トルコ絵日記 6日目





ツアー6日目はカッパドキア観光でした。  初めに訪れたのはギョレメ野外博物館です。ここには、 岩の洞窟を利用して、4世紀頃からキリスト教徒が洞窟教会を造って信仰を守りながら住んでいました。 エルマル・キルセ(りんごの教会)、ユランル・キルセ(蛇の教会)、カラニンク・キルセ(暗闇の教会)など、 11世紀頃に岩を掘って造られた教会には、それぞれ特徴のある壁画が描かれています。 特に、壁一面に赤い絵の具で描かれた幾何学模様が描かれた教会が、素朴な感じで印象に残りました。 しかし、夕暮れ時は、薄暗い中で壁画の人物がじっとこちらを見ていそうなので、あまり行きたくないかも・・・。


住居跡で面白かったは家具。テーブルや椅子は、岩を掘り残して造られています。 大きい人も小さい人も、足が長い人も短い人も、みんな同じサイズの家具に合わせて生活していたんですねえ。 次に見学したのはゼルベ野外博物館。ここは、カッパドキアを代表する見事なキノコ岩が沢山連なっています。

キノコの軸に当たる部分は白い岩、傘に当たる部分は灰色の岩で、まるで塗り分けされたかのような配色です。 野外博物館では、暑い中高いところによじ登って行っては写真を撮りまくっていたので、 体温が上がっていつもよりハイになっていた気がします。 その興奮状態のまま絨毯工場に行ったためでしょう、きっと。 予想だにしなかった事態が発生したのは・・・。



さて、トルコ旅行中で最も激怒する事件は、ギョレメ野外博物館の 駐車場に向かう途中で起きました。 路傍に2匹のラクダがいたので、何げなくその横で写真を撮ったのです。 すると、ラクダの横にいたお兄さんがささっ!と立ちはだかり、「乗って写真撮ったら1ドル」と言いました。 時間も乗る気も無かったので断ったのですが、「乗って写真撮ったら1ドル」を繰り返し、行く手を阻んで立ち塞がります。 いらないっつってるのにーと押し問答をしている間に、集合時間になってしまったので、 写真を撮ってくれた気のいいシカノさんが終に折れ、 「いいよ、わかったわかった」とラクダに乗って写真を撮ることになってしまいました。


さて、お金を払い座っているラクダによじ登ると、兄さんはおもむろにラクダの糞掃除をもくもくと始めました。 ラクダは座ったまんま。「・・・ねえねえ、ラクダを立たせてくださいよ」と言うと、 「そのラクダは足を痛めているから立てない」と平然とのたまい、これみよがしに糞掃除を続けます。 えー!そんなのあり?じゃあもう1匹の立ってるラクダに乗せてくれればいいじゃないか! 無理やり乗せておいて、これだけでお金をとるなんて詐欺だ!横領だ! はいから野郎のペテン師のいかさま師の香具師のももんがあの岡っ引きのわんわん鳴けば犬も同然な奴だっ! と思いつく限りの罵倒文句を駆使して猛然と抗議する構えのわたしを、 全くもって人のいいシカノさんは「まあいいよいいよ」と宥め、 座ったラクダに乗った写真を撮り、その場を後にしたのでした。

あーあ、今思い出してもくやしい。今度会ったら真ん前でアコギな商売をみんなにばらしてやる! (たかが1ドルですけど、されど1ドルですもんね)それにしても、ラクダの写真を撮るときは、くれぐれも気をつけましょう。



話は前後するのですが(多分前日の出来事だったと思います)、トルコといえばトルコ石。 パッケージツアーには、言うまでもなく「トルコ石屋訪問」も含まれていました。 店に着くと、まずはお客全員を集め、店員が本物の石の見分け方を説明します。 「ホーラ、よーく見てください。どちらが本物でしょうか?」手のひらの上に載せて差し出した碁石位の2つの石を、 人々は熱心に凝視しました。

しかし、色や模様の違いは分かれど、どちらが本物かはとんと分かりません。 店員さんは、「じゃ、見ててくださいよー」とおもむろにペンチを取り出し、片方をペキンと砕きました。 すると中には白い芯が入っています。「このように、ニセ物は中は本物じゃありません。 本物は、中まで真っ青です」と言いながら、お客の「あーっ!」という悲鳴をBGMに、 もう一つの石も惜し気もなくペンチで砕いてしまいました。 すると何ということか、そちらもニセ物。折角の悲鳴は「あーららららー・・・」と尻つぼみのコーラスになってしまいました。

