田崎姉妹、東京へ



プロローグ (98-09-04)

あの忘れ物の女王、田崎さんが東京に来ると言うウワサは反省会に出席したみんなにも流れていた。 ホームページでも東京に来る時は「メールちょ」と書き込みをしておいた。そうして月日は流れていった。 とある日、書き込みを見ると、田崎さんの書き込み発見、 しかしそれは東京に来ることは一言も書かれておらず、香港旅行に行ったと書かれていた。

東京には来ないかもしれないという空気がみんなの中に流れた。しかし、その期待?は北朝鮮のミサイルのようにぶっ飛んだ。 9月4日、すなわち、彼女が東京に来ると予告していた前日の朝、私のメールボックスに「明日、行きます」メールを発見。 Oh my God! 明日、土曜日は昼間は野球の練習があって[添乗]できないし、今からみんなにメールしても都合つかないだろう。

しかし、旅行中に起こるトラブルに対応するのが添乗員のお役目、私はすぐに、関東在住のみんなにメールを打つことにした。 そして田崎さんには、土曜日の夜ならなんとか添乗できることをメールで伝えた。 もう数日早く、メールが来ていれば、なんとかみんなの出席も確認できただろうに、今出しても返事は、期待できない。

しかたなく、ホテルの電話番号と私の携帯の番号をメールすることにした。24時間対応の緊急の番号を。 その夜、田崎さんから携帯に電話があった。夕方に観劇を三軒茶屋に見に行くのでその後、19時に渋谷で晩御飯を添乗する事にした。

待ち合わせ場所は、田崎さんが唯一知っているハチ公の前にした。私としては他の場所にしたかった。 なぜなら、土曜日の夜、ハチ公前は、ものすごい人だかりになることは東京に住んでいる者には常識であった。

そして、待ち合わせをしても見つからず、長時間探すはめになり、結局、見つからないこともしばしば。 そんなハチ公前に来れるのだろうか?心配しつつも床についた。



渋谷、ハチ公へ向かう。

8時に起きて、旅サラダを見る。土曜日の日課だ。コーピーとパンで朝食。11時、台所の洗い物を片づけ、干してあった洗濯物をたたむ。 クイックルワイパーで部屋を掃除し、野球から帰って風呂を浴びるので風呂も掃除する。風呂の水を抜く前に洗濯機に残り湯を移す。 11時半、同じ社宅のW氏のワゴンで球場へ向かう。

(練習タイム)
15時、練習を終えて帰る。だれからも携帯には電話はない、みんなこれないんだろう。 まず、あまり汚れなかったのでユニホームを他の洗濯物といっしょに洗濯する。 その間に風呂に入って汗を流す。風呂から上がり、洗濯物を干す。 風呂上がりとスポーツ後の冷えたビールを一気と行きたいところだが、我が家にはビールはない。田崎姉妹とのディナーまでお預けだ。

ここ(国立)から渋谷に行くには、吉祥寺で井の頭線で渋谷まで行くのが近いが、 昨日みんなに打ったメールの確認をしないといけないので、会社に寄らなくてはいけない。新宿経由になる。 17時、会社に到着。さっそくメールを開く。何も無い。 予想していた事だが、今日は一人で田崎姉妹を添乗しなくてはいけなくなった。ラッキー!両手に花状態。

18時、会社を出て渋谷に向かう。18時半、渋谷に着く、ハチ公口へと向かう。凄い人の波だ。 これでは、待ち合わせをしても会えなくなるはずだ。しばらく渋谷には来ていなかったが、相変わらず年齢層が若い。 待ち合わせの19時には少し早いので、レストランの確認をしておこう。無くなっているかも知れない。


公園通りを上ってパルコー1へ。公園通りもものすごい人の数だ。パルコー1の7階に目指すしゃぶしゃぶ屋さんはあるはずだ。あった。 以前と変わらず、ちょっとおしゃれなしゃぶしゃぶ屋さん、紗舞璃(しゃぶりと読む)。 (今週号「9/15」のtokyo-walkerに偶然、紗舞璃がP86に載っていた) すぐにハチ公の前に引き返す。田崎姉妹は無事にハチ公の前に来るだろうか。



田崎姉妹見つけた

19時に15分前にハチ公の前に戻る。ハチ公の銅像の回りは、以前に比べきれいに整備されていた。 待ち合わせの人のための植樹やベンチ。しかし圧倒的に人の数が多い。 ハチ公の斜め右前にわずかなスペースを見つけ、そこで本を読みながら 田崎姉妹を待つ事にした。

