トルコ絵日記 2日目





ツアー2日目は、ドルマバフチェ宮殿を観光しました。イスタンブールは、大きく3つに分けられます。 ボスポラス海峡を境にアジア側とヨーロッパ側、さらにヨーロッパ側は金角湾を境に北を新市街、南を旧市街といいます。 アジア側はベットタウン、新市街はビジネス街と大ホテル、旧市街はモスクやバザールの多い下町です。 ドルマバフチェ(満たされた庭、の意味)宮殿は、新市街のボスポラス海峡沿いにあります。


19世紀中頃に建てられ、オスマン帝国末期のスルタンの居城として使われた、西洋風建築の宮殿です。 庭には色とりどりの花が咲き乱れ、全てが左右対称に造られているという建築と内装は、 肺がひしゃげるほどため息をついてもおっつかないほどの豪華絢爛さ。


60畳分のシルクの絨毯(これがいかにいかに高価かは、後で絨毯屋で知った)、壁や床までが大理石製のお風呂(わたしの家より広い)、 なぜかピンクの内装の家庭教師の部屋(何を教えていたのやら・・・)など、何から何まで凝りに凝っています。 最大の見所「帝位の間」の高さ36mの巨大かつ豪華なドームには、ビクトリア女王からの贈り物である、 これまた巨大(わたしの部屋には入り切らない)かつ豪華な重さ4.5tのシャンデリアが下がっていますが、 それすら鳥籠に下がるピンポン玉くらいに見えます。スルタンって、大大大大大大大大金持ちだったんですねえ・・・。


ところで、宮殿の正門のまん前には、兵士のマネキンが立っていました。 「こんなど真ん中に置いたら邪魔だろうに」と思い、傍に寄ってぐるっと1周して初めて、 わたしはそれが本物だと気付いたのでした。あわわー、じろじろ見てすみません・・・。 右手には銃筒を上に杖のように持ち、後ろに回した左手には短刀を握り、瞬きもせず直立している姿は、とても健気です。 時々頬のあたりが「ぴく」と動くのを見ると、「おお!」と、意味もなく感動させられます。 入った時より出たときの方が少しスリムになっていたのは、緊張のために痩せたせいでしょう(?)。 午前の観光後、今夜の宿泊地であるチャナッカレへ渡るフェリーに乗るため、一行はバスで西へと向かいました。




バスは、他車を一方的にごぼう抜きしながら一路西へと向かい、途中レストランで昼食をとりました。 ツアーで初めてのトルコ料理です。その後はほぼ毎食同じような内容のコースメニューか、バイキングでした。

この日のコースでは、まず野菜スープと羊飼いサラダ(トマト、きゅうり、レタスの生野菜サラダ)が出ました。 次が、白豆のトマト風煮物バターライス添え。 メインはシシカバブ(薄切り肉を串に何重にも指し、回しながら焼いたものを削ぎ切りにする)と キョフテ(肉ダンゴ)。デザートはスイカでした。
トルコ料理は全体的に薄味(というより、味が無い)で、各自テーブルの塩とコショウで適当に調味して食べます。 現地人も、お好み焼きに青のりをかけるが如く、塩をがばがば振っていました。 でも、ただの塩でも「エーゲ海の塩(本当ですよ)」だと思うと、優雅な気持ちになります。

また、チーズ&羊肉が苦手な私は、毎食何かしら泣かされました。 毎日出てくる「チーズパイ」、羊肉のクレープ風など、一目でそれと分かるものにも一応チャレンジし、やはり挫折しました。 薄味なので素材の味が生きており、不得手な人にはとても食べられるものではありません。 一番恐ろしかったのが、「やけに白っぽい」と思いながら食べかけたスクランブルエッグ。 隣の人が「うぐっ」と漏らした声に危険を察知し、味を尋ねると「こりゃ、卵入りスクランブルチーズだ!」とのこと。 それは、ほぼ全員が残す程の不味さでした。
煮物系料理は、オリーブオイルがたっぷりで、特にナス料理は油浸しのようです。 味は悪くないのですが、いっぱい食べると胃もたれに苦しむことになります。