店員は「ふっふっふ、やはりみんな騙されたな」という満足げな微笑みを浮かべると、 さらに2つの石を出して砕き、我々の前に並べました。それは芯まで青い、正真正銘の本物の石。 トルコ産の石は無地の青で、ペルシャ産の石は灰色のマーブル模様が入っています。 「見比べてみろ」と、一度は無造作にわたくしの手のひらに載せられた本物のトルコ石でしたが、 「このまま持って帰ってええんかいのう?」とにやついているところで、 「じゃ、あっちのお客さんに回してね」とにこやかに奪い返されてしまいました。 嗚呼、「ドラえもん握手」とでも言って胡麻かせておれば、 お土産コレクションに本物のトルコ石も入っていたのに・・・実に惜しいタイミングでした。

こうした説明の後、店員は「みなさん、偽物にはくれぐれも気をつけてくださいよ!」と締めくくりました。 でも、砕かないと見分けがつかないんじゃ、どないすりゃいいねん? 買う時に「あのー、ちょっと砕いてみていいですか?」と言って、ペンチで割ってみろと言うんかい?・・・と、 しばらく悩んだのはわたくしだけでは無かったでしょう。 でも、見分けがつかないわたくし如きには、本物でもニセ物でもどちらでもいいのかも知れません。


「小さくて2・3千円のがあれば、記念に買ってみるか」と、わたくしもちょろちょろとショーケースに目を走らせました。 しかし小豆のような石の横に並んだ数字は、どう見直しても私の予算よりは0がいくつか多いのです。 目だけ走らせていたつもりが、結局足も警官の前を通り過ぎる泥棒の如く早くなり、 いつの間にかわたしはトルコ石売り場を通り抜けてしまっていたのでした。 その隣の雑貨売り場には、可愛らしい2人のトルコ少女がいました。 宝石吟味集団に加わらない(加われない?)ロンリーギャルに興味を持ったらしく、話しかけてきました。



さて、わたくしは高嶺の花のトルコ石売り場を離れて銅皿売り場 に避難し、ほっと一息ついておりました。 そこに、「こんにちは。ご覧になりますか?」と、 中学生くらいのかわいらしい少女が現れ、わたくしの目の前にかかっていたお皿をさっと下ろしました。 「ああ、かわいいですねえ」と相槌を打つと、「ね、そうでしょう。良く見てください」と言って手渡してくれました。

その時のわたくしは、姉妹向けに2ドル程度のお土産を探していたのですが (彼らの旦那さんに2ドルのカッパドキアの石の置物を買ったため)、とりあえず値段を見ると17ドル。 これを買ってしまっては、折角のお土産が家庭不和の発端になりかねません。 「むむむ・・・安くて女性向けの物はないですか?」と聞くと、「じゃあ、これは?これは?」と、一生懸命色々なものを取り出し てきてくれます。しかし全て10ドル前後で、値札を見ては「むむむむむ・・・」と考え込むばかりのわたくし。 そのうち、オーバーオールを着た10歳位の妹ちゃんまで近寄って来ました。 英語を喋る商売上手な姉を尊敬の眼差しで見上げながら、わたくしとのやりとりをじっと聞いています。 そして姉の指揮の下、2人がかりで本当に一生懸命探して来てくれるのです。

ええーい、こうなっては、もはや予算を暴露するしかない!ショボい客だと思われても仕方ない! ・・・とわたくしもなけなしの決意を固め、「あのー、かくかくしかじかこういう事情なので、2ドル位のもの 無い?」と 正直に尋ねました。姉妹は「2ドル?」と尋き返してじっと考えていましたが、しばらくすると「あっ、ある!」と顔を輝かせ、 隣の売り場に連れて行ってくれました。そこで買ったのが、鳩の形をしたオニキスのペンダントトップです。

こうして30分余り買い物相談に乗ってくれた姉妹とはすっかり仲良くなっていまい、 大して買ってもいないのにチャイまで御馳走になってしまいました。姉はイギリスで英語を学んでおり、 今は夏期休暇で帰省中、妹も来年には姉と共にイギリスに渡るとのことでした。  勉強熱心で家の手伝いもして、しかも「あなたは18歳位?」だなんて、 まーどうすればこんないい子達に育つのかしらん?短い間の片言英語の交流でしたが、 別れるときはとても名残惜しかったです。2人は、観光バスに向かって、ずっと手を降っていてくれました。



