トルコ絵日記 7日目





カッパドキア地方からの長いドライブの末、9時位にバスはアンカラに到着しました。今夜の宿はアンカラ特急の寝台列車です。  ここで、7日間にわたり安全運転(結果的には・・・)でドライバーを勤めてくれたケマルさん、 助手のレジェフさんとはお別れです。走行距離は2千キロか3千キロだか(覚えている方御連絡下さい)、 とにかく大変長〜い道のりでした。本当にご苦労様、テシェキュルエドリムです。 ところで、列車の旅といえば「世界の車窓から」ですね。というわけで、今回はナレーション風でお送りします。 あのTVの口調を思い浮かべながらお読み下さい。

(チャラッチャッチャッチャ チャーラーラーラーラーーーラー)「今日は、アンカラから夜行寝台列車に乗ります」

割合に大きな駅舎は薄暗く、廃山した炭坑の駅のような趣だった。しかし、トルコの人々は陽気だ。 日本人が珍しいのか、周りを取り囲んで我々を眺めている。 (しかし、老若男女があたかもツアー参加者の如く接近して囲んでいるので、 「こ、これはもしや”一族郎党スリ集団”か?」と疑ってしまいましたが・・・) 電車は、くすんだオレンジの地に紺色の太いラインが入った車体だ。 高いステップを登ると、2畳位の個室が20余りずらりと並んでいる。 ドアを開けると右手に洗面台、その向こうにエアコン(?)がある。 左手にはゆったりめの椅子があり、就寝時間になると背後の壁に備え付けられた上下のベットが 開かれるという仕組みだ。窓にはグレーの薄いカーテンがかかっている。 (社内の設備についてはウールさんが 「みなさん、わたしは期待して下さいとは言いませーん。 とってもいい経験にはなると思いますですね。」 と言っていましたが、それほどひどくは無かったです。 でも大柄なトルコ人にとっては、かなり狭いと思われます。)


出発時間が来た。電車は前触れも無く動き出し、ぽつぽつとオレンジの明かりの灯る静かな町の中を走って行く。 (思わず、「銀河鉄道999」を歌ってしまいました) 適度な振動に思ったよりもよく眠り、翌朝は窓から射す日光で目を覚ました。 7時から食堂車で朝食。メニューはこぶし大のパン、チーズ、トマト、オリーブ、ゆで卵、 そしてお決まりのチャイはお代わり自由だった。(電車が揺れる度にチャイが転びかけるので、緊張しました)  朝食が終わると、間もなく列車はシルケジ駅に到着。朝の駅はやはり人も多く、活気がある。

ポーターは20人分余りの荷物を1つのカートに乗せ、器用に運んで行った。 (あの軋んだカートにあの大量の荷物は、器用というより無謀といえましょう) こうして、アンカラからシルケジへの夜行寝台列車の旅は終わった。

(チャラッチャッチャッチャ チャーラーラーラー ラーーーラー)「明日は、イスタンブール観光です」




ツアー7日目はイスタンブール観光です。 シルケジ駅からバスに乗り、まずはボスポラス大橋を渡ってボスポラス海峡をアジア側からヨーロッパ側へ、 次にガラダ橋を渡って金角湾を北岸の新市街から南岸の旧市街へと移動しました。 初めの観光地は、内装の美しい青白タイルで有名なイスラムの寺院、通称「ブルーモスク」 (正式名は「スルタン・アフメット・ジャミイ」)です。 高さ43m、直径23.5mのドームの周りに6本の「ミナレット」という尖塔を持ち、オスマントルコ建築の極みと言われています。  ここは毎日礼拝が行われる現役の寺院なので、膝が見える服装の観光客は、入り口で貸してもらう布を纏い素肌を隠して入ります。 壁面のモザイクタイルの美しさは言うまでもありませんが、メッカの方向の壁面に造られたステンドグラスも素晴らしかったです。

ところで、中で写真を撮っていると、サリー風の衣装にスカーフ姿の中東系の女性が話しかけてきました。 彼女はレバノンから家族でツアーに来たのだそうで、「明日のここでの礼拝がとても楽しみだ!」 と言っていました。その嬉しそうな顔を見ると、信心て美しいなあ、と思われたのでした。 次に訪れた「アヤ・ソフィア」は、高さ54m、直径30mのドームを持つビザンチン建築の大聖堂です。 ここはローマ帝国時代にキリスト教会として建てられたものですが、 オスマントルコに征服された時にイスラム寺院に改造されてしまいました。 信教に関することなのに、トルコ人て合理的ですねえ。 しかし、そのお陰でビザンチン美術の傑作と言われるキリスト教のモザイク画は 漆喰に塗り込められたまま残され、今日では復元されたそれらの作品を鑑賞できるようになっています。

その素晴らしさをとらえようと、自分なりに技術の限りを尽くして内部の写真を撮ったのですが、 悲しいことにほとんど真っ黒。顔ばかりが「てかっ」と目立つ写真になっておりました。高感度フィルムは必携です。




