山口さんのモロッコ紀行−24

1999-Oct

●見覚えのある顔2 〜モロッコ編〜

 次に訪れたのはボリビリスの遺跡。BC40年から
AD3世紀にかけて繁栄した、モロッコに現存する最
大のローマ遺跡である。モロッコのこんなど田舎のロ
ーマ遺跡、とたかをくくっていたので、丘陵地に忽然
と現れた遺跡の大きさには驚かされた。聞けば、何と
40haもあるらしい。
 高さ10mはある凱旋門や円柱の並んだ回廊、温泉
を引く水路などが復元されており、それなりに立派で
はあったがフィルム一本使うほどの感銘は受けなかっ
た。なぜかというと、復元状態はトルコのエフェソス
には及ばず、黄ばんだ石の材質は大理石の美しさと冷
たさ白さには及ばない。建築技術はインカの石組みに
比べれば子供だましみたいなものである。
 だが、かといって見くびるなかれ。床に残されたモ
ザイクは秀逸だった。館の床や2m四方程の寝室には
人物のカラフルなモザイク、大広間(?)にはモノト
ーンを中心とした天体模様のモザイク。手間をかけて
装飾に凝る点から察するに、ここを造った人々は女性
的気質の持ち主だったのかもしれない。
 一方、「恋愛成就祈願の石」といわれている彫刻は
単純明快なデザインだった。「恋愛→結婚→子孫繁栄」
という当時の人々の思考回路が見事に表現されている。
ツアーの女性達は拝んだり一撫でしてみたりしていた
が、はるか昔にもこれと同じような光景が繰り広げら
れていたに違いない。
 なお、ボリビリスでは、ひょんなことからモロッコ
人と日本人の共通点を発見した。遺跡の管理職員がサ
ンタ氏を見て親しげに話しかけてきたのだ。
「いやあ、わたしは覚えていなかったんですけど、向
こうはわたしのことを覚えていたみたいなんですよ。
こういうことがよくあるんですけど、覚えられやすい
顔みたいですな」
 後でサンタ氏がそう言うのを聞いて、その場にいた
人は皆「全くだ」というように視線を交し合った。モ
ロッコ人にとっても、この手の顔は強烈に印象に残る
らしい。アラブ人に一目で覚えられるインパクトを持
つ顔の日本人は、そうそうはいないだろう。さすがは
われらがサンタ氏である。
 モロッコきってのワインの名産地メクネスでは、街
角の酒屋に寄った。美味しい上に1本400円という
破格の安さのワインは飛ぶように売れた。出発時には
100本分以上のワインの重さがバスの総重量に加算
され、ウィーダッド氏の負担がまた増えてしまった。
気の毒に。明日は腕の筋肉が引きつりっぱなしかも知
れない。一方酒屋の主人は、少なくともその日来てい
たドアのペンキ塗り職人に払う手間賃分以上は稼げて、
今夜は頬の筋肉が緩みがちに違いない。



