山口さんの「さまよえるラム」−3

中東のお肉は食べられなかった紀行?


●明と暗

 4月13日木曜日、旅立ちの朝がきた。
 集合は8:30に成田空港。家からは1時間かかるので通勤時より早起きとなったが、寝起きの気分も床離れ も駅へ向かう足取りも、バラ園を舞う蝶のように軽かった。  水着(トルコの教訓)もカメラ(モロッコの教訓)も確認した。二日酔いでもない。かつてない万全の態勢で 家を出ると、門出を祝うかのように、春の陽射し溢れる美しい青空がどこまでも広がっていた。

 行きは、アムステルダム経由でシリアのダマスカスに入る。飛行機はモロッコ旅行と同じくKLMオランダ航 空。アムステルダムまでの往復は、モロッコの時と全く同じ時間の便である。

 さて、集合場所に現れたMさんを見て、わたしは我が目を疑った。100人が100人驚くに違いない。いつ も荷物が小さいのは知っていたが、今回は12日のツアーだというのに、ランドセルより小さなリュック1つで 現れたのである。

「そ、それだけ?」
「うん、今回はコーヒーメーカー無しだからね」
「へええええー。それに、替えシャツとか替えズボンも入ってるんですか?」
「当・然」
「たくあんも?」
「当然。それに、今回は甘納豆もあるよ」

 リュックは、米がぎっしり詰まっているかのように、ずしりと重かった。ものすごい密度である。脳裏に、レ ーズンのようにぺちゃんこになっている甘納豆の様子が浮かんだ。

 添乗員Aさんは関空発のため、ダマスカスで合流する。その代わり、アムステルダムまでは大阪弁のお姉ちゃん (オランダツアーの添乗員)が付き添うという。彼女が説明しているところに、Sさんが現れた。

「いやー、まいったまいった。フィルムと新聞を家の玄関に忘れちゃったんですよ。おかげで、もう一度新聞  を買いましたよ。後で見せてあげますね」

 新聞を読むまでもない。Sさんの顔を見れば、宿命のライバルの勝利を報じる内容であることは明らかだった。 さほど興味はないが、折角の好意である。ちょっと見せてもらうことにするか。  斜に目を走らせただけで、わたしは深く後悔した。

「巨人、阪神に完勝!メイ、古巣に雪辱!野村監督の抗議中断の揺さぶりにも全く動じず」

    単に「負けた」というだけなら毎度のことで、負け惜しみの言いようもある。だが、完敗(いきなりジャブ) の相手が巨人(右フック)で、しかも投手が元チームメイトのメイ(とどめのアッパー!)とあっては・・・ (マットに沈んだジョーを、無言で見守る段平おやじ)

笑顔のSさんに新聞を返す能面顔の下では、「阪神9連敗!」という帰国日の新聞の見出しが鮮明に浮かんでい た。カラー紙面3面を使っての悪い知らせに、旅立ちの喜びは、ダンプに轢かれた蛙のようにぺしゃんこにつぶれ てしまった。(注:善意のSさんを恨む気持ちは無い。悪いのはメイや!)諸行無常の境地に陥ると、俗世の喜 びもまた色褪せて見える。いつもは飲みまくるお酒もあまり飲む気にならず、ガイド本を読み、映画を見、うた た寝をするという、1999年代の自分とはまるで別人のようなストイックな時間を過ごした。

 一方、Gの勝利に酔うSさんは、まさにわたしの対極を行っていた。  昨夜は壮行会で飲み、帰宅後Gの勝利を祝って飲み、機内では食前に飲み、食事中に飲み、飲み物サービスの 度に飲む。食事のトレイには、いつもワインの瓶とビールの缶が、数本ずつ積み上げられている。  Sさんの凄いところは、これだけ飲んでも顔色が全く変わらないことである。そもそも、真っ昼間からどうし てそんなに飲めるのか。もしも体調・気力とも万全で臨んだとしても、わたしにはとても太刀打ちできない。次 々と杯が空けられていく様を、わたしはただただ驚きの眼で見守った。

 一方、いつもと違って飲まないわたしの様子に、Sさんも驚いていた。 

「どうしたんです、飲まないんですか?? 全く、らしくありませんよ。 本当に本当に本当に飲まないんですか?」

 ワイン4本弱、ビール6缶(もっと多かった?)、仕上げにウイスキー(わたしが寝ている間を除く)。その 飲みっぷりを見ているだけで、わたしは十分酔った。禁酒の一手段として、この手は使えるかも知れない。  さすがにSさんの目の縁がほんのり桜色に染まった頃、飛行機はアムステルダムに到着した。



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