道東・自転車旅行



戸塚での夏の工場実習を終えてから一度、高知に戻り、準備をして再び北海道のツーリングに出かけました。 北海道までは列車を利用し、さらに釧路に居る遠い親戚の家を拠点にして道東だけを周ることにしました。

今回も親戚の家以外は、YHを利用し、さらに列車での移動は夜行列車を使いました。今は亡き北海道ワイド周遊券の 有効日数をフルに使っています。 当時のワイド周遊券は有効20日間で往復路に急行自由席、北海道では特急自由席OKのキップでした。

ルートは、高知<ー>東京<ー>函館<ー>釧路ー>根室ー>釧路ー>阿寒ー>釧路 ー>知床ー>網走ー>釧路です。釧路から列車で目的地の近くまで行ってそこで自転車を組み立ててサイクリング。 また自転車をバラして列車に載せて釧路に帰ることを繰りかえしました。

自転車はいままでのキャンピング車ではなく、ナショナルから出ていたフレームが2分割になる輪行が簡単に できるモデルをゲットしていました。 その代わり、キャリアを設置できないのでフロントバックのみになります。 夏の北海道でYH利用のため、荷物はフロントバック一つにしました。




第1日め、高知ー>高松(10km)
ムーンライト高知の前身の普通列車が高知を夜出発して高松に深夜到着します。 いまのムーンライトは全席指定のグリーン車ですが、この普通列車にはグリーン車1両連結されていますが、 扱いは普通席なんです。なのですぐに席が埋まってしまうため、高知からではなく、手前の朝倉からこの列車に乗って 座席をキープしました。よく関西に行く時に利用していました。

第2日め、高松ー>岡山ー>大阪ー>東京ー>大船(5km)
高松に深夜に到着し、連絡の宇高連絡船に乗り込みます。1時間の船旅です。この 連絡船は瀬戸大橋が出来るまで運行されていました。名物はなんと言っても後部デッキにある讃岐うどんのお店です。 大変美味しいので、連絡船に乗るといつも利用していました。もちろん深夜便でも開いています。

宇野からは、急行鷲羽に乗り継いで大阪まで直行です。今は新幹線でしか岡山から大阪には行けませんが、 当時は、宇野から急行で行けました。大阪で新幹線に乗り継いで東京です。東京から大船に戻っておじさんちで一泊しました。

第3日め、大船ー>上野ー>青森(5km)
上野発の夜行急行を予定しているので、お昼まで大船のおじさんちでゆっくり。 昼過ぎに自転車で大船駅まで出て、自転車を輪行(自転車をたたんで手回り品として列車に持ちこむこと)して上野へ。

常磐線経由の青森行き急行十和田です。当時の急行は4人ボックスシートだったんですが、十和田は簡易リクライニングシートだったんです。 そのため東北線経由の急行八甲田ではなく、十和田だったんです。急行ならワイド周遊券で乗れるから。


第4日め、青森ー>函館ー>札幌(30km)
朝、青森に到着です。青函連絡船で4時間かけて函館に向かいます。四国の連絡船よりはるかに大きな船です。夏休みなので 乗客もかなり多く乗っていました。函館では、工場実習でいっしょだった竹内くんに連絡を取りました。七重浜の実家によってから 空港の隣にある学校までバイクと自転車で行きました。先生の運転で大沼へ観光に出かけました。ボートに乗って足ばかりでなく、 腕の方も鍛えました。夕方に函館に戻り、特急北斗で札幌に。

第5日め、札幌ー>釧路(0km)
札幌から普通列車の夜行あかまつに乗って釧路に向かいます。あかまつはレトロな車両で天井には丸い電球が光っていました。 車内は仕事帰りのサラリーマンもいっしょに乗せてかなり込んでいました。キオスクでサントリーのビア樽の形をしたウイスキーを ゲットして車内で一人チビチビやっていました。向かい合わせのおじさんがじゃべり好きでなかなか眠らせてくれませんでした。

釧路では遠い親戚のおじさんと待ち合わせをしていました。駅の近くにおじさんの家はありました。釧路の観光地を案内してくれました。 丹頂鶴の公園にも連れて行ってもらいました。

第6日め、釧路(0km)
明日からのツーリングに備えて一日、釧路でゆっくりしました。 ちょうど、南極物語を上映していたので駅の近くの映画館に見に行きました。隣の映画館で二百三高地をやっていたので 先にそちらを観ました。この映画に偉く感激して涙してしまいました。そのため、次に観た南極物語にはあまり感動しませんでした。 廻りではタロ・ジロに感激して目頭を熱くする人がかなり居ましたが。