●月光仮面のお兄さん

 昼食後もドライブは続き、日が徐々に傾き始めた頃、
モロッコの首都であるラバトに着いた。
 まずはムハンマド5世の霊廟を見物した。1973
年に完成したという霊廟は、外観も内装もモロッコの
伝統技術の粋を尽くした傑作だ。
 この霊廟の4方の入り口と4角には、銃を片手にし
た衛兵が立っている。彼らの衣装は、ちょっと月光仮
面を連想させる。白いマント、シャツ、ズボン、手袋。
帯は赤、ブーツはこげ茶、頭にはモロッコカラーの緑
の低い筒状の帽子。兵隊らしからず案外茶目っ気があ
り、隣で写真を撮ろうとするとにっこり笑ったりして
いる。まばたきすらしなかったトルコの衛兵とはえら
い違いだ。なお、正面の門の衛兵が最もハンサムだっ
たことは、全員の意見が一致した点であった。
 このムハンマド5世の霊廟の前には野球場が2、3
個入りそうな大きな広場があるのだが、ここには縦横
に整然と列をなした円柱が無数に立っている。そして
広場の反対側、大西洋に面した一角に荘厳な趣で佇ん
でいるのが、未完のミナレット(モスクの尖塔)・ハ
ッサンの塔だ。この敷地は、1195年にヤコブ・マ
ンスールの死によってモスク建設が中断されたきりに
なってしまったところで、未完のモスクは高さは44
m、現在世界第3位だ。完成すれば88mになるはず
だったそうである。それが日本でいう鎌倉時代の話な
のだから、その建築技術の高さが窺い知れよう。
 ラバト観光が済むと、後はカサブランカに向けて、
大西洋沿いの道を西へ西へと一直線に走った。折り良
く、日暮れ時に西方の雲が切れた。火の玉のように赤
い太陽が大西洋にゆっくりと落ちていく。二日前はサ
ハラで日が昇るのを、今日は沈むのを見ている。いか
にもこの旅の終わりに相応しい演出だった。
 そのうっとりするような眺めに、サンタ氏がひとこ
と言い沿えた。
「みなさん、美しい日没ですねえ。全員が元気に揃っ
てこの日没を鑑賞できるのは、添乗員が良かったから
でもあるんです。何事も無く旅を終えられるのは、か
なり幸運なことなんですよ、うえっへぇえん」
 2呼吸くらい間があって、ぱらぱらと拍手が挙がっ
た。乾杯前の挨拶が30分になってビールの泡が全部
消えたとしても、これよりは大きな拍手がもらえただ
ろう。その中から感じられたのは、バレンタインにチ
ロルチョコという程度の義理だった。わたしは、左手
をがーがー鼻腔音を鳴らしていたサンタ氏の頬に見た
て、右手を左手にばしばしと打ちつけたのだった。



●カサブランカの夜

 日もとっぷり暮れた頃、バスは終にカサブランカに
到着した。ホテルに入る前に、お土産の買い残しがな
いようにと土産物屋に連れて行かれ、絵葉書とピンバ
ッチを買った。
 そして最後は、やたらとサンタ氏が「おいしいおい
しい」と強調したクッキー屋。マキシムかダロワイヨ
かという小ぶりながら一見高級そうな店構えだったが、
よく見るとショーケースの菓子の模型に埃が積もって
いる。このへんがモロッコらしいところか。店内には
出来立てらしい甘い匂いが立ちこめており、試食のク
ッキーが大きなお盆に載せて供された。
 ほう、なかなかおいしそう。マカロン風のものを一
つ口に入れ、噛み締めたきり口は開かなくなった。中
の粘着性の物体に歯が食い込んでしまったのだ。その
上、何だか甘ったるい薬っぽい味。味はこの際無視し
て、歯の詰め物がとれぬように慎重にゆっくり口の中
の物体を咀嚼すると、いざ一息に飲み込んだ。
 他にも試食品はあったが、もう食べる気分にはなら
なかった。他の人はシュークリームやクッキーを食べ
たり買ったりしていたので、多分わたしが食べたのは
一番のハズレだったのだろう。
 しかし、この旅行ほど、旅行会社が立ち寄った店か
らマージンをもらっているように感じられたことはな
かった。まあ、これだけ買い捲るお客を連れて行くの
だから、モロッコのお国柄からして、かえってそれが
ないほうが異常に見える。これは相撲界の八百長、建
設会社の入札の根回し同様、お国の文化の一種だと思
ったほうが良さそうだ。
 さて、ついにモロッコ最後の夜。カサブランカで有
終の美を飾る店は、ここをおいて他にはない。夕食後、
映画「カサブランカ」のボギーの店「Rick's Cafe 
American」をそのまま再現したバー、ホテル・ハイア
ットリージェンシーの「バー・カサブランカ」へと、
女ばかりの10名程で繰り出した。切ない恋人達の雰
囲気はまるでなく、陽気なミーハーな集団だったのは
いた仕方あるまい。
 店内にはボギーとバーグマンの写真が飾られ、ピア
ノの生演奏が流れていた。かの名ゼリフ、「君の瞳に
乾杯」のカクテルは「As Times Goes By」といい、柑
橘系で思いのほか甘い味。全員同じでも芸がないので、
わたしは「Rick's Blue Moon」というものを頼んでみ
た。これは青いショートカクテルで輪切りのキウイが
乗っており、これも飲みやすい味。ボギーの渋さや映
画のストーリーから想像していた味とは違い、本物は
どれも甘目だった。甘い想像と辛い現実という組み合
わせよりもその逆のほうがいいという、人々の願望の
現れなのも知れない。
 さあ、これで一応一通りは終わった。後は日本に帰
るだけだ。ホテルに帰り、風呂に入り、荷物を詰めて
布団に入ったのは1時前。そのまま案外すんなりと、
3時半のモーニングコールまでの短い眠りに落ちてい
った。



