田崎さんのパリ紀行−21

1999-Nov

パリよさらば


軽くはなかった軽食の後、カウンターへ戻ると今度はちゃんと人が座っていた。なかなかハンサム で接客もにこやかなナイスガイだ。

「あの人、格好いいよねぇ」
「でも、結婚してるよ。w輪してるもん」
「うそ。すごい若いのに」

友人Oに言われて見ると、なるほど、彼の左手には燦然とマリッジリングが輝いていた。 どこでもいい男はすぐお手つきになるものだなぁ。

出国検査はないし(行き先がアムステルダムなので)濶ラ物検査も無事通り抜けるとあとは1條ヤ 以上の待機條ヤが残るのみだ。

ただ座っているのも暇なので、お疲れ気味の母上と妹さんを乗り場ゲートのベンチにおいて、わた しと友人OとHさんと連れだって買い物へと走った。わたしは頼まれ物のチョコを買うため、食品 を扱っているところへ、友人OやHさんは香水や化粧品なんかを覗きに行く。

頼まれ物のチョコはあっさり見つかった。その名も「マルキース・ド・セビニエ」。お値段は立派 だが、味はそれに見合うものだし、空港で買えるのでお土Yにはいいかもしれない。 そして、わたしはここで悩みに悩んでチーズを買ってしまった。 

揩ソ帰る間に変質したらどうしようとも思ったのだが、諮Hしたチーズの誘惑に勝てなかった。そ れに、日本じゃこんなチーズはまず食べられないし、と思うともう買うしかなかろう! と決意し た。しかも、お金が足りずに友人Oの母上にお金まで借りて手に入れたチーズであった。

このチース、変質は免れたが、二重O重にくるんでいたにもかかわらず、バッグには大いに匂いが 染みついたのだった。今度来る時はせめて保冷バックを持Qしよう・・・

他の店を見に行った二人はさして収穫もなかったようで、食品売り場でお土Y品のお菓子を買い、 友人Oの母上と妹さんの待つゲートへと戻った。ここでフランス語の新聞がベンチに置いてあった のを、Hさんが持ち帰ると言う。

「え、フランス語読めるんですか?」
「違うのよ。お土Yをこれにくるもうかと思って」
「ああ、それはいいアイデアですね」

海外経験豊富なHさんならではアイデアだろう。Hさんに倣ってわたしと友人Oも新聞をお持ち帰り にする。フランスの新聞はカラー版なので日本のより、包装に向いていた。

そうこうする間に出発の時刻は迫り、わたし達がパリを後にするときがやって来た。 これでパリとも本当にお別れだ。やり残したことがたくさんありすぎて、未練たっぷりで汲轤ネければ ならないのが悔しい。

もう一度また来るぞ と決意も新たに、イギリスから来たときと同じ国内線仕様の(ついでにいうと機 内で出た軽食も同じ)飛行機に乗り込み、一路オランダはアムステルダムへ向けて出発した。



アムステルダムの案内人
11撃Q2日(戟jアムステルダム・小雨


飛行條ヤ約1條ヤ。長崎から東京へ行くよりも早く、飛行機はパリからアムステルダムへと到着した。

窓の外はわたしの気揩ソを象徴するかのような雨。というのも、ここでまた乗り換えをしなければな らないのだ。乗り換えの説明は日本の関空で受けたきり。そんな昔のことを鳥頭のわたしが覚えているわけがない。 ついついヒースローの悪夢を脳裏に蘇らせてしまう。

食い入るようにアムステルダムの見取り図を眺めつつ、不安半分楽観半分で飛行機を降りた。 だが、人生苦楽あり♪ とはよくいったものだ。苦があれば楽はちゃんとやって来る。 到着ゲートで、やけに背の高い、それこそ電信柱のようなおにーさんが、

「成田へ行かれる方はぼくがご案内します」

と成田行きと書かれたプラカードを下げて立っていた。アムステルダムにはちゃんと現地係員が待 機していたのだ。これで迷う心配はないと思うと、のっぽのおにーさんが天gに見えた。