ゼルベは、カッパドキアを代表する奇観のキノコ岩が屹立する地域です。 その眺めは雄大かつ「かわいー!」と思わずにはいられません。 まるで、小人になってシメジのパックを探検しているような感じとでも言いましょうか。 想像できない方は、是非一度訪れて見てください。

さて、暑い中興奮して写真をとりまくった後は、絨毯工場見学です。説明のお兄さんは、 浪速の老舗商店からスカウトが来そうなほど口上が巧く、面白おかしく話をしてくれました。 伝統的なトルコの絨毯は、縦糸を2本一緒にして色糸で結ぶ「二重結び」という方法で作られており、 これが丈夫で長持ちする秘訣です。シルクの絨毯になると1平方cmに100個もの結び目があり、 目が詰んでいるためにダニもつきません。それらは全て織り子さん達の手作業で作られています。 例えば、6平方mのウールの絨毯を織るには、約10カ月かかります。 糸の細いシルクの絨毯になると、指の細い12・3歳位までの少女しか織ることができないそうです。

大きいものを何人かで織るときは、同じ指の細さ、同じ力の入れ具合でなければならず、 出来上がるまで指のサイズが変わってもいけません。つまりストレス食い太りなどもっての外なのです。 初日にドルマバフチェ宮殿で見た60畳サイズのシルクの最高級絨毯は、 どれ程の手間をかけてつくられたのか、わたくしの想像力では遥かに及びません。 これぞ正に究極の絨毯と言えるでしょう。

さて、工場見学ではまず初めに織り場に行き、数人の織り子達が色々な大きさの絨毯の前で各々作業をしている様子を見ました。 縦糸の張ってある台はそうめんの乾燥台と同じ様な作りで、織り子はその前に座って、 目の高さに備え付けられた図柄の台紙を見ながら慣れた素早い手つきで結び目を作っていきます。 コンピュータ作業なぞ比べ物にならないほど目と神経を使う仕事で、プロの妙技とはいえ本当に大したものです。


織り子さんと写真を撮らせてもらった後は、染色場を見学しました。 糸は全て天然の素材で染色しており、あらゆる色(蛍光色はありませんよ)の糸の束が壁に下がっていました。 ここで面白かったのは藍染めの実演です 藍色は、染料につけて引き上げると、初めは緑色なのですが、だんだん藍色に変わってくるのです。 説明の兄さんはここぞとばかり張り切って、「ホーラ!ご覧下さーい!」とテンションを上げます。 と、見る見るうちに色は変化していきました。我々が「おおー!」と歓声を上げたところで、染色場の説明は終わりとなりました。



絨毯工場見学の最後は、もちろん絨毯売買の部屋でした。 バスケットボールのコート位の広さの部屋の壁際にずらりと椅子が並べられ、お客はそこに座ります。 サービスでもらえる飲み物の注文をきかれた後、いよいよ絨毯の説明が始まりました。

スタートは、ウールの絨毯です。小さいものから大きなものへ、またより模様の細かいものへ、 より材質のいいものへと、品質をどんどん上げながら次々と絨毯が広げられます。小さいものは一人で、 6畳分位の大きなものは2人がかりで運ばれて来ました。 それが、解説のお兄さんの「ホーラ、ご覧下さーい!」という威勢のいい掛け声に合わせてばーっと広げられるのです。 その度に我々の間からは「おおー!」「ほおー!」「わー!」と歓声が上がり、 その歓声が終わらぬうちに次の絨毯が広げられます。そしてまた歓声。・・・ それは丁度、床に広がる花火に歓声をあげる人々といった趣でした。


そしてしかも、その広げられた絨毯に「みなさん、どうぞどうぞ靴を脱いで上がってみて下さい」 と何とも太っ腹な提案。高級絨毯の踏み溜め寝溜めさわり溜めに、部屋は大いに盛り上がりました。 ところで、ウールの絨毯は、最低でも畳1畳の大きさがないと、本当にいいものは無いそうです。 というのは、もともとウールの絨毯はその上でお祈するためのものだからです。 品質は、子羊の毛を使ったものが高級なのですが、他のものと比べるてみるとやはり毛並みが柔らかくて違いが分かりました。 畳1畳のもので数万円、大きくて高品質だと数十万円はするそうですが、手間と材質を考えると、決して高くはないでしょう。