●よみがえる幻

 ついに日本に帰る朝が来た。
 空港へ向けてホテルを出発したのは朝4時。航空券
の発券を待つ間、ツアーの面々は一様に、寂しさと安
堵と疲れの入り交じった、旅の終わり独特の表情を浮
かべていた。もっとも、それらの混合比率は人それぞ
れであったが。
 抑えど隠せど内側からにじみ出る笑みを隠せぬ様子
からして安堵100%のムスタファ氏、どんな表情で
も渋く決まるナイスガイ・ウィーダッド氏に見送られ、
一行は機上の人となった。
 カサブランカからアムステルダムへの3時間程のフ
ライトは、横に6人掛けの小型飛行機だった。9日前
に予期したことが起きたのは必然だったといわねばな
るまい。即ち、モロッコ到着時にカサブランカで別れ
て逆回りで周遊してきた、かのライバルツアー・H社
の一行に再会したのである。わたしはその中の、50
歳位の男性とその母親らしき老女という二人連れの隣
に座ることになった。
 ライバルの様子が気になるのが、人情というもの。
「いかがでした?」と水を向けると、お喋り好きらし
い人の良さそうなおじさんは、期待の10倍くらい話
してくれた。
 彼らは二人での海外渡航暦20回を越えるという、
旅慣れた親子連れ。元気そうな御母堂は、年齢を聞い
てびっくりの喜寿過ぎ。還暦を越えてから初めて訪れ
た台湾旅行がきっかけで海外旅行に目覚め、以来毎年、
家族の誰かと旅に出ているのだという。
「ええ、こっちは15人のツアーで、こじんまりして
いたから、すぐにみんなとても仲良くなりましたよ。
バスは大型だったから、一人で2シート使ってました。
 え?そりゃもちろん、すごくきれいでしたよ。新品
だったんじゃないかなあ」
 場所によって座席の間隔違うバスの中で、狭い場所
にあたってしまったナガツカ氏が、翌日までつらそう
にしていたことが思い出された。
「うちの添乗員さん? ええ、すごくいい人でした。
ほら、あの、前に座ってる女性ね。てきぱきしていて
気が利いて、説明も上手で。やっぱり添乗員は女性か
若い人に限りますねえ。年配の男の人は唯我独尊にな
りがちだから。
 あなたのところの添乗員さん、あの大黒さんみたい
な人でしょ。羽田で見かけたときに『うちのツアーは
人が多い』って言っているのを聞きましたけど、一目
見ただけで、彼はそういうタイプだろうなあと思いま
したよ。大変だったんじゃないですか」
 わたしは思わず笑い出した。「ライバルツアー」が
聞いてあきれる。羽田出発の時点から、すでに勝負は
ついていたらしい。
「ホテルもなかなかでした。昨日はハイアットリージ
ェンシーホテルで、朝食もすごく豪華でしたよ。ほら、
あの映画の”カサブランカ”のバーがあるホテルです
よ」
 なな何と、あのカサブランカ一の最高級ホテルに? 
 サンタ氏は「あそこは、パックツアー客は泊めない
んです」と堂々言い放っていたのだ。だがもう怒りも
沸かなかった。サンタ氏の言葉を丸ごと信じるのがい
かに愚かかということは、この9日間でよおーく分か
っていたからである。
「ああ、天気はね、移動日に雨が降ったくらいで観光
のときは大丈夫でしたよ」 
「そうですか。こっちはマラケシュで土砂降りで、ジ
ャマ・エル・フナ広場が閑散としてましたよ」
「へえ、あすこがねえ。我々が行った時は、人で一杯
でしたけどねえ」
「そういえば、アイト・ベン・ハドゥはどうでした?」
「ああ、観光しましたよ」
「でも、増水で対岸から見るだけだったでしょう」
「いいえ、ちゃんと渡りましたよ」
 ・・・えっ? 今、何と?
 後頭部を殴られたようなショックの為に、頭の中が
真っ白になった。一瞬の硬直の後、息をひとつゆっく
り吐いて唾を飲み込むと、やっと声が出た。