第7日め、釧路ー>標津ー>尾岱沼(30km)
まず、尾岱沼にあるトドワラの立ち枯れたところを見ることにしました。中標津まで列車で移動です。 釧路ー中標津は廃止されて現在はありません。この頃でも一日3往復位しかなかったと思います。 中標津の駅前で自転車を組み立てて出発です。この頃、トドワラへ行く道は舗装されておらず、ジャリ道でした。 トドワラを見学した後、YHのある尾岱沼へ向かいます。

尾岱沼YHも廃業してしまい、今はありません。ここの夕食にはホタテが出ました。

第8日め、尾岱沼ー>根室(80km)
国道244を根室に向かいますが、この沿線には街らしいものがなく、数10kmもなにもない道を走りました。 北海道の広さを感じさせる道です。風連湖のほとりで1組のリスが道路に出て遊んでいました。車も1時間くらい通らないので リスも安心して遊んでいます。しばらく、自転車を降りて眺めていました。

厚床で釧路から来る国道44号線と合流するとさすがに車は増えましたが、街はありませんでした。 今日は、根室の玉屋旅館YHです。その名の通り旅館に併設されたYHでした。 カレーが有名でしたが、現在YHはやっていないようです。

第9日め、根室ー>ノサップ岬ー>根室ー>浜中(40km)
今日は、最東端のノサップ岬に行ってみました。根室から1時間位走ればOKです。まだこの頃は、北方館もなく、 さびしい岬でした。目の前の小さな島もソ連だとは信じられませんでした。1時間ほど岬を散策してきた道を引き返しました。

根室から自転車をたたんで列車に乗りました。普通列車で浜中まで行ってそこで再び、自転車を組み立てました。 今日のYHは、浜中YHです。スタンプは押されていますが、このYHの記憶がありません。 泊まったようです。

岬と湿原

第10日め、浜中ー>霧多布ー>厚岸ー>釧路(50km)
YHを出発して霧多布岬へ行って見ました。ノサップ岬より遥かに最果て感のある岬でした。廻りにはなにもなく、 観光客もいない、さびしいいかにも北海道の岬といった風情です。

霧多布の街に戻り、郵便局でお金を下ろしました。 まだこの頃は、ATMではなかったので、通帳と印鑑を持参していました。銀行とかはめったにお目にかかれないので サイクリングには郵便貯金が最適です。

霧多布の街を後に霧多布湿原を見渡せる丘に登りました。釧路湿原のように大きくはないですが、川の蛇行など これが湿原といわせる風景です。その後、海岸線沿いに厚岸までサイクリングです。すれ違う車もなく、 最高の道(サイクリング路)でした。厚岸で自転車をたたんで、列車で釧路まで戻りました。 厚岸駅では同じように自転車を分解しているサイクリストと出会いました。列車の本数がないのでどうしても 一つの列車に観光客もチャリダーも集中してしまいます。厚岸のカキ駅弁をゲットし、車内でおやつにしました。


第11日め、釧路ー>弟子屈ー>摩周湖ー>川湯ー>弟子屈(50km)
列車で弟子屈まで輪行して、摩周湖に登ります。弟子屈でお昼のラーメンを食べていると店のテレビから地元高知の高校が甲子園で 戦っている姿が映し出されていました。ラーメン一杯で1時間も粘ったので、店のオヤジに起こられてしまいました。

ラーメンのガソリンを入れ、摩周湖の登山道路を登ります。かなり急な坂ですが、ラーメンのおかげで登り切ることができました。 展望台は車で満員で、駐車場待ちの車が急な坂にダンゴになっていました。

摩周湖はその湖面を僕に見せてくれました。快晴とは言えないですが、遠く、知床連山まで見渡せました。 摩周湖の湖面が見られると婚期が遅れるとよく言いますが、自分は30までかかりました。当たってる!! 第一展望台を後に第三展望台へ移動です。第三展望台は駐車スペースが小さいので車は路肩に止めています。 ここでもリスの歓迎がありました。第三展望台からは、気持ちのいいダウンヒルです。車に負けないスピードで坂を下って行きます。

坂を下り切ったところが川湯です。ここは地獄谷が有名です。硫黄の臭いが鼻を突く中、行ける所まで自転車を進めて噴煙の上がるすぐ 近くまで乗り入れました。川湯から屈斜路湖の湖岸を廻って弟子屈に戻ります。今日のYHは摩周YHです。