日本語も上手で、愛想も良いのっぽさんと写真をBっている間に他の成田行きの人たちも集まって きた。そして、のっぽさんを先頭に日本人女性軍団はアムステルダム空港内縦断の旅に出たのだっ た。到着ゲートから出国の手続きを経て乗り換えのカウンターまで。さすがヨーロッパの主要空港 といわれるアムステルダム。その広さは案内人がいなければ迷子になる可能性120%だった。

最近は押さなくなったという出国のスタンプも、「押してもらえなかったなぁ」と呟いただけで 係員に押してくれるよう頼んでくれたのっぽさんは、まさに天g様だった。

のっぽさんが案内してくれたカウンターで搭乗手続きをするまではまだ時間があったので、アムス テルダムの免税店めぐりなどで暇をつぶす。一杯バーみたいな所にも寄り、わたしがエールフ ランスとロストバゲージの件で電話応対した報酬に、友人Oが白ワインをおごってくれた。フラン スで飲まずにオランダでワインを飲むのもまたおつなものだろう。

條ヤになったのでカウンターへ行くと、そこはすでに長蛇の列ができていた。フランス組だけでは なくイタリアツアーだったという人たちもいて、その人達と話している内に手続きの順番が回って きた。わたし達だけでカウンターのおねーさんとやりとりしていた行きの乗り換えとはなにもかも が違う、アムステルダムの乗り換えだった。



そして、日本へ
11撃Q2日(戟j〜23日(火)曇り?


日本行きの飛行機に乗り込む頃には日はとっぷりと暮れていた。 帰国組の多い飛行機の中には、みんなの旅の疲れがオーラとなってそこかしこに漂っていた。 だが、その中でひときわ異彩を放っているおばさんグループがいた。離陸前から乗務員の人に 「グラスと氷を持ってきてちょうだい」と言うなり、濶ラ物の中から取り出したのは、免税店で買 ってきたとおぼしきカミュ(だったと思う)そして、乗務員がグラスと氷を持ってくるとあっという間に宴会が始まった。

「あら、これ、わたしでも飲めるわ」
「ね、おいしいでしょ。わたし、いつもこれを買っているのよ」

ゥ慢げに話すのは、グラスを頼んでカミュを取り出したおばさんだ。 彼女がこのグループ(タはツアー中に結成された即席グループだと、飛行機を降りる時に判明した。 その割にずいぶんと団結力のある人たちだったが)のリーダー格らしい。

旅慣れているらしい彼女のチェックは厳しかった。縁もゆかりもないわたしへも、同じ機内食を頼ん だというだけで彼女の目線が飛んできた。

「わたしのと違うみたいねぇ」

呟きながら振り返ってまで見るほど価値のある機内食だとは思えないのだが・・・(何を食べても 同じように美味しくない)その食い入るような彼女の視線には、隣のHさんも「すごいねぇ」と感 嘆(?)していたのであった。

彼女その後の機内販売にも燃えていたようで、機内販売ではリーダーの彼女を筆頭に、おばさんパ ワー炸裂の光景が繰り広げられたのだった。

機体はやがて日本の玄関口、成田国際空港に到着し、わたし達は無事、日本へと降り立った。 ここで関空へ向かうHさんと福岡へ向かうわたし達は別れることになった。短い間ではあったけれ ど、Hさんと一緒で楽しい旅ができた。成田の軽食屋で別れの酒ならぬ別れのお茶をしたけれど、 また機会があればご一緒したいと思っている。

そして5條ヤという待ち時間を成田で費やし、夕闇の迫る成田から福岡へ、最後のフライトとなった。 福岡の灯が懐かしく、ずいぶん長いこといなかったような気もするが、タ際は6日間の短い旅だった。 いろいろと波乱含みの旅ではあったが、O家の面々もまたパリに行きたいと言っているそうで、やり cしたことが多すぎるわたし達は、いずれまた、パリへ繰り出すことだろう。


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