田崎さんのバンコック紀行−8
2000-Aug.
タイの道路柾 〜空港からホテルまでの道のり〜
「どうやってホテルまで行こうか」
空港からホテルまでの交通手段は考えていなかった。というよりも着いてから考えようという算段だった
ので、これから考えねばならなかった。しかし、鉄道は駅からホテルまで距離があるので避けたい。タ
イ名物の水上バスは空港からはちょっと無理だ。となると選択肢は限られてくる。
「バスかタクシーだろうけど」
「じゃあ、пAそこのカウンターでちょっと聞いてくるね」
わたしの返答を待つまでもなく素早く行動するHさん。その姿は括゙に添乗員と化していた。
その間に、Kちゃんを除いたみんなは両替所で換金だ。タイのバーツ幣には全てにタイの王様・プミ
ンポン国王の肖像が付いていて、額の見分け方は色で区別する。
この紙幣は、王様が代わったらやっぱり代替わりした王様に変更するんだろうか。短命な
王様だったりしたら、幣を造り替えるのはさぞかし大変だろう。(ところで日本の2千円Dは、未だ
に世間に流通しているように見えないのだが。あれを発行した意義はどこにあるのだろう?)
両替がすんだところでHさんが戻ってきた。
「ホテルまで1000バーツだって。いいかな」
確認に来たHさんの言葉に異論を唱えるような、旅慣れた輩は、一行の中にいるはずもなかった。
こうしてタイ航空のバンに乗り込み、一行は一路ホテルを目指した。
「あれ、タイって左側通行なんだ」
何の根拠もなく右側だと思っていたのでこれは意外だった。
「vったより車の数少ないよね」
「うん、これぐらいなら運転できそうだよね」
空港から市街地までは車で1條ヤほど掛かる。郊外を走っている間はまだまだ日本と変わりがない
ように見えるバンコクの道路柾だ。だが、バンコクの中心に近づき、ヤは加速度的に増殖していくにつれ、
・ヤ線変更は、走行している車の車間距離1メートル前後という隙間にとりあえず鼻先を突っ込む
・道路の合流地点前では3ヤ線のところに車が4台5台と並列してでも合流する
・荷台に人間を何人乗せていようが荷物のうえに人間が乗っていようが(そして、その人間が寝ていようが)、スピードは翌ニさない。
スピードは出せるときにはとにかく出す。
・バスは前後のドアを開けて走るモノである。勿論、ドア付近に立っている乗客がいようが構わない。
タイのバスにドアは不要品である。という豪快な道路柾が判明し、タイで運転するな
どという幻想は空港出発後15分で消え失せた。そして、さらに豪快だったのは、s内に入ってから
のバイクと人間だった。
ひしめく車の間をすり抜けるバイクやトゥクトゥク(バイクの荷台を人が乗れるように改造したバイク
タクシー)、さらにその間を縫うようにして横断する人々。
歩行メ用の信号は、よほど大きな道でなければ無いに等しく、横断する人を見てもスピードを緩める車
はいない。道路横断には車の車間を見極める判断力と、とにかくこの道を渡るという決意と、一歩を踏
み出す勇気が必要のようだった。
果たして、無事にバンコクs内を歩き回れるのか。多大なる不安を抱きながら、一行はオリエンタル・
ホテルへと到着したのだった。
ところで、タイは左側通行のせいか、それとも企業努力が実っているのか、やたらと日本ヤが目立って
いた。3日間のわたしの見た目調査の結果は、日本ヤ61%、ドイツヤ24%、その他5%
となった。日本ヤはトヨタ・日産・ホンダが同率ぐらい。
日本ではやたらと走っている軽ゥ動車は壊滅状態で、見掛けたのはダイハツのミラ1台きり。
代わりにトヨタや三菱のトラックタイプのものが人気のようだった。ドイツヤはBMW、氓ノベンツとい
うところだろうか。
ちなみにバスは大半がボルボでドイツヤ優勢。しかし、バイクはそれ以上に日本ヤが優勢だった。
優勢と言うよりも独占。見るバイク見るバイク全てホンダ・ヤマハ・カワサキ・スズキの文字しかない。
日本のバイク屋がタイで儲けているとは、知らなかったなぁ。
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