夏の北海道のシーズンも後半になっていましたが、このYHは満員御礼でした。 3バカYH(桃岩、岩尾別、えりも)に負けない迫力のあるYHでした。早朝にはご来光を摩周湖で観るツアーが行われていました。 今日すでに観たし、夜中出発なのでパスです。

第12日め、弟子屈ー>阿寒湖ー>オンネトー(60km)
阿寒横断道路を越えて阿寒湖に向かいます。今回のコースで一番の難所です。弟子屈から峠まで30km近い登りが続きます。 オマケに天気まで怪しくなってきました。荷物がフロントバック一つなのでカッパの用意はしていません。

バックの中には、替えの肌着2組(Tシャツ・パンツ・靴下)、替えシャツ1つ、洗面道具一式、カメラ、道内時刻表、地図だけです。 あとは釧路のおじさんちに肌着1組、替えシャツ1つ、長ズボンジャージを1つ置いてきています。 走っている格好は、半パン、半袖シャツにウインドブレーカーだけです

雨が降っても風がなかったので何とか登れました。登っている時は、汗をかいて熱いんですが、下りになると急激に冷たくなって 凍えてきます。夏とは言え、そこは北海道。天気が崩れると急に寒くなります。

坂を凍えながら猛スピードで下って阿寒湖の観光もそこそこに今日の宿、オンネトーに向かいました。 阿寒湖から足寄の方に1時間位山道を走るとオンネトー野中温泉YHがあります。 その名の通りYHには温泉が引かれていて雨に凍えた体には痛い位の温度でした。 このYHも結構賑やかで、ミーティングではホステラーの出身地を紹介していました。

第13日め、オンネトーー>阿寒湖ー>釧路(90km)
YHの近くにあるオンネトーを観てから釧路に引き返します。仲良くなったホステラーがバスで釧路まで戻って根室に行くというので 自転車でバスを追いかけて釧路に戻りました。阿寒湖から釧路までは基本的に下りなので、さほどきつくなかったです。 8時にYHを出て、12時30の根室行きに間に合いました。午後からはおじさんちでゆっくり、洗濯と休息です。 旅行もちょうど折り返しを過ぎたのでちょうどいい休憩になりました。

第14日め、釧路ー>斜里ー>ウトロ(40km)
列車で斜里まで輪行です。途中で同じ部活の1年後輩にばったりと会いました。彼はこれから摩周湖に向かうと言っていました。 思わぬ連れが出来て弟子屈まで退屈なしです。

斜里で自転車を組み立ててウトロを目指します。途中にあるオシンコシンの滝は止まらずに走りながら眺めました。 YHのある岩尾別はウトロからさらに知床半島を奥に分け行った所にあります。YHから先にはホテル地の果てしか人は住んでいません。 ウトロからの道はまだ舗装されていないジャリ道でした。

岩尾別YHは有名な歌のYHです。ミーティングの盛り上がり方は半端じゃないです。廻りにはほかに住んでいる人は居ないので 深夜までドンチャンです。ミーティングが終わっても大部屋に戻って大貧民ゲームです。


第15日め、ウトロ(10km)
今日も知床です。今回の旅行で唯一連泊したところです。 朝、ホステラーのボランティアでカムイワッカの滝に打たれに行く人を乗せてバンが出発します。知床五湖をさらに奥に進んで 知床大橋の手前に目指す滝はあります。はだしになって川を溯ること30分。だんだん廻りの崖から湯煙が上がるようになると 滝は近いです。この滝は滝壷が湯船になっていてちょうどいい湯加減なんです。

YHから来た仲間も水着に着替えて滝壷に入っていきます。 ここで偶然が起きました。写真に写っている4人は同じ学校の人です。北海道の端っこまで来て同じ学校の奴と同じ滝に 入っているなんて。彼ら3人はいっしょに旅行しているとは言え、偶然は恐ろしい。


お互いに旅の無事を祈って滝からYHへ戻りました。
その後いっしょにYHから滝に行った数人で知床を周ることにしました。 乙女の涙では海岸まで降りて大きな岩の上で昼寝をしたりして過ごしました。千葉や神戸の大学生でした。

神戸の女子大生とは、翌春に神戸の実家まで押しかけて中華をごちそうになりました。 九州にいっしょに行った生田が目の病気で神戸の大学病院に入院していたのでついでに会ったんです。 (三宮で待ち合わせの予定が彼女は新神戸で待っていたようで結局、僕が実家を探し当ててしまいました)