しかし、それらの素晴らしいウールの絨毯も、次に見せられたシルクの絨毯の前には、 すっかり影が薄くなってしまいました。シルクのきめの細かさ、模様の繊細さには、本当にため息をつかずにはいられません。 しかも結び目の方向があるため、絨毯を角度を変えて眺めると、光沢が全く変わるのです。 解説のお兄さんはここぞとばかりに声を張り上げ、「ホレ!ホレ!ホレ!」と大きな絨毯をぐるぐる回し、 我々もまた飽きもせず「おお!ほお!うお!」と歓声をあげました。


また、シルクの絨毯は裏も模様がきれいなので、夏は裏返しにして使えるのだそうです。 サイズは装飾用の30センチ角のものが数万円、大きいものは数百万円だったような気がしますが、 あまりにも自分に関係がないので詳しくは忘れました。 ただ、これは工場価格なので、トルコの街中なら倍の値段、日本ならさらにその倍の値段になる、 と言っていたように思います。(これも商売の作戦かもしれませんが) さて、そうはいっても高級品。一体どんな物好きが買うのやら?

次回は物好きの話です。(・・・そしてふと壁を見るのであった)



絨毯の説明が一通り終わると、いよいよ商談タイムです。 部屋の外で待機していた販売員たち(お客の人数の半分位はいた気がします)が部屋になだれ込み、 絨毯に興味のありそうなお客を相手に熱心に商談を始めました。

さて、わたくしはというと、見学前は「せっかくの名物だから欲しいなあ」と思っていたのですが、 予想よりはるかに高価なものだと分かり、購買気力は雲散霧消してしまいました。 そして、恐らくもう当分(永遠に徼?)縁の無い高級絨毯たちに別れを惜しむべく、 床に広げられた絨毯に座り、その心地よさをしみじみ味わっておりました。

ところが、すっかりくつろぎ&ひやかしムードのわたくしの前にも一人の販売員が腰を下ろし、 「いかがです?絨毯は」と言いながら、手近にあった足拭きマット大のシルクの絨毯を取り上げました。 それは、えんじ色の地に幸福の木と2匹の鹿の図をあしらった柄で、実に実にナイスな一品です。 これを部屋の壁にかけたら華やいでいいなあ、と心が揺らいで値段をきくと、 何と元値は16万円!それを値引きして12万円。

あーあ、うちの部屋の壁にはやっぱりせいぜい絵葉書だなーと思いつつ断ると、 彼は「なぜ?これはあなたの一生の宝になります。ここは工場直売だからとても安いです。 ここまで買いに来る機会はもう滅多にありません。日本なら3、4倍の値段はします。 ここだけのあなたとわたしだけの話、10万円にします。分割払もできます。 何回分割 でもいいです。絶対後悔しません、保証します。」と、弁舌巧みに勧めます。 わたくしも本心は欲しいだけに、春の淡路島に吹きすさぶ潮風の如く、 買うべきか買わざるべきか心は乱れに乱れました。

これまでの人生二十数年、およそ高価な物にはほとんど無関心で過ごしてきたわたくしとしては、 全く予想外の心境の変化です?ュ}`$修慮紂■械以・魃曚┐訥垢せ廾討鳩磴靴こ詁・遼・◆屬海蕁・+・ 分の給料を思い出すのだ!」という意見がかろうじて勝ち、その絨毯は未練たっぷりであきらめました。 そのかわり、その半分位の大きさで、桃色の地に幸福の木の柄の絨毯と、 空色の地にシャンデリアのような模様の入った絨毯を、それぞれ自分用と実家用に買いました。

値段はどちらも値下げして、各参万円。それだけでも、わたくしにしては滅多にない大決断で、 まさに「清水の舞台から飛び降りる」心境でした。 というわけで、今わたしの枕元には幸福の木がそびえています。 それにしても初めに目をつけた絨毯は、本当にかわいかったなあ・・・。 でも、今のもとてもいい感じなので、なかなか満足しております。 ところで、初めから絨毯を買うつもりの場合は、キャッシュの方が値引き率がいいので、現金を用意しておくといいですよ。



絨毯屋の次には、これまたトルコ名物である陶器屋に行きました。ここでもまずは工場見学です。 初めに、ろくろで壺や皿を造る様子を見たのですが、ここでは皿作りマシンが好評でした。 陣笠のような形のろくろに粘土を載せて回し、ろくろ台に固定された皿の底面の型を当てると、 みるみるお皿になります。われわれがまたまた「おおー」と完成を挙げたのは言うまでもありません。

