あーいえいえ、いいんですよ。写真、お撮りしましょう。あの辺の柱を入れて」
「あら、どうもすみません。じゃあお願いします」

 そこに立っていた、名曲「love is over」のオーヤーフィーフィーをぎゅっと濃縮して、きつく、かつ派 手にしたような感じの見知らぬ小柄なおばちゃんは、そんな空想と論理的思考回路を粉々に粉砕し、ヒマラ ヤの彼方までぶっとばした。

「はい、これがシャッターな。あの柱が入るようにして、その辺から撮って。・・・もう少し下がらんと 入らんやろ、そうそう・・・そんなに下がったら人が小さくなるやろ。ちょっとしゃがむとか、ちょっ と工夫すればええんよ。いい? 撮った? あ、2枚撮ってな。ほら、あんたも撮ったるわ。そこ立って。もうちょ っと右行って・・・もうちょっと・・・行きすぎ、戻って。もうちょっと前来て・・・そんなに前に来 たら人が大きくなり過ぎるやん、下がって下がって。はい、じゃあ撮るな・・・はい、撮ったわ。 こんな風にな、撮る人が動いて、人と景色がちょうど入るようにするとええんよ」

 催眠術にかかったチンパンジーのように、言われるままに前進、後退、屈伸等々、わたしは動いていた。 見知らぬ人にこのように使われることは初めてで、脳は事態を把握するのに精一杯。自分の意志を持つ余裕 など、まるで無かったからである。

 高飛車な口のききかたと人使いの荒さにも拘わらず、彼女にはどこか愛嬌があった。  ううむ、彼女はもしかすると元モデルだろうか。足の形がきれいだし、撮影時に足のポーズが怖いほど決 まっているし、写真に詳しそうだし、この対人態度も、モデル業界では普通なのかも。

 だが、それにしては、背が低くて顔が険しい。もしかすると「足モデル」か?「手タレ」があるんだか ら、パンスト専門の「足タレ」のようなものもあるのかも知れない。

自分のカメラを受け取ったころ、地球を一回りした思考回路がようやく戻ってきた。それと同時に麻痺し ていた発声器官も回復。やっと言葉を出せるようになった。

「・・・はあ、確かにそうですねえ。写真、工夫されてますねえ」
「そうやで。あたしも人に言われてんけどな、・・・」

 彼女は、人物と背景の構図および撮影者の動きについて、ひとしきり講義した。

「なるほど。そうそう、思い通りの構図で撮りたいなら、三脚を使うといいですよ。わたしの知り合いは 三脚を使って、思い通りの構図で思い通りのポーズで撮るんです。ほら、あの人ですけど、本当にうまいですよ」

 わたしは遠くでポーズを取っていたMさんを指差した。

「ああ、三脚な。あたしも持ってるけど、いっぺんも使ったことないわ」

 自慢するかのような彼女の言い方が引っかかって、「なんで?」と聞くタイミングが一瞬遅れた。すると その前に、彼女は唐突に話題を変えた。

「あたしな、スーツケース無くしたんや」
「えっ! どこでです?」
「飛行機で。ダマスカスで出てこんかったんよ」
「そりゃ、最初からとんだ災難ですねえ」
「そうや。この間イギリスに旅行に行ったときに、色々足りへんもんがあったから、今回はなんでもかん でも入れてきたんよ。こーんな大きなバックで、ごっつ重たいのを持ってきたのに」
「へえ、そんなに何を持ってきたんです?」
「えーとな、・・・」

 彼女は、12日の旅行中、毎日異なるトータルコーディネイトで現れる予定だったらしい。家具と布団を 除くわたしの家の全品物以上もありそうな長い長いリストに、わたしはただただ驚きいって、何とコメント すればいいのかまるで分からなかった。

「いやあ、すごいですねえ・・・でも、着替えがないのは大変ですね。同じのを着ていないといけなくて」
「そうやねん、あんた。これも人に借りたんよ。あんたも余った服あらへん? どんなんでもいいから、あったら持って来て」
「あー、あーいや、すいません。余りはないんです」
「あーそう。でも後で、もしあったら持ってきてな」
「はあ・・・」

 ズボンとTシャツ各二枚を代わる代わる着回すつもりだったので、余りが無かったのは本当だ。 しかし、もし貸したとしても、大屋政子(漢字、合ってる?)ばりの派手な彼女のファッションセンスでは、とうて い着てもらえることは無かったろう。

 なかなかおもしろいおばちゃんだけど、今後はあまり近づかないようにしよう。でも、暇なときにちょっ と喋るにはいいかもなあ。しかし彼女は、頼れそうな人にガッチリ食らいつくタイプだろう。それならわた しは射程外だ、あー良かった。

 ともかく、この目立つ怪女には要注意。彼女との初対面で、とりあえずそれだけは肝に命じた。 そしてこの「大阪のおばちゃん」は、日を追うにつれ、このツアーの台風の目となっていったのである。

※「オーヤーフィーフィー」「大屋政子」の表現は、F嬢のコメントを借用させていただきました。  適切な表現、どうもありがとうございました。



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