天気も仲間も最高で一番思い出に残っている知床でした。


第16日め、ウトロー>浜小清水(60km)
朝、知床五湖を散策してから岩尾別を発つことにしました。 熊が出るというので一部しか周れませんでしたが、湖を一周して駐車場に戻ってくると、またまた偶然に南紀で出会った山崎先生に 会っちゃいました。北海道に行くことは手紙で知ってはいましたが、予定などは聞いていなかったのでビックリです。 トウモロコシをラッキーしました。

先生と別れ、知床を後に原生花園がある浜小清水に向かいました。今日のYHはオホーツク小清水YHです。 ここもJYH直営で建物も立派でした。ただ、花の季節は終わっていたので周りはすべてグリーンだけでした。 流氷の季節がすばらしいと盛んにピーアールしていました。

第17日め、浜小清水ー>網走ー>サロマ湖(70km)
今朝は、朝から体の調子がいまいちでした。それでも道は平坦なので無理なく、網走に到着です。 刑務所を観てから網走湖岸を走り、サンゴ草が奇麗な能取湖を半周するように走ります。 程なく、視界にサロマ湖が入ってきます。今日のYHはサロマ湖です。ゆっくり走ってきましたが、YHに早く着きました。 夕食を取った後、調子が更に悪くなって熱が出てしまいました。ペアレントさんから薬をもらったり、同室のホステラーさんに 看病をしてもらいました。

第18日め、サロマ湖ー>網走ー>釧路(5km)
一晩寝ても熱はあまり下がらなかったので旅を中止し、釧路へ引き返すことにしました。 YHの近くにある浜佐呂間から列車に乗って網走、乗り換えて釧路へ戻りました。 浜佐呂間ー網走間は、今はすでに廃線になっています。

第19日め、釧路ー>函館(10km)
翌日もあまり体調はよくないですが、ワイド周遊券の期限も近いので高知に戻ることにしました。釧路駅で自転車を分解し、 お土産のホワイトチョコを大量に仕入れ、特急おおぞらの人になりました。この頃のおおぞらは札幌に寄ってさらに函館まで行く 長距離列車でした。

釧路でお土産を買いすぎて残金がほとんど無くなりましたが、函館の郵便局で貯金を下ろせばいいと思っていました。 しかし、今日は土曜日で明日は日曜。郵便局は閉まっていることに列車の中で気が付きました。函館では竹内くんの家でやっかいに なる予定だったのでお金は要らないんですが、東京までのお弁当代もありませんでした。

竹内くんちでいかそうめんをごちそうになりました。

第20日め、函館ー>青森ー>上野ー>大船(15km)
日曜日で郵便局は閉まっているので、早朝の連絡船で東京に向かいました。連絡船の中でも缶ジュース一つで過ごしました。 青森で連絡する特急はつかりもこの頃は、青森ー上野の長距離特急です。連絡船から大勢の旅行客が乗り継ぎます。 自転車を持っているのでホームを走ることが出来ませんが、何とか自由席を見つけることができました。特急券は 釧路で買っていたので問題なかったです。しかし、8時間以上も同じ列車の中で過ごさなくてはいけません。 お弁当を買うお金が無いのでまた、缶ジュースで凌ぎました。隣でおいしそうに駅弁をつつくおじさんがうらやましかったです。

上野から山の手、東海道と乗り継いで大船に着きました。大船駅の近くでおばさんがそば屋さんでバイトをしていたので おそばをおごってもらいました。

第21日め、大船ー>東京ー>岡山ー>高松ー>高知(15km)
朝、近くの郵便局でお金を下ろして一安心。大船ー東京間のキップを買って東京に戻ります。 ワイド周遊券の有効期限は20日間ですが、20日目に北海道を出発して途中下車すること無しに出発地(高知)に 戻るならば、20日を過ぎても追加運賃を払うこと無く、帰ることが出来ます。

本当は大船で降りては行けないんですが、ごまかしちゃいました。JRさん、ゴメンナサイ。

お昼前の新幹線で岡山に。普通電車に乗り換え、宇野。連絡船に再度、乗り換えて高松。急行で高知に夜、帰り着きました。



北海道に20日近く居た割には走行距離670kmです。列車での移動が多かったからですね。 輪行をすれば自転車でも行動範囲が格段に広がります。手回り品代300円程度は必要ですが。


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