『悠久のトルコ周遊 10日間の旅』
 

 7月3日(金)

 直前まで支度ができなかった。沖縄旅行との間が一週間少々しかなく、これまた忙しい日々を過ごしてしまっていた。そして、日々の寝不足に追い打ちをかけるように徹夜に近い状態での荷造り。旅行に備えて体調を整えるどころか、普段より明らかに酷使している。。(^^; いつもはなんてことない旅行なのに、今回はもしかしたら戻れないかもしれないという不思議な感覚が私を支配していた。
 朝、短い睡眠から醒めると何やらすごい気温で驚いた。しかも、かわいい娘が10日間も家を空けるというのに両親がいつにも増してそっけない。今回は二度と帰ってこられないかもしれない(←根拠のない思い込みだが。)のに!と心の底まで煮えたぎっていた。あまりの暑さと疲れに怒りと虚しさが加算され、スーツケースを持って空港までたどり着ける自信が本気で持てなかった。
 事故で電車は遅れるわ、乗り継ぎは悪いわで散々のスタート。アシアナ航空利用のためソウル乗り換えでトルコに向かった。ソウルを発って9時間くらい経った頃だろうか、突然貧血をおこす。(@_@) 後になって思えば脱水症状と疲れからきたものなのだろうが、その時は「こんな所で死ぬのか。。」と思った。(笑)
 水を飲み、しばらく横になることで貧血は回復。飛行機は12時間50分の長〜いフライトを終えイスタンブールに到着した。こんな絶不調の中、後の9日間を無事に生き抜くことができるとはとても考えられない。予感は的中するのだろうか? (してないから書いてるんだけどね。。)

 7月4日(土)

 目が覚めると、そこはイスタンブールだった。ああそうだ、トルコ旅行に来ていたんだっけ。不思議と旅行しているという感覚はない。帰れないかもしれないじゃなくて、帰りたくないのかな。。(^^;
 日の昇ったイスタンブールは思った以上に人が多い。スーツ(を着用した人)は少ない。というより基本的にいない。こいつら何やってんだ? まさか全員プーじゃあるまい。(あたりまえだ!)私の余計な心配をよそに、日本語堪能な現地ガイドのウールさんの説明は続いていた。まずはトルコ語の挨拶。「おはよう」は"グナイドゥン"、「こんにちは」は"メルハバ"。結局、旅行が終了するまでに覚えたトルコ語はこの二つだけだった。
 記念すべき最初の観光は、140年ほど前に31代目のスルタン(王様)が造ったドルマバフチェ宮殿。ボスボラス海峡に面した豪華絢爛な宮殿で、大ホールのシャンデリアは4.5トンもあるバカラ製。敢えて感想を書くまでもないほどバカらしく贅沢。こんな宮殿で1カ月でも生活できるのなら、殺されても悔いはないと思った。
 その後、ヨーロッパ側をマルマラ海沿いに下り、ダーダネルス海峡(マルマラ海とエーゲ海との海峡)をカーフェリーで渡りチャナッカレのホテルに到着。所々にあるひまわり畑では、ひまわりが皆同じ方を向いて咲いている。(だから『ひまわり』なんだけどね。。)かなりの数なのでおもしろい〜!これが、夕暮れになると方向を見失うらしく、急にバラバラの向きになる。これがまたおかしくて、ひまわり畑を見つけてはニヤニヤしていた。ホテルは海に面していたのだが、あまりに汚いので泳ぐ気にはなれなかった。足だけは浸かったので、一応、エーゲ海に入ったと言っていいのでは?(だめ?)

 7月5日(日)

 トルコは朝晩が涼しく過ごしやすい。日中の日差しはかなりのものだが、木陰に入れば意外と涼しく日本より居心地が良い。「長期滞在してのんびりできたら最高なんだろうなー」という私の思惑とは裏腹に、移動に次ぐ移動の日々の2日目に突入!
 まずは『トロイの遺跡』へ。ここはシュリーマンが叙情詩を信じて発見した遺跡として有名だが、そのシュリーマンの発掘目的が財宝目当てだったとは初耳だった。彼は財宝発見のために、九層からなる貴重な遺跡をかなり荒らしている。考古学的にはとんでもないヤツなのかもしれないが、目的が何であれ、実際に遺跡を見つけ財宝をも掘り当てたのだから大したものだ。いや〜、ロマンだねぇ。
 その後、昼食にて初チャイを飲む。う〜ん、苦めの紅茶?って感じだ。(笑)さらに移動し、と〜っても遺跡らしい『アクロポリス』と『アスクレピオン』を見学。遥か昔のその姿に思いを馳せるうちに、チャナッカレに到着した。
 夜景が見たくて、一緒の友達とホテルの最上階のボタンを押してみた。人がいたら間違えた振りをすればいい。そう言いながらも内心ドキドキ。エレベータのドアが開いたが、運良く人気は無いようだ。どうやら宴会場らしく、真っ暗な広い部屋を大きな窓がぐるりと取り巻いている。湾に沿った街だったので、夜景はとてもきれいだった。

 7月6日(月)

