トルコ絵日記 8日目





いよいよトルコ最終日。この日は丸1日フリータイムです。昨日の雨もからりと上がって太陽が照り、いかにも観光日和です。 わたくしはホタテさん、タザキさんと共に出かけることにしました。 まず初めに行ったのは、昨日ほとんど見物できなかった「グランドバザール」です。 ここは、昔ながらのトルコの市場の雰囲気が味わえるところで、6畳間程の店舗がびっしりと密集しています。 売り物はありとあらゆるものがあり、食器、飾りもの、ベリーダンスの衣装からハマムのおばちゃんのレースのパンツ (とても大きい)まで、ないものはありません。 店内は、床から天井まで壁を覆い尽くすように商品が飾られ、かろうじて足の踏み場があるという感じです。

残念なことに最近はすっかり観光地化してしまい、地元民はほとんど買い物に来ません。 店員達はいかにも暇そうにしており、店の前に立って客引きをします。 その技がなかなか巧妙で、「あっ、落ちましたよ」(振り向かせるためのワナ)「もってけドロボー!」などと言っては気を引こうとし、 少しでも振り向けばもう捕まってしまいます。日本人て、カモにされているんですねえ・・・


さて、ここは広大な敷地の中を細い道が網の目のように張り巡らされています。 似たような店舗ばかりの上に屋根がついているので、目印になるものが殆どありません。 ちょっと歩くともうどちらを向いているのか分からなくなります。 当然の如くわれわれは道に迷ってしまったので、道行く人に地図を出して道を訊ねました。 すると、周りにいた男性共が5、6人「わわわっ」と寄って来ました。 そして地図を奪い合い、「これはこう見るんだ!」「いや、逆さまだ!」などと、大議論が始まったのです。 事態のあまりの急展開についてゆけず、呆然とすること約5分。 その間にも騒ぎはどんどん大きくなっていき、かつ話題は地図からどんどん離れている模様です。

ようやくの思いで、「ありがとうありがとう。後は何とかします」と口を挟むと、「まあまあ、そこでチャイでも飲もう」 と(やはり)ナンパされてしまいました。折角の嬉しいお誘いですが、何しろわれわれには今日1日しか時間がありません。 何とか地図を取り返し、笑ってごまかしながらその場を立ち去ったのでした。



次に訪れたのは「地下宮殿」でした。これは、街の地下に造られた巨大な貯水用の建造物です。 アヤ・ソフィアの近くに公衆トイレと間違えそうな小さな入り口があり、受付で入場料を払ってから階段で地下に降りていきます。 すると、入口のこじんまりさからはまるで想像できない、野球場がすっぽり入りそうな程巨きな建造物が目の前に現れます。 「地下に、こんなものを造るとは!」と、昔の人のアイデアと技術には感服させられました。 中は薄暗く、宮殿の床には1m位水が溜まっています。何本も立ち並んだ柱がライトアップされ、神秘的な雰囲気を醸し出しています。 柱の間には幅4m程の歩道が真っ直ぐに奥の方へ続いているのですが、一人でここを歩いていくのは結構勇気が要ることでしょう。


ここでの目玉は、柱に使われている「メドゥーサの頭」です。柱の床に接する部分に、横向きの直径1m位の顔があります。 逆さの顔もあります。これは、昔ここを建造するときに、遺跡の石を手当たり次第に持ってきては材料として使ったからだそうです。 薄暗い中にぼーっとライトアップされている水に少し浸った顔というのは、なかなか不気味で迫力があります。 それにしても何故真っすぐに使わなかったのでしょう?これがトルコの洒落っ気センスなんでしょうか?(なんじゃ、そりゃ)

さて、ここでも「やあ、日本から来たのですか?」と、声をかけられました。声の主は同じ年くらいのトルコ青年二人連れ。 いやー、日本人はもてますねえ。彼らの日本語はとても流暢で、ウールさん並でした。 何でも、彼らのうちの一人は、かつて東京の中野の日本語学校に通っていたそうで、「わたしは津田沼に住んでいる」というと、 「ああ、総武線の各駅停車に乗るんですよねえ。黄色い電車でしょう」と、非常にローカルな話題まで知っていました。 すっかりたまげているわたしくしの肩を、ホタテさんがつつきました。 「こんなお金を払って入る観光地に、地元民がいるのはおかしい。ナンパが目的だ!」 確かに、言われてみればそうかも・・・と思いつつも、親指を入れて手をくるりと1回転させると願い事が叶うという、 柱に空いた小さな穴など、ガイドに書いていない穴場を教えてもらいました。