絵付けの部屋では、10人余りの職人達(女性が多かったです)が、直径30cmのお皿から高さ1mの壺まで、 それぞれの作品に取り組んでいました。柄や色は描く人のセンスに依っていたようですが、 うまいことには変わりありません。わたくしもこういう地道な作業は割合好きですので、 「ちょっとやらせて欲しいなあ」と思いながら見物しました。(3年くらい修行させてもらわねば)

伝統的な柄はチューリップとカーネーション、色は青白とフルカラーの2種があります。 青いタイルで有名な寺院「ブルーモスク」の壁には、 こうして1枚1枚作られたタイルがびっしり貼られているわけです。うーん、贅沢。 さらに、お皿の品質についての説明がありました。 説明のお兄さんは左手の親指、人差し指、中指を上に向かって立ててその上に直径30cm大の”1級品の皿”を載せ、 「いいお皿は、音が違います」と言いながら右手の人差し指で皿の縁をはじきました。 すると、皿はカーン、カーンと澄んだ音を奏でました。 かたや2級品の皿だと、カン、カンと寸詰まりの音しかしません。

 さらにお兄さんは、「1級品の皿は火にも強いのです」と言いながらアルコールをお皿に注ぐと、火を点けました。 フランベまで実演してくれるとはサービスいいなあ、と感動をよんだところで説明は終わりました。 そしてお次はいよいよ買い物タイムです。さきほど絨毯屋で買い物パワーをかなり消耗してしまったわたくしは、 若い女の店員に「伝統的な柄のお皿を見せて下さい。姉妹にあげるのです」と頼みました。 すると彼女は「ああ、それならスペシャルなのを見せてあげますわ!」と請け合い、 ある小部屋に招き入れました。言われてみると、確かにそこに飾られた皿達は、他の部屋のものよりきれいな柄が揃っているようです。


気に入った柄の皿を手に取り、3本指で支えて縁を弾いてみると、「カーンカーン」と1級品の音がします。 「ファーストクオリティ(1級品)」という響きに弱くなっていたわたくしは、 伝統柄であるチューリップとカーネーションが描かれた皿を、フルカラーと青白のものを1枚ずつ買いました。 (青白は店員さんのお薦め) なかなかいい買い物をしたわい、 と満足しながらバスに乗り込んだところまでは良かったのですが、その後は、 ひたすらスピードを上げるケマルさんの運転に緊張しっぱなしになってしまったのでありました。



昼食の後は、カイマルクにある地下都市に行きました。 その昔、兵士達が洞窟を掘り進んで地下8階まである住居にし、共同生活をしていところで、 見学できるのは地下4階までです。「ここではぐれたら、絶対に自力では脱出できません! 2週間後にまた私がガイドで来るまでじっと待っていて下さい!」とガイドのウールさんに注意を受けると、 いよいよ懐中電灯を手に地下探検に出発!です。

そこにいるだけで体の水分が蒸発してしまいそうな屋外とは裏腹にひんやりとした洞窟の内部には、 居間、台所、貯蔵庫などの住居空間が造られています。それらをつなぐ通路や階段は狭く、 身をかがめたまま、又はしゃがんだままでないと前進できない程です。壁には所々くぼみがありました。 かつてはここにろうそくを灯して明かりにしていたそうですが、かなり暗かったと思われます。

通路の途中には垂直な空気穴がありました。上はどこかで曲がっているのか外の光は見えず、 下は小石を投げ入れてみると、待てども待てども底に着く音がしません。今思うと、 閉鎖された空間でストレスが溜まったかも…とすると、喧嘩した時この穴に突き落したかも… とすると、下には死体があったのかも…とすると、…霊感が弱くてよかっなあ、と思ったのでした。

洞窟内には無数の横穴・抜け穴・落とし穴、はては敵の侵入時にコイン型の岩が落ちてくる仕掛までありました。 正真正銘の本物の洞窟探検に、ツアーのメンバーの喜ぶ様はまるで幼稚園児のよう。 ウールさんの説明など全く耳に届かぬ様子で、横穴に飛び込んでいく人が続出しました。 よくぞ行方不明者が出なかったものです。(いやー、そういえば一人減っていた気がする…?) スリルと冒険と冷気(霊気?)に満ちた地下都市に名残り惜しむ乗客を乗せ、バスは次の目的地アンカラへと向かいました。



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