 ホテルを出て、『エフェソス』へ向かう。ここは各国の観光客がひしめく観光地であった。それにしても、紀元前にこんなにしっかりした文化と生活があったなんて驚きだ。水道やトイレもあるし、図書館やオデオン(劇場)などの設備も充実している。昔の生活も悪くないじゃん。奴隷じゃなければ。(笑)
 さらに、これまた観光名所の『マリアの家』(だといわれる所)へも行った。ここには3つの泉があり、左からそれぞれ「お金持ちになれる」「良い結婚ができる」「健康でいられる」との謂れがあるらしい。一度に飲めるのはたったのひとつだけ!さあ、どうする??? ここで迷わず一番左に並んだ未婚者は、私達ぐらいだったんじゃ。。(^^;
 気を取り直して(なんでやねん)パムッカレへ。ガイドブックほど水はなかったが、かなりの大きさだ。自然ってスゴイや。しかし、少し前には入れたという部分には入れず、随分と奥の方まで歩いていかなくてはならなかった。流れの中に入っている人がいたので、私達も足を浸けた。ぬるくて気持ちいい。充分満喫し、石灰岩の棚を歩き出した頃、係員が目の色を変えて水に入っている人を注意していた。え?もしかしていけなかったの?「でも、入っちゃったもんね〜。」
 この日のホテルはとてもきれいだった。ロビーも広くてゴージャス、少しオリエンタルムードが漂っている。こんなところでゆっくりしたい!♪だのに〜〜〜、な〜ぜ〜〜〜、と歌ってる暇もないくらい、明日の出発は早い。

 7月7日(火)

 朝は4時半起床。おいおい、本気か?(笑)念願のカッパドキアに向かうのだが、乗り物に弱い私には試練の一日となるのは確実。バスはひたすら走り続け、昼頃にやっとコンヤに着いた。バスを降りてもまだ世界が揺れていたが、観光や食事で大分気が紛れる。そしてまたバス。。
 旅行の下調べが殆ど出来なかったので、ここまでの移動は想像していなかった。分かっていたらトルコには来なかったかもしれない。ある意味では不幸中の幸い?などと、どうでもいいことを考えたり、友達とおしゃべりして過ごすこと数時間。やっとそれらしきものが見えてきた。そう、私が自分の目で見てみたい物ナンバーワンの『モアイ像』と並ぶ『カッパドキア』の奇岩達だ。
 どうしてこう不思議な物を自然は作り出すのだろう!自然現象って不思議だ。人間も、地球も、宇宙も、自然のほんの気まぐれ、偶然から出来たのかもしれない。。あぁ、不思議!
 場所によって岩の形や色も違う。バス酔いが吹っ飛ぶほどの感動だった。しかし、ホテルに冷房がないことを知ったときは、バス疲れが2倍になってどっと押し寄せてきた。何とかならないものかと思ったが、何ともならなかった。乗り物と暑さ。私の苦手なモノがよりによって寝不足の日にダブルパンチを喰らわすとは!私の運もここまでか。。
 友人の運も果ててきたようで、ハマム(トルコ式風呂)では大変なコトが起こっていた。ここでは敢えて書くことは控えさせて貰うが、今となっては笑えるものの、その時は本気で心配した出来事だった。良かったよ、無事で。。(笑)

 7月8日(水)

 案の定、暑くてよく眠れなかった。窓を開けていたので、騒音や排気ガスにも悩まされていいコトなし。今晩も列車だし、眠れるんだろうか。。
 グロッキーな中、観光が始まる。閉所恐怖症の気がある私には住めないような穴蔵の建物の数々と地下都市などを見学した。面白いことは面白かったけど、穴はやはりあまり好きではないことが、今回の旅行で判明した。
 トルコ絨毯と絵皿のお店にも行ったが、何も買わなかった。家には犬がいるので絨毯は不要。壁掛けが飾れるほど私の部屋は広くない。皿はきれいだったが、薄くて軽いので、我が家ではアッという間に割れるだろう。飾り皿にするほどのモノは高すぎる。。そういえば、昨日のトルコ石屋でも買わなかったな。。ケチな訳ではない。貧乏なだけだ。
 アンカラには10時少し前に着いた。いい加減、バスには参っていた。立っても座っても歩いてもバスに乗っているような感覚がつきまとう。今日は列車にお泊まりだ。バスよりは電車の方が得意(?)なので、少しホッとする。車内は2人用の個室になっていて、以前に乗ったヨーロッパの寝台車より格段にいい。
 10時半頃出発したが、ヨロヨロな私はさっさと床に着いた。夜景がきれいだったと皆が騒いでいたが、はっきり言ってそれどころではなかった。この日、私のグロッキー度はピークに達していたのだから!(笑)

 7月9日(木)

