トルコ絵日記 3日目




ツアー3日目は、トロイとペルガモン観光です。トロイといえば、イリアス(ホメロス著)の「トロイの木馬」で有名ですね。

その内容は、簡単にいうと次の通りです。

昔むかし、ヘラ、アテネ、アフロディテという3人の女神がおりました。 ある時「誰が一番美しいか」という争いになり、トロイの王子に決めてもらうことにしました。その際、女神たちは言いました。 ヘラ「わたしを選んだら、支配権と富をあげます」アテネ「わたしは、戦いの勝利と、知恵をあげます」 アフロディテ「わたしは、世界一の美女をあげます」 王子はアフロディテを選び、世界一の美女・ヘレナを与えられました。 ところが、ヘレナはギリシャのスパルタ国の王妃だったので、彼女を取り返すべくギリシャ軍が攻めて来たのです。 結局王子は戦死し、10年の戦いの後、ギリシャ軍は和睦の証として木馬を残して立ち去りました。 しかし、これはギリシャの作戦でした。その夜、トロイ城内に引き入れられていた木馬から 出て来た軍隊がトロイを攻め落とし、終にギリシャが勝ったのでした。 おしまい。

人の奥さんを他の人にあげておいてアフターケアがなしとは、女神様もいい加減ですねー。 前の旦那は怒るに決まってます。こんな公約でよければ、あなたもわたしも神様になれそう?


さて、ガイドのウールさんは、「みなさん、有名だからすごく期待して来るんですけど、 大したことはないので、がっかりしないで下さいネー」何度も念を押しました。 それでわたしは「トロイはもしやトルコ版”はりまや橋”か?」と、密かに覚悟して行ったのですが、 ところがどっこい思っていたよりもなかなか見ごたえがありました。 まず、遺跡の入り口には、お決まりの如く木馬の模型がありました。 これは、観光客の期待を裏切らないために、政府がわざわざ作ったものだそうです。 多少ちゃちなところが、微笑ましいと言えるでしょう。(少なくとも、旧はりまや橋よりは、断然上出来!) そして、人々もお決まりの如く、木馬の腹部の穴から頭を出して写真を撮っていました。

トロイの街は、紀元前3000年から紀元400年までの間繁栄と衰退を繰り返し、 前の街を埋め立ててはその上に新しい街を造る、ということを9回繰り返しました。 ですから、掘っても掘っても前の時代の遺跡が出てくるのだそうです。 なお、「トロイの木馬」は6番目の街の時の出来事です。

トロイの遺跡の発掘は、ドイツ人の某(これまた不確実です、すみません。 有名人だった気がするのですが。ご存じの方、教えて下さい)===> シュリーマンさんです が、神話を信じて「お宝がある!」と信じて、私財をつぎ込んで行ったのだそうです。 その根性に感動しました。徳川の隠し財産も、気合を入れて探せば、見つかるのかも知れません。 という訳で、徳川の末裔をご存じの方がおりましたら、わたくしに紹介して下さい。




イズミールでの宿は、エーゲ海岸沿いに建つリゾート風ホテルで した。 ホテルからすぐビーチに出ることができ、中庭には25m大と子供用の2つのプールがありました。 ところが、近頃小岩のプールの「マンボウ泳ぎの鉄人」を自認していたわたくしともあろうものが、 何と水着を忘れてしまったのです。この時は真剣に「服で泳いでもいいだろうか?」と悩みましたが、 今後ここを訪れる日本人のことを思い、涙を呑んであきらめました。 (しかし、諦め切れなかったので、一応子供用プールに足だけは入りましたが) 夕食までの暇つぶしに「エーゲ海岸を散歩しよう」とビーチに出ると、 海の中で大きな犬とおじさんが戯れており、夕方のやわらかな太陽の光を受けてきらきらと光る海に、 そのシルエットが浮かび上がっていました。その眺めは、さながら金曜ロードショーのオープニングのようで、 思わず「ラーラララーラーラーラー・・・」と口ずさんでしまったのした。


さて、エーゲ海は、言葉の響きから想像される通り、エメラルドグリーンのクリアな水・・・かと思いきや、 実は波打ち際は大量の海草類が何重にも漂い、水もそれほど綺麗ではなく、 日本国内の都会に近い海水浴場のようでした。水着があっても泳ぐ気にはならなかったでしょう。 夢を楽しむには、あまり近寄らず、ちょっと遠くから眺めた方がいいこともあるのですね。  夕食は、屋外の食堂で、色とりどりの花が咲き乱れる庭の向こうのエーゲ海に刻々と沈む夕日を眺めながらいただきました。 ロマンチックなシチュエーションとしては、ツアー中で一番の夕食だったと思います。



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