詰め物料理はなぜかご飯詰めがほとんどで、肉詰めにはお目にかかれず残念でした。 デザートは果物か、料理とは対照的に歯が溶けそうに甘いお菓子。 桃山を蜂蜜づけにしたようなものとか、匂いだけでのけぞりそうなチョコプリンとか、 かつては関西のケーキバイキング破りを生業としていた(?)わたくしでも、恐ろしくて手が出せないものがたくさんありました。 関取なみに太った人がいるのも、納得できます。
果物は、スイカはどこででも景気良く出て来ます。 1玉40円なので、スイカ好きの人は、トルコに行けば日本の50倍は食べられます。 杏、ネクタリン、チェリーなどもよく出されました。 文句なしに美味しいのは「チャイ」、つまり紅茶です。 チャイは普通の紅茶ですが、わたしは「エルマチャイ」というリンゴ茶ばかり飲んでいました。

エルマチャイは、色は薄黄色、あっさりしていて甘酸っぱく、香りもよく、大変おいしいです。 午後のオープンテラスの茶店(多分チャイランという?)では、おじさんたちが4、5人でチャイを飲んでいる姿をよく見ました。 いつ何をして働いてるんだ?と思いたくなる優雅さです。トルココーヒーは、一口飲んでもう満足しました。 粉っぽくて、「焦げ」をお湯で溶いて飲んでいるような味です。 コーヒーとお菓子を組み合わせたら、きっと3日で胃潰瘍になるでしょう。




昼食後、再びバスは西方のダーダネルス海峡へと向かいました。 左右に広がる向日葵畑に歓声をあげたり昼寝をしたりしつつ、 フェリー乗り場についたのは5時。 (手持ちの資料では、フェリーの出港地、着港地が不明でした。 説明不十分ですみません・・・。 フェリーでダーダネルス海峡を渡り、着港地からチャナッカレまでは近かったです。
ご存じの方、ご連絡下さい)===> Gelibolu から Lapseki です。客層は、現地人か観光客かは見た目ではよく分かりませんが、 フェリーはなかなかの混雑でした。物売りが人々の間を行きつ戻りつしています。 わたしは写真を撮りながら一番上のデッキにあがり、船室に入ってみました。 そこでは同じツアーの人が、キャプテンらしい人と一緒に写真を撮っていました。 「次に撮ってもらおう」と待つ間にふと手元を見ると、色々なレバーやボタンがあります。 それを見た瞬間、コックピットに入れば、日本人なら誰もが思い浮かべる(?)あのセリフが浮かんで来ました。 そうなると後はもう無意識に、わたしは思わず次の動作に進んでしまったのです。 即ち、「ヤマト、発進!」と言いながら、そのレバーをカクカクと手前に引いたのです。 すると、色々なランプがついて、気のせいかエンジン音も変わりました。 いやはや、驚いたのなんの・・・。あわててレバーを戻してキャプテンの方を見やると、 相変わらず日本人の女の子と喋っていました。ばれなくて良かったです、本当に。 でも一応そこを逃げ出したのは言うまでもありません。 (ちなみに、写真は後で撮ってもらいました)

さて、フェリーは無事動き出しました。 デッキで海を見ていると、すぐ隣に先程シャッターを押してもらった旅行者らしい青年2人組がいました。 一人はジャニーズ系、一人は知的な感じの、なかなかのハンサムコンビです。 そこで、折角なので「どこから来たのですか?」と話しかけてみました。 ところが、実は彼らはイスタンブール出身のトルコ人で、英語がほとんど分からないようです。 わたしもトルコ語は「こんにちは」「ありがとう」のみ。 1割も話は通じなかったのですが、船上の暇つぶしに、一生懸命意志疎通を計ろうと努力しました。 その後30分あまりの間に分かった衝撃的事実!彼らは何と17歳の電気系学校の生徒だったのです。 「あなたは何歳?」と聞くので、指で「26」と答えると、「わおー、大姉さんだ」という素振りで、 あっちも驚いていました。お互い年齢不祥だけど、まさか9歳も下とは・・・。 今でも思い出すとショックが蘇るのでした。

やがてフェリーは港に着きました。 フレンドリーなトルコ少年と別れを惜しみつつ(わたしだけ?)バスに乗ると、 7時頃にはチャナッカレのホテルに到着。エーゲ海に沈む夕日を見ながら夕食をとりました。 その日食べたネクタリンはソフトボールのように堅く、次の日は指が少々筋肉痛になったのでした。



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