 列車では程々に眠れた。最近、どうも眠りが浅い。年のせいか? 列車から降りると、バス揺れに変わって列車揺れがする。う〜ん。。どっちもどっちだな。
 この日はイスタンブール内の観光なので、移動がほとんどなかった。ブルーモスクにアヤソフィア、トプカプ宮殿とも歩いてまわれる距離だ。トプカプ宮殿の財宝の豪華さ(?)には驚くと言うより、呆れてしまった。よくもまあ、こんなに集めたこと!
 トルコに来てから初の曇り空で、気温もとても涼しい。地に足が付いていることと涼しいことが、疲れ切った私にはありがたかった。昼過ぎからは雨となったが、幸いそれほど濡れずに済んだ。ホテルへも早めに入ることが出来たので、ベリーダンスショーの前にシャワーを浴びて昼寝ができた。これで少しは甦った。
 ベリーダンスショーはとても楽しかった。民族舞踏や音楽、それからベリーダンスと、全体の構成や演出も良くできている。充分に満喫できた。

 7月10日(金)

 トルコの最終日はフリータイム。良く眠れたので大分落ち着いてきたが、まだ調子がおかしい。ぶらぶら歩きながらグランバザールに行くが、午前中のせいか、人はまばら。値段も安くはないが、ただ歩いてるだけで言い値が下がっていくのが笑えた。しまいには、「いくらならいい?」と聞いてくる。「いらない」って言ってるのに。(笑)
 その後、地下宮殿を見学し、出口で子供達から絵はがきセットを¥100/冊で買う。アヤソフィア界隈では¥250/冊だったので、お買い得だった。(^^v あの辺りにいた子供達より年齢層が低く、親玉風の大人が一人見張っている。これもきっと縄張りがあるんだろう。あそこに比べ、ここは観光客の数が少ない。
 昨夜爆発事故があったエジプシャンバザールへも行った。ここで、スパイスとチャイセットを購入。信じられないほどの安さに気をよくし、ガラタ橋を渡り、トゥネルに乗る。新市街のお買い物通りをつらつらと歩き、昼食。この日はお天気がいい上に涼しく、まさにお散歩日よりだった。路面電車に乗り、トゥネルで坂を下り、今度は橋の反対側を渡る。釣りをしている人がたくさんいて、なにやら変な魚を釣り上げていた。食べるのだろうか?
 歩き回って疲れたので、トラムに乗ってホテルに戻り、荷造りとお昼寝をした。今夜の飛行機は行きより長いから、何としても体調を整えておかなくてはならないのだっ!ひとしきりのお昼寝の後、夕食をとりに再び外出。ぶらぶらしながらガイドブックに乗っていたお店に到着した。自分達で食事をとったのは今日一日だけだったが、とてもおいしかった。ただ、塩分は必ず足りない。薄味の私でも全然足りないくらいだ。友達は焼き魚に醤油をかけて食べていた。
 長いようで短かったトルコ旅行。観光というよりは、乗り物酔いと暑さとの闘い、自己への挑戦の旅だったようにも思える。機会があったらまた行きたいが、次回はゆとりの日程でのんびりと過ごしたいというのがホンネだ。

 7月11日(土)

 前日夜中の1時にイスタンブールを後にし、ソウルへ向かう。窓からは遠い席だったが、ちらっと見えた夜景がきれいだった。さようなら、トルコ。また来るよ。
 しかし、往路の貧血の恐怖におののきながらのフライトは気が気じゃなかった。(^^; 少しでもノドが乾いたら水分を補給し、時々トイレに行くことで体を動かす。酔い止めのツボはこの旅行中、随分と役だってくれたっけ。東洋医学も捨てたもんじゃない。さすが、中国4000年の歴史は侮れない。などと、どうでもいいことを考えることで現実逃避するしかなかった。
 予定より早い、10時間ちょっとのフライトでソウルに到着した。とりあえず、ホッ。ソウルは曇り空で蒸し暑い。日本に帰ったらもっと暑いんだろうなぁ。やっと飛行機から降りられたのに、思ったよりバスの時間が長い。現地ガイドのオさんの話を一生懸命聞くことで、どうにかバス酔いをくい止め、焼き肉レストランに到着。地に足は着いているのに、ゆらゆら揺れているような気がする。気分も良くない。こんなんで食えるのか?
 心配は無用だった。本場の骨付きカルビと冷麺はとてもおいしく、しっかりと平らげた。今からもう一回トルコ周遊の旅にでも行けそうなくらい元気になっていた。(←これは言い過ぎ。。)ホテルもトルコより広くて快適。もう2.3日滞在したい気分だ。

 10日目(日)

 昨夜は快適なホテルでぐっすりと眠ることが出来、体調も本来のものを取り戻しつつある。今頃回復しても遅いのだが、しないよりはいい。。かもしれない。(←弱気。)
 ホテルを出、みやげ物屋に寄ってキムチを買い、空港で韓国海苔を買った。1箱はおみやげ用、あとの2箱は自宅用。だって、おいしいんだも〜ん!(^_^; 成田からスーツケースを送ってしまったので、直接持って帰ったおみやげは韓国みやげばかり。みやげを渡す度に「どこに行って来たの?」と聞かれた。(笑)
 なにやら日頃に勝るとも劣らない怒涛の日々でやや疲れたが、これはこれで楽しかったと思う。旅行に出かける度に、まだまだ知らないコトがたくさんあることを思い知る。自然、文化、人、味、色、などなど、私の興味は尽きることなく拡がってゆく。。さあ、次はどこに行こうか?

 

トルコに戻る