「わ、たったんですか」
「ええ、馬に乗って、馬を子供が引いてね。うちのば
あさんは足が悪くて馬に乗れないから待ってたけど、
他の人は頂上まで登って、住んでいる人の家を見せて
もらいましたよ」
 ああ、サンタ氏は「今週は渡れない」と言っていた
のに。同じ10日間で同じ場所を見て、片方は行きそ
びれ、片方は行けたとは。それなら何がなんでもH社
のツアーに参加したかった!と、この時ばかりは心底
痛切に思った。
「そうなんですか・・・。わたし達は増水で渡れなか
ったんですよ。もう、モーターボートでも無理な位の
濁流で」
「あらあ、そうだったんですか」
「ガイドさんが、8ヶ月ぶりの雨で地元の人が皆さん
は福の神だと言って感謝してます、なんて言って慰め
てくれましたけど、一番楽しみにしていたんで、その
日は1日落ち込みましたよ。あーあ、いいですねえ。
そちらのツアーに参加したかったなあ」 
「おやまあ、それは気の毒に。わたし、全部ビデオを
撮って来ましたよ。見ますか?」
 えっ? えっ? 何だって?
 おじさんは鞄からソニーのビデオカメラと3本のテ
ープを撮りだし、「これのどれかだな」と言いながら
テープをビデオに入れた。ビデオの側面には、映像が
映る10cm×8cm位の画面がついていた。ビデオ
の再生=テレビ画面と思い込んでいたアナログ人間の
わたしは、最近のビデオの機能なら今ここで再生でき
ることに、やっと気がついたのである。ソニー万歳、
松下万歳、世界に誇る日本の技術、万々歳!
 5分余りビデオを操作していたおじさんはやっと目
的の映像を見つけると、「どうぞどうぞ、ごらんなさ
い」と言って手渡してくれた。
 そこには、あの行く手を阻む濁流は無かった。まだ
流れは速そうなものの、水深は50cm位になったワ
ルザザード川の前に、馬を連れた子供が待っている。
そこで映像は馬上から川向こうの岸を映すショットに
変わり、そのまま川をざぶざぶと渡り始めた。馬の脚
に絡まる茶色い水が、小さな渦をつくっている。
 やがて川を渡り切り、ついにアイト・ベン・ハドゥ
に上陸した。両側に茶色い土塀の家々が並ぶ傾斜の急
な坂道をうねうねと登りきると、視界が大きく開けた。
頂上に登りついたのである。
 夕暮れ間近の空は淡い桃色に染まっている。ワルザ
ザード川はその色を反射して光り、地面に白っぽい帯
を描き出していた。
 しばらくの間四方を見渡した後、次は坂道を下り、
民家に入った。古い日本家屋の土間のような小さな部
屋に、敷物と家具が置かれ、奥には台所が見える。そ
の家の人が何かを説明しながら部屋を動きまわり、か
の添乗員嬢がそれを訳している。映像からは、簡素な
生活様式を伺い知ることができた。
 こんなだったのか、素晴らしい、イメージしていた
通りだなあ。あの日見上げた外観と映像を重ね合わせ
て画面に見入りながら、声にしない歓声を挙げ続けず
いられなかった。
 アイト・ベン・ハドゥの映像が終わり、マラケシュ
のスークの様子に切り替わったところで、シートベル
ト着用のランプが点いた。アムステルダムが近づき、
着陸態勢に入ったのだ。電気機器の使用を止めるよう
に、という旨の機内放送に大慌てでビデオを返し、拝
むように何度もお礼を言った。
 シートベルトを締め、背もたれにそっくり返って目
を閉じると、さっき見た映像が自分のまわり一杯に鮮
やかに蘇った。茶色の川、馬を連れた子供達、馬の脚
に当たってはじける水滴・・・。一回り終わるとまた
最初から同じ映像をリプレイした。何度も何度も。
 飛行機は、真昼の太陽に尾翼を光らせながら、徐々
に高度を落としていった。

                     (完)


トルコに戻る