どうもありがとう!ナンパ少年でも仲良くなるのはいいことですね〜(?)。




地下宮殿を出ると、路面電車の線路沿いにガラダ橋の方へ歩いていきました。 橋のすぐそばには、かつてのオリエント急行の終着駅であるシルケジ駅があり、ホームには切符が無くても入れます。 クリスティとバーグマン を思い浮かべながら構内で写真を撮れば、気分はすっかり映画人です。

ガラダ橋に着くと丁度お昼時だったので、昼食にはガラダ橋名物の「サバサンド」を食べることにしました。 サバサンドとは、サブウェイのパンを一回り大きくした位の堅めのパンに、半身のサバ、1/4のくし切りにした玉ネギ、 同じく1/4にくし切りにしたトマトが2切れが挟まれたドック風サンドイッチです。 しかもこの大きさで何と感動の150円!地元民が大勢食べているのも頷けます。


サバサンドは、橋のそばの湾沿いに何十隻か碇泊している、平らな屋根のついた平船で作られています。 1船には3、4人が乗っており、作り手と売り手に分業して商売をしています。 結構揺れる船内にはサバを焼くBBQの台、玉ねぎとトマトが山積みになったカゴが置かれ、 よくひっくり返らないなーと感心させられます。 私が買った船の店員は全員、黒地に金の刺繍の入ったベストにアラブ風のズボンというお揃いの恰好をしていて、 なかなか洒落ておりました。

さて肝心の味ですが、サバは正に日本の「焼いた塩サバ」で、野菜は全て生。 路上に置かれた台にレモン汁の小瓶と塩がおいてあるので、それを好みでかけて食べます。 生の1/4玉ネギに初めはひるみつつも思い切ってかぶりつく(ビックマックより口を開けないと食べられません)と、 それは正に予想通りの味。わたしは塩サバが好きなので、時々玉ネギに涙しつつも、大変おいしく頂きました。会社の隣で売っていたら、 多分週に2回は食べるでしょう。我が家が電気コンロなのが悔やまれます。

家で焼きサバを食べられる方は、是非お試し下さい。但し、その時には、玉ネギは必ず1/4のくし切りを豪快に挟みましょう。 決して薄切りにしないように!




昼食の後は、ホタテさんお勧めの本日のメインスポットである「ルメリ・ヒサール」へ向かいました。 これは「コンスタンチノープルの陥落」等で有名な歴史的要塞です。まずは、ガラダ橋からバスに乗りました。 公共交通機関を利用するのはこれが初めてです。売店で乗車券(ビレット)を買い、 分かりにくかった(ローカルな方向のため?)バス乗り場を漸く見つけると、丁度バスが出るところで、しかも席が空いています。 好調な出だしにほくほくしているうちに、30分程でバスは目的の駅に到着しました。


そこからは、地図と時々出ている看板を見ながら歩くこと約10分。多少は迷ったものの、案外あっさりと、 目の前にルメリ・ヒサールの巨大な城壁と大きな門が現れました。  しかし、・・・門が閉じられている! 重たげに錆びついた門は、奈良の大仏様にキックでもしてもらわねば開きそうにありません。 「えー?今日は休み?」「いやー、でも定休日ではないはず?」 諦めきれない我々は、頭をひねりつつ門の隙間から中を覗きました。 すると、何と中には観光客らしき人がいます!鋭いわれわれは、すぐ思いつきました。「そっかー、別の入り口があるんだ!」

しかし、ルメリ・ヒサールはさすがの歴史的要塞です。 壁の周りは人の接近を阻む深い茂みと森に覆われ、別の門に続く道を探して歩いていると、どんどん要塞から離れていってしまいます。 それでも目新しい道や案内板を見つけては辿っていくと、・・・結局最初の門にたどり着いてしまいました。

もう、こうなったら強硬手段です。「文化遺産を大切に」という標語を叩きつぶすかの如くガンガンドカドカと門を叩き、 「ウエアー イズ エントランス??」と、門の内側の観光客に呼びかけると、少年が寄って来てくれました。 やったー、ありがとう! しかし、彼は言葉が分からないのか、面白げにこちらを眺めるだけです。 くーっ、見せ物とはちゃうんや!やはり自分たちで道を探すしかなさそうです。


ルメリ・ヒサールは郊外のややマイナーな観光地のためか、道行く人で英語を話せる人に出会えません。 道を聞くと、「ルメリ・ヒサールに行きたい」ということは伝わるのですが、相手の説明が全く!全然!分からないのです。 (熱意は伝わって来るのですが) それでも一生懸命訊ねながら、 登ったり下ったり一回りしたりひらめいたり途方に暮れたりしつつ延々と迷いながら2時間余り経った頃、殆ど奇跡的に、 遂にわれわれは入り口にたどり着いたのでした。その時の感動を思うと、今でも「お、おおー!」と言ってしまいそうになります。

さて、中に入ると、一番ここを楽しみにしていたホタテさんはひとまずベンチで休憩、わたくしとタザキさんは早速城塞探検を始めました。 石造りの古い要塞は、いかにも鉄の甲冑を着けた騎士が似合いそうな雰囲気です(あくまで、わたしの印象ですよ)。 高さ数十mはある城壁の壁沿いに、手すりのないシンプルでステップの高い階段が上まで続いています。 さんざん歩いた後でしたが、到着の感動で興奮していたせいか長い階段も苦にはならず、頂上へ向けてまっしぐらに登りました。

長い逡巡の末にようやく目にすることのできたルメリ・ヒサールのからの眺めは、それはそれは素晴らしいものでした。 からりと晴れた空は高く大きく、眼下には横たわるボスポラス海峡は深みのある青色で、船が白い波の筋を描いています。 ボスポラス大橋も間近に見え、ひっきりなしに車が走っていました。涼しい風を顔に受けながらそれらを眺めていると、 ここまで来た甲斐があった!としみじみ思われました。

タザキさんがスケッチを終え、復活したホタテさんも一通り観光を終えると、ガラダ橋のある街の中心部へ戻ることにしました。 通りに出ると、繁華街方面へ向かうバスがたくさん走っていたのでそれに乗ろうとしたのですが、 バス停はあれど乗車券売場が見あたりません。 それでまた1時間程さまよい、結局「現金で乗せてもらおう」と思い切ってバスに乗り込んだところ、 なんと社内に乗車券売りの人がいました。乗り口はバスの真ん中辺りにあるのですが、その横の専用スペースに座っていて、 乗り込んでくる人に券を売っているのです。これはなかなか楽チンな商売だな〜と感心したのでした。



ルメリ・ヒサールの次は、疲れを知らぬ観光の鬼(?)のわたくしとタザキさんは新市街の観光へ、 人間らしく多少お疲れモードのホタテさんはひとまずガラタ橋へと、別行動をとることにしました。

一人旅慣れしたホタテさんと別れ、果たして二人だけで無事回れるのか? ・・・ホタテさんに手を振りながらバスを先に降り立った時の漠然とした不安は見事に的中しました。 何と、降りた駅が予定よりもいくつか手前だったのです。あまりにも見事な出だしボケに、我ながら感動してしまいました。

しかし、このくらいの失敗は足で余裕のカバー。方角に見当をつけ、あるときは歩道を、 あるときはどうみても車専用の道をずんずかと歩いて行きました。イスタンブールの道路はカーレース場を兼ねているらしく、 ドライバー達の運転テクニックは華麗で大胆かつデンジャラスです。しかし周りの状況はよく見ているらしく、 反対側の道路を通る車からも、「おお、日本人!」という警笛での挨拶を時折受けました。

新市街の中心部に着くと、まずはタクムシ広場という繁華街のど真ん中にある細長い公園を散歩しました。 公園のそばに立つ「共和記念塔」は最も交通の激しい往来の中央に立っているので、猛烈な排気ガスまみれでした。 これを建立した人はきっと何かの恨みがあったのでしょう。


さすがに歩き疲れたので、われわれはトルコではまだ珍しいマクドナルドで一服しました。 メニューには、トルコのオリジナルドリンク「アイラン」(ヨーグルトジュース)があり、 チャレンジャーのタザキさんは早速試飲。乳製品が苦手のわたくしは、ごく普通の味のオレンジジュースを美味しく頂きました。 ハンバーガーは「羊肉が入っているかも・・・?」と思うと手が出ませんでしたが、店内もお手洗いも日本よりゆったりしていました。 アンチマクドのわたくしですが、イスタンブールマクドはなかなかお勧めです。1度は覗きましょう。



マクドで休憩の後は、新市街の路面電車沿いのメインストリートを、ガラタ橋方向に歩きながら見物しました。 タザキさんのここでのお目当ては、お土産用のチャイセットです。10組位でお買い得なものを探して細い路地沿いの食器屋を覗いていると、 店主が現れました。「まあ、中へ来なさい」 というので小ウナギの寝床のような店内に入ると、 おもむろに取り出したのは1冊の絵本と手紙。

「なんだ?」と首を傾げるわれわれの前で店主は手紙を広げ、「読みなさい」と指さします。 それは、「あなたの店で買った食器はとてもいい!」という内容の日本語の手紙でした。 さらに、手紙の主らしい女性の肩に店主が手を廻して撮った写真まで同封されています。 「この通り、うちの店は安心だ!」という宣伝のようです。

ところで肝心のチャイセットの方は、タザキさんがズバリと気に入ったのがありませんでした。 しかし、「じゃあ、別の店に行こうか」と店を出ようとする(これは値下げ戦術ではなく本心です)と、店主が「まーまー、待て待て!  これはどうだ!?あれはどうだ!? スプーンをおまけするからどうだ!?」と手を取ってモー裂に引き留めるので どうしても出られません。トリモチのようなこのねばり強さ、さすがはトルコの商人(あきんど)です。  そしてついには「もっと安いのがありそうなんだけど・・・」と言いながらタザキさんが妥協し、 店主はみごと本日の売上を伸ばしたのでした。

トルコでの買い物は、全然買う気が無くても買う気にさせられ、少しでも買う気があると大抵買わされます。 さらに、ニッコリでもしようものなら「アイラブユー!キスミープリーズ!」と大胆に迫られます。 お買い物の際には以上の点に気を付けて、大いに楽しみましょう。



新市街を歩いていると、道すがらに「ドンドルマ屋」を見つけました。 ドンドルマとはトルコ名物のアイスクリームで、粘着力が強いのが特徴です。 これを食べずしてトルコのB級グルメは語れない、というわけで早速食べることにしました。

売り子はコーンにアイスを盛ると、1.5m程の棒の先にアイスクリームをくっつけ、お客の手元に「あいよ」と渡してくれます。 丁度トリモチのようです。そこでコーンを掴もうとすると、売り子は棒をくりん、くりんと回してなかなか取らせてもらえません。 しばらくもてあそばれた末、「うっきー!」となる直前のタイミングを見計らって渡してもらえます。 これはドンドルマを食べるための神聖な儀式なので、老若男女誰でも謹んでお受けましましょう。

さて、味の方は以外や以外、ウルトラスーパー超ミラクル劇甘のトルコ菓子という掟を破る、あっさりした甘さでした。 ジェラートとソフトクリームの中間のような感じです。一口食べたらギブアップかも・・・という初めの覚悟はどこへやら、 大変美味しくいただきました。見た目は同じようにねばっこくても、 かつてアメリカで食べたシャーベット(幻の旅行記『アメリカへ行ってきました』参照)とは月とスッポン!でした。 このように書いているとまた食べたくなってしまった・・・。帰りがけにジェラートでも食べようかなあ。




新市街のメインストリート見物の次は、ガラタ塔に行きました。ガラタ塔は1348年にジェノヴァ人が建てたもので高さは68メートル、 最上階にはレストランやナイトクラブやバーがあります。新市街のメインストリート南端 の金角湾を見下ろす高台に建っており、 ガラタ橋から行くときは、世界一短い地下鉄に乗って終点で下ります。


最終日の夕方の空は明るく晴れ渡り、西日に照り輝く街並みは、まるでエルドラドのようでした。 「寂しいなあ・・・」 わたくしはふと痛切に感じました。といっても、 どちらかといえば胸の内側というより外側の問題−−つまりは懐具合のことです。 というのは、財布の中にはもう100万トルコリラ(約200円)程しかなかったのです。 ドンドルマさえ食べなければ丁度良かったのに、食い意地が理性に勝ってしまった結果でした。とほほほ・・・


しかし、タザキさんに借金して(返金は日本円)入場券を買い、登ったガラタ塔からの眺望は、本当に美しかったです。 黄昏色に中世風の町並み全体が染まり、ボスポラス海峡の群青色はサファイアのよう。 「魔女の宅急便」の街を彷彿とさせる眺めでした。ガラタ塔で本日の観光、つまりトルコ観光は終わりの予定でしたので、 このときばかりはさすがに感傷的になったのでした。

さて、ガラタ塔からはガラタ橋を経由してホテルまで歩くつもりでした。 ところが、ただひたすら南に向けて下れば着くはず(?)のガラタ橋に行く途中で、われわれは再び道に迷ってしまった (もーいやーん!)のです。しかも、途中から少々脂ぎったナンパ男性がついてきて、 「ハロー、ボンジュール、マドモアゼル、コンニチハ、 キャン ユー スピーク イングリッシュ?」と切れ間なく話しかけて来ました。 完全無視しているのに、彼、タザキ女史、わたくしの順にぴったり横並びについてきて、全くめげる様子がありません。 (タザキ女史を特にお気に入りだったらしい)

しかしさすがは大人の女(!?)タザキ女史は、橋にたどり着くまでの30分余りの間賢明かつ忍耐強〜く沈黙を守り続けたのです。 うむむ、え、偉い!そしてついに橋が見えてきたところで、彼はぷいと離れていったのでした。何事もなくて良かった・・・。

1日でこんなに道に迷う暇があるとは、えらい日が長いなあとお思いの方もいるでしょう。 そう、トルコの夏は日がとーーっても長いのです。この日だけで、たっぷり4時間は余計に迷い歩きました。

ガラタ橋についた時点で、時刻は7時をとっくに過ぎておりました。 ここからホテルまで歩くと迷わずとも1時間、迷ったら日のあるうちに帰りつけないかもしれません。 それは怖いので避けたい!かといって、われわれには安くて有名なタクシーに乗るだけのお金すらなく、足もくたくたでした。 財力と体力の限界を感じた二人は、残された最後の手段たる路面電車で帰ることにしたのです。


停車場に向かうと、何と早くも終電!切符を二人分買うと(残金はもはや10円単位)電車に飛び乗りました。 ぎゅうぎゅうづめの社内は殆ど男性ばかりで、結構物騒な雰囲気。横に立っていた女の人が「かばん、前にかかえなさい!」 と注意してくれる程で、地元民でもこの時間は女性は利用しないようです。 とはいえ、背に腹はかえられないのでここはひたすら我慢と辛抱。しかし、この短くも長い4駅10分程の乗車のおかげで、 われわれは何とかホテルに帰り着くことができたのでした。

なお、この日は貧乏ゆえに夕食抜きでした。ぐっすん。



やっとホテルに帰り着いたものの、ほっと一息つく間は殆どありませんでした。 というのも、翌朝1時発の日本行きの飛行機に乗るため、夜10時にホテルのロビーへ集合だったからです。 今思い出してもあの日は本当によくぞまあ帰り着けて良かった〜としみじみ思われます。

ホテルから空港へ向かうバスに乗り込むと、そこには何とあのアンカラで涙ながら(?)に別れた18歳のバスアシスタント、 レジェフがおりました。今回の運転手はケマルさんの弟だったのです。よく働く息子&甥の彼は、きっと一族の誇りでしょう。

深夜の空港は来たときと同じように、週末の渋谷の如くごったがえす人々でにぎわっていました。  さて、チェックインの前に、絨毯を買った人は免税手続きをせねばなりません。 旅行中、「陰の添乗員」として目覚ましい活躍をしたミツウチ氏の後について、われわれは手続きカウンターに向かいました。 ところが、地図で示された場所に行くと、「ここは入国手続きのエリア(か何かそのようなもの)なので立入禁止だ!」 と警備員にストップをかけられてしまったのです。

場所違い?地図が違うのか?と色々悩んだ末、やはりここはお助けマンの真打ち・ウールさんに登場してもらいました。 会話の流れからすると地図も場所も合っているらしく、警備員とトルコ語でばりばりやりあう姿は、 思わず拝みたくなるような頼もしさです。

こうしてウールさんのお陰で、われわれは免税手続きカウンターにやっとたどり着くことができました。 と、ところが一難去ってまた一難。今度はカウンターが無人です。5分ほど待っても誰も来ないのでうろうろと周辺を探してみましたが、 現れる気配は一向にありません。カウンターの場所へは「特別なはからい」風に入れてもらったので、 頼りの綱のウールさんを呼ぶこともできず、残された道は自力本願のみ。必死でカウンターの前で大声で騒いでみたり、 空港職員らしき人に聞いてみたり(返事は「さあー?」でした)しているうちに、チェックインの時間まであと数分になってしまいました。 もう半ばパニック状態です。

と、そこで目に付いたのがカウンターに置きっぱなしのハンコ。 「もうよかよか、これを勝手に押してしまえ〜」と強硬手段にあわや出ようかとしたその時、やっと係員がどこからともなく現れました。 そして不在を詫びるでもなく、無愛想に書類にハンコをポンポポンと押してくれたのです。 「わあーあ、トルコの手続きって一体どうなってい るんだあー?」と頭の中を?だらけにしたまま、 われわれはチェックインカウンターに向けて猛ダッシュをかけたのでありました。

そしていよいよチェックイン。最後の最後まですっかりお世話になったウールさんともついにお別れです。 思わず泣き出す人もいて、涙と感度のフィナーレとなったのでありました。

やっとトルコは後にしましたが、もうすこーしだけ続きます。何故でしょう?それは次回のお楽しみ。



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