戦記物の本を読む事10分、赤いチャイナドレスもどきを来た人が私の前を通り過ぎた。 明らかに周りの雰囲気とは違う服装。本から目を離し、座ったまま、目でチャイナドレスを追う。 おおー、まさしく田崎女史。傍らに妹を連れ、ハチ公の左斜めに陣取った。 すぐには彼女たちの所には行かないで、しばらく様子を見る事にした。 と言うのも後少しで持って来た本を読み終えることが出来るからだ。


3分ほどで本を読み終え、彼女たちの所へ。再会を喜びつつ記念撮影。残念なことにバックにいるはずのハチ公は写っていなかった。 妹さんの第一印象は、田崎女史に比べ随分、若い、しかもかわいいぃ!。

田崎女史によるとソックリだそうだが、判断はみなさんにお任せしよう。 みんなにメールしたけど、前日だったので予定のやりくりができないようで、今日は来れないようだと伝えた。 話を聞くと三軒茶屋の観劇は18時には終わっていて、一足先にハチ公の場所を確認していたこと。

また昼間は臨海水族館で過ごし、お昼も食べずに観劇に行ってしまったことも聞いてしまった。 そうするとお腹は空いているはずだ。さっそく、公園通りを登り、パルコー1へ。 エレベーターで6階のレストラン街へ。紗舞璃はまだ、そんなに混雑していなかった。



田崎姉妹の食欲


テーブルの準備が出来るまで、紗舞璃のエントランスで一息。 紗舞璃はお気に入りのレストランの一つで、恵比寿(渋谷の隣)に勤めていたころは、 なにかあると紗舞璃に入れ込んでいた。新宿に変わってからは、しばらく来ていなかった。

そこで、妹さんのことを聴く。田崎姉妹は実は4人姉妹で田崎女史は2番目、妹さんは4番目で、 あとの二人は結婚しているとの事。おやじさん、大変ね。妹さんは実家の長崎・諫早で両親といっしょ。
そうするうちに、テーブルの準備が整い、席へ。まずは、大好きなサッポロエビスビールを3つ注文する。 恵比寿にあるサッポロの工場へは、地元企業の会合などで何回か行った事があり、 試飲をやりすぎ会社に帰らず、直帰したこともあった。しかし、今はおしゃれな所になってしまった。 今でもビールの試飲はできるそうだ。今度、シカノパパを誘って行ってみよう。

次に食べ物だ。「雪」コースをオーダーし、田崎姉妹を待つ。 彼女たちは、しばらく考えていたが、「レディースコース」とサラダをオーダーした。 ほどなくお肉と野菜が大きな皿に盛り付けられて3つ到着した。


しゃぶしゃぶしながら、田崎女史の香港報告を聞く。 友達4人で食って買っての大騒ぎを写真を交えながら、話す田崎女史。 着ているチャイナドレスもその時、ゲットしたそうだ。 しかし、生地が薄いのか下着のキャミソール?が透けて見えている。(@ @)

彼女たちのペースは早く、大きな皿も次第に底が見えるようになってきた。 ビールはあっと言う間に空に、続いてスパークリングワインをオーダー。これも一気に終了。 お肉の追加オーダーは?と聞くとロース2皿と野菜2皿、さらに「赤い靴」なるカクテルもオーダー。 赤い靴といえば、横浜だけどまぁいいか。

妹さんにはさらに最後に出るきし麺も残っているのに大丈夫かと心配をしていた。無駄だった。 二人とも以前と変わらないスピードで「しゃぶしゃぶ」、 最後のきし麺も田崎女史が隣から箸を入れるにいたっては、私は完全にギプアップ。 これなら最初から食べ放題コースを選ぶべきだったと後悔した。 なんとかデザートをお腹に入れるともう私はお腹パンパン。しかし、田崎姉妹はすずしい顔。おそるべし。

レストランを出ると、公園通りは、パフォーマンスの通りと化していた。パントマイム、バンドなどあちこちで人だかりが出来ていた。 あるバンドの前で、田崎女史が「一曲、歌っていこうかな」と。私と妹さんで止めたのは言うまでもない。

そうこうするうちに、渋谷駅のハチ公口に到着、彼女たちは山の手線で新橋まで行き、そこからユリカモに乗り換えてお台場へ。 私は井の頭線で吉祥寺経由国立へ。

持っている山の手線内均一回数券を2枚渡し、「東京にはなにも忘れないでネ」と帰路についた。 しかし、私の願いは無残にも打ち破られてしまうのであった。

要チェック!番外編、[東京でも忘れ物]

そして井の頭線の電車の中で私は食べ過ぎの腹痛に悩まされ続けた。



番外編ももちろん見る??