トプカピ宮殿は、宮殿内のレストラン「コンヤル」での昼食後見学しました。

まずは宝物の展示を見に行ったのですが、この日は朝から天気が下り坂でかなり冷え込んでおり、 自由時間になって間もなく、わたくしは「考える人inトイレ」になってしまったのです。 しばしの沈思黙考の後、悟りを開いて戻ってきたときには見学時間はあと5分。大急ぎで見学開始です。  衣装、家具、宝石、勲章などテーマ毎に分けて展示された品々はどれも豪華な贅沢品という感じでした。 その中でも有名なのは、こぶし大のダイヤと、柄の部分にマグロの目玉サイズのエメラルドが3つ埋め込まれた黄金の短刀。


どちらもルパン3世がいかにも狙いそうな、伝説を感じさせる逸品です。 あのサイズの宝石を見ると、日頃見かける石なぞ米粒のようで買う気が失せます。 誰かにおねだりされて困っている人は、見せてあげると良いでしょう。 一時しのぎにはなるかも。(旅費の方が高い?) 勲章の中には、日本の天皇からのものもありました。 ほかの勲章に埋もれかけているので、知らずにいたら見過ごしてしまいそう。

次は陶器の展示を見に行きました。シルクロードを通ってもたらされたもので、 ほとんどが中国製でしたが、日本の有田焼もあります。今でも飛行機で半日かかる程遠いトルコと日本なのに、 昔から結構交流があったんだなーと改めて思わされたのでした。

さて、トプカピの目玉である「ハレム」は、時間の限られたパックツアーの悲しさで、 見学に含まれていませんでした。ハレム見学には別料金が必要で、 しかも朝一番に並ばないと混雑で入れないのだそうです。

全てを見終わってホテルに帰り着いたのは午後4時頃でした。




ホテルに戻ってから夕食まで、3時間程時間があったので、女性4名、男性2名の有志6名は、 トルコ名物である「ハマム」に行ってみることにしました。 ハマムとは、トルコ式の銭湯です。あかすりとマッサージをしてくれますが、 日本のトルコ風呂のようなアヤしいものではありません。一般庶民の憩いとくつろぎの場なのです。

  ハマムには、観光客用のきれいめのものと現地人用のものがあります。 初体験のわれわれは、とりあえずウールさんもお勧めの観光客用ハマムに行くことにしました。 まずは、入り口でお金を払います。観光客用なので料金は高めで、約2000円でした。 (一般用は約500円らしい) そこからは男女別々になります。

入り口を入って左手の木製の靴棚に靴を入れてサンダルを履き、正面の受付でバスタオルを一回り大きくした位の布をもらいます。 そこから左に向かって幅1m強の廊下が5mほど続き、廊下の左手は壁、右手には黒い革張りの古びたベンチ。 その奥のロッカーの前が脱衣場です。(つまり廊下で着替えるわけです)

さて、脱衣の時に迷うのが、「全て脱ぐか、水着を着るか」という点です。基本的には水着or下着を着けていても構わないのですが、 我々が行ったハマムはお客は皆観光客で、全員裸でした。 しかしガイド本によっては「普通は下着をつけるべき!たしなみを知りなさい!」と書いてあるのもあり、 実際はどれが正しいスタイルなのかよく分かりません。トルコ通の方がおりましたら、是非教えて下さい。

服を脱ぐと、あかすりおばさんの待機部屋(らしい)を通ってその奥のサウナ室に入ります。 サウナ室は10畳位の広さで、中央に大きさは約6畳、高さ約40cmの大理石製の8角形の台があります。 壁際には水道台が幾つも付いています。 また、サウナ室から通じる4畳位の広さの小部屋があり、そこにも水道台があります。

お客は、大理石の台の上に受付でもらった布を敷き、その上に寝そべって汗をかくのを待ちます。 側で寝ていたトルコ系ドイツ人の人と喋りながら30分程経ったところで、いよいよあかすりおばさんの登場です。



おばさん達の特徴は、まずとても太っていることです。元小錦、現KONISHIKIを80%程に縮小したような感じです。 もしかすると、100kg以下では「あかすりおばさん」になれないのかもしれません。 自分の順番が近づくにつれ不安と緊張は高まります。
あかすりは結構あっさりしてるなー・・・
わー、でも結構痛そうな顔してるなー・・・
痛いときはなんて言うんだっけ?
そうそう「ヤワシヤワシ」だ・・・
わー、でも、やっぱりやめときゃ良かったかなー・・・
などと弱気になったところで、ついに自分の番が回ってきてしまいました。

おばさんが身振りで示す通り台の上にうつ伏せになると、気分はまさに「まな板の上の鯉」。 まずはあかすりです。足の先から首まで、しゃかしゃかとあかすりタオルでこすってくれます。 思った程強烈ではなく、案外あっさりしていました。背面が終わると仰向けになり、また全身しゃかしゃか。 それが終わると台の縁に座らされ、腕をこすられます。

それにしても、あかすりタオルは初体験だったのですが、凄い威力です。 軽くこすっただけなのにたくさん垢が出るので、結構感動しました。 (決して不潔にしていたわけではありません!)



あかすりの次は、再び台の上にうつ伏せになり、マッサージです。 石鹸はミカンのネットのような長い袋に入れられ、おばさんはその袋の口を持って軽く振り回し、 体に石鹸をぽんぽんと当てます。(変な方法・・・)

あっさりしたあかすりとは違い、マッサージは本格的でした。 足全体、背中全体にカンナをかけるように、しゅるーん、しゅるーんと力を込めて手を滑らせます。 するとどっこいあら不思議(でもないか)、あっという間に全身泡だらけになっておりました。 その泡立つことと言ったら、アタックをカップ2杯入れた洗濯機のようです。 顔にも泡が迫ってきて、目を開けてはいられません。

また、口を開くと泡を食べそうになるため、ツボを突かれても筋をしごかれても「ヤワシヤワシ!」も言えずじまいでした。 (どうしても耐えられない場合は、正に「泡を食って逃げる」しかありません) 背中側が終わると、仰向けになってマッサージ。

ここ数日飽食気味のお腹も、パワフルマッサージのおかげでへこんだことでしょう。  10分程のマッサージが終わると、部屋の壁際にある洗面台の前に連れていかれ、洗髪です。ややあっさりめのシャンプーの後、 子供キョンシーの帽子大のボールのお湯を頭頂から3杯と肩から3杯「しゃぶん」とかけられました。 そして、あと5〜6杯はお湯をぶっかけられる (という表現がぴったり)と身構えて目をつぶっているわたくしの手に「あいよ」とタオルを渡すと、 洗面台のほうを指さして、おばさんは立ち去ってしまいました。唐突ながら、終わりのようです。

シャンプー液と洗い方にやや不安の残ったわたくしは、もう一度洗面台でシャンプーをしてから上がりました。 さて、服を着て出口に向かうと、カウンター横のベンチで、数人のあかすりおばさんがタバコを吸いながら喋っています。 どうやらチップを待っている模様です。しかし悲しいことに、近眼の上ほとんど目をつぶっていたので、 顔がどうしても思い出せません。唯一記憶にあるパンツの色(黒だった)も、 今は腰巻きを着けているため判別不能。というわけで、感謝の気持はありつつも、 「テシェキュルエドリム〜(ありがと)」と言いながら出て来てしまったのでした。ごめんよ〜。

男性の方は、レスラーのようなおじさんが現れ、骨も折れんばかりのパワフルマッサージが繰り広げられたそうです。 入浴を終わってサロンでくつろぐときの、あの嵐を乗り越えたような安堵感と脱力感は、 これまた形容しがたい心地よさです。皆様も、トルコにお越しの際は、是非ハマムには挑戦しましょう。 まさに「一皮むけた」気になりますよ。




ハマムを出た後は、閉店間際の「グランドバザール」 (観光名所のショッピング街)を少しひやかした後、ホテルに戻りました。 この日の夕食は、ホテルからバスで10分程の所にあるレストランの「ベリーダンスディナーショー」に行きました。 300人は軽く入れそうな広くて薄暗い店内の中央部に20畳程のステージがあり、一辺は壁の楽屋口に接しています。 楽屋口の前には5・6人の楽団が陣取り、見慣れぬトルコ楽器を演奏しています。 食事が運ばれてくると間もなく、ショーも始まりました。

  まず司会者が白いライトアップされたステージに、その日のお客の紹介を一通りしました。 予想よりはるかにインターナショナルで、20カ国位からお客が来ていたようです。 そしていよいよ待望のベリーダンサーの登場。 白い衣装を身に纏い、ある時は激しく、あるときはやんわりと、くるくるくねくねと踊ります。

この日は数人のダンサーが出てきたのですが、みんな揃ってグラマーで肉付きが良く、 かつ弛んではおらず、まさに「むむ、妖艶じゃ〜」という感じでした。 (エジプトのベリーダンスは太ったおばちゃんが出てきて、みんな仰天するらしい)ステージの端に立ち、 観客の目の前で腰をふったり胸を揺らしたりとサービス満点。「よくあんなに動くなあー!」と素直に感動してしまいます。


ベリーダンス以外にも、トルコ式結婚式やグループダンスなどが披露され、ステージは大いに盛り上がりました。 しまいには、「さあ!観客の皆さんもステージに上がって踊りましょう!」という場まで設けられました。折角の機会ですのでわたくし も一応ステージに上がり、傍にいた外国人とペアで踊るわ、ベリーダンサーと並んで写真を撮るわ、と大いに楽しみました。

こうしてあっという間に3時間が過ぎ、まだまだ続くショーを後に、我々のツアーはホテルに戻ったのでした。



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