山口さんの「さまよえるラム」−1

中東のお肉は食べられなかった紀行?


●どこへ行く?

世紀末、2000年が明けて間もなくのある日。 会社でいつものように真面目な顔で(これはサラリーマンの基本姿勢)パソコンに向かっていると、メール着 信の画面がぴょこんと表示された。 発信人は、学生時代の友・トンちゃんだった。

「だれか3月頃、1週間くらい旅行に行かへん? 行き先未定。 できればあったかいところ。エジプトとか南の島とか」
わー、行く行く。「行く行く」

思った瞬間にはもう返信を出していた。着信から返信を出すまで、その間は3秒も無かっただろう。 その夜、トンちゃんから電話があった。

「やーやートンちゃん、久しぶり」
「ほんまやなあ。メールありがとう。それにしても、返信、めっちゃ早いなあ。びっくりしたわ」
「うん。こういうことは迷わず即決やねん。ところで、行き先の希望はあるの?」
「うーん、メールにも書いたけど、特に、というところはないねん。できたらあったかいところがいいかなあと いうくらいで。強いて言えば、エジプトとか南米とか、面白そうかなあ」
「なるほどなあ、確かに。今まではどこに行ったことがあるの?」
「えっとなあー、イタリアと中国」

 そんな話をしているうちに、わたしは今まで一番行ってみたかったところを思い出した。一般受けしないため か、今までいつも催行人数に達せず、行けずじまいになってきたあの場所。だが、変り種が好きそうなトンちゃ んなら、賛同してくれるかも知れない。

「そういえばさあ、ずっと行きたかったところがあんねんけど」

 去年モロッコ旅行で使ったS社から時々送られてくるようになったパンフレットをがさがさと広げながら、わ たしは言った。

「へー、どこ?」
「シリア・ヨルダン・レバノン」
「えーっ、シリア・・・?」

 さすがに予想外だったらしく、一瞬間があった。ふっふっふ、まいったか。わたしは意味もなく優越感に浸っ た。

「・・・そりゃまた、すごいところやなあ。そこっていったい何があるん?」
「映画の”インディージョーンズ3”のラストシーンに出てくる遺跡とか、”アラビアのロレンス”の撮影に使 われたところとか。ほんっとに、めっちゃいいねん」
「へえー、そうなん」

 トンちゃんは映画を見たことがなかったらしく、納得したようなしないような返事をした。それ以上の突っ込 みがなくて助かった。3カ国についてのわたしの知識はこれが全てで、行きたい理由もこれが全てだったからで ある。

「絶対いいよ、間違いなし!どう?」

 大いに乗り気になってくれるだろうと思いきや、以外に返事は重かった。

「うーんでもなあ、あの辺て危ないんちゃう?」
「大丈夫大丈夫。イメージだけやって」
「いや、最近のニュースで見たで」
「えーそう?」

 ちょっと調べて2、3日後に決めようということになった。  そんなニュースあったかなあ。疑いながらテレビをつけると、レバノンの話題がトップニュースで報じられて いる。しつらえたようなグッドタイミングである。 内容はグッドとは程遠かった。日本赤軍のメンバーが 獄中結婚し、数日後には出獄して亡命するという話題だったのである。

 さすがにこれは少々危険かもなあと思った。レバノンの情勢に関してではなく、このニュースが全く気になら ない自分のノーテンキさに対してである。長年の夢を、赤軍に邪魔されてなるか。それに、遺跡と赤軍はあまり 関係なさそうだし。
 旅行会社に問い合わせると、問題は無い、と言った。 数日後、再びトンちゃんを説得した。

「やっぱり、シリア・ヨルダン・レバノン、いいよ〜。旅行会社に聞いたけど、観光地は大丈夫だってさ」
「うーん、そうなんかなあ」
「いけるいける。東京でサリン事件があっても、北海道観光は大丈夫なのと一緒やって」
「うーん、そうかなあ」
「そうそう。それに、このコース、どうせなかなか催行にならんから、一応申し込んでみて、 駄目だったらエジプトにしよう。ねっねっ」
「うーん、そうやなあ」
「人数を増やした方がいいから、トルコ旅行の知り合いにも声をかけてみるわ」
「うーん、分かった」

 こうして、トンちゃん攻略は成功した。結局、トルコ旅行の仲間のSMペア(アブない仲の二人ではない)を 誘い、4人でシリア・ヨルダン・レバノンの旅に申し込むことになったのである。

 なお、レバノンが岐阜県と同じくらいの広さであり、首都ベイルートが渡航禁止危険地域であり、ここ2、3 年の間に首相暗殺があったことを知ったのは、レバノンに行